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参加することに意義がある [サッカーあれこれ]

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「オリンピックは参加することに意義がある」、そんな言葉を子供の頃に聞きました。その頃の私の解釈は、
貧富の差、経済格差、内戦や宗教による紛争、様々な政治事情、そんな決して平等で均一ではない世界が現状なのだから、スポーツという統一したルールの下で競うオリンピックという世界的な大会に、参加すること自体が大変な努力を必要とする国々が有るのだから、まずはそこに出ることに意義があるのだ
そう思っていました。ただ調べてみると、この言葉の出所はちょっとニュアンスが違うようです。
第4回ロンドン大会(1908年)、それまで個人やチームごとに申し込めば参加することが可能だったものが、各国のオリンピック委員会を通じての参加となった最初の大会において、アメリカとイギリスとの間で諍いが起こり、その最中のミサでタルボット司教という方が、「この五輪で重要なことは、勝利することより、むしろ、参加することにある」と説いたらしいです。つまりは、目の前の勝ち負けだけにこだわるな、といった意図らしいですが、その言葉に感銘を受けた、当時のIOC会長のクーベルタン男爵が取り上げ、オリンピックの精神として今に至ったようです。
もちろん、私が抱いていた意味も、この言葉に含まれているかもしれません。けれどオリンピックで行われるのが「競技」である以上、勝敗が必ずあり、たとえ勝てなくても参加するだけで意義がある、とはちょっと違和感が拭えませんでした。そしてそれは私が、比較的平和で裕福な日本という国に居るからなんだ、と納得していた面があります。
オリンピックがこれほどまで巨大な世界大会になった現在では、この言葉の当初の意味も変わってきたのかもしれません。「勝つことよりも、参加する事ができるほどの努力を積み重ねてきた所に意義がある」と解釈するのが一般的なのでしょう。つまりは、「結果よりも過程が大事」と。そしてその「参加する」とは、たとえオリンピックという舞台に於いてでも、単にエントリーリストに名を連ねる事を差す訳ではなく、そこで持てる力を全て出し切ることが「参加」することなのだ、ということでしょうね。
さて、私がいつも撮っているサッカー競技に於いて、先日U-23日本代表がオリンピック出場を決めてくれました。これは大変うれしいことと同時に、一ファンとしてホッとしたところです。なぜなら2016年のリオデジャネイロ大会に出場できないと、2020年の東京大会に向けて大きな空白期間ができそうな感じを抱いていたからです。出場を決めるまでの過程は、皆さんもご存知のように、楽な戦いは一つもありませんでしたし、紙一重の勝利もありました。その意味で、このオリンピックの精神を謳った言葉に準じたチームだと思いました。後は、本大会においてキッチリ「参加」してくれれば、きっと2020年に向けてもっと盛り上がるでしょうね。期待しています。

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