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初詣 [巷の雑感・時の想い]

東京の大学に通う長男・長女が帰って来たといっても、それぞれが忘年会や新年会の予定が有って、それに加え次男の試合や遠征もあって、実家にも新年のあいさつに行かないといけないし、と家族5人でゆっくり過ごす時間が、有って無いような感じの今回の年末年始。僅かに全員の空いた日が昨日の1月4日。この日を逃してはもう行けないと思い、例年通り、京都の伏見稲荷大社へ初詣に行ってきました。

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正月三が日が過ぎたといっても、境内へ向かう道は人で溢れていて、本殿へ辿りつくまで、かなりの時間がかかってしまいました。我が家はいつもその後、本殿背後の稲荷山に上ります。それほど高い山でもないのですが、朱の鳥居に囲まれた400段近い細い石段を上っていきます。この鳥居が並ぶ様は、京都の観光パンフレットの写真などでよく使われますから、ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
私は子供の頃からここへ初詣に来ているのですが、昔は人を追い越すことを楽しみに駆け上がったこの参道も、今ではゆっくりとしか登れません。全国的に名の知れた神社ですから、参拝に来ている方々も多彩です。幅2mほどの石段の坂道を上っていく人の波は、小学生ぐらいの子供連れの家族もいたり、手をつないで登る若いカップルもいたり、会社の新年行事としてきているようなコート姿の一団もあったりします。そしてその胸に秘めた想いもまた、様々のはず。私の前には、杖を片手にゆっくり踏み締めて登る老夫婦。私もこんな風に、ゆっくりと、でもまだこうして登れる、ということに満足する時期が、いつかやってくるのだろうか。下り降りてくる人の列が途切れたところで、そのお二人を追い抜かしましたが、うっすらと汗をかいた顔を上げると、子供達は遥か彼方を進んでいました。
ちょうど一年前、こうして家族5人で初詣に来れるのも、最後になるかもしれない、と思ったこと、そんな記憶が甦ります。そしてそれに反して、こうして今年も同じように来れたことは、きっと喜ばしい事に違いありません。変わらないことの喜び、そんなものを感じてしまった私は、また一つ歳をとった証拠なのでしょうね。

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サッカーに興味のある方々にとって、昨年一番の出来事は、やっぱりワールドカップだったのではないでしょうか。そのワールドカップでの活躍も、今振り返ってみると、随分昔の事のように思えます。アジア杯に向かう日本代表監督のことが、今日の新聞に載っていました。岡田監督辞任の後、なかなか次期監督が決まらなくて多くの意見が飛び交っていた事も、もう記憶の中に埋もれていました。もっと身近に眼を移せば、ついこの間まで、クリスマスはどこのケーキを食べようか、年末までに掃除を片づけてしまわなければ、洗車もしておこう、などと慌ただしく動き回っていたのに、仕事始めを迎え、街がいつもの姿に戻ってしまうと、あの喧騒は何だったのか、などと思ってしまいます。それは必要な事? 答えはたぶんYES。留まることなく流れ行く時間の中で、節目を造り、そこで振り返り、思い出し、前を向いて想いを新たにすることを、人の英知は生み出したのでしょう。すぐに忘れ、記憶を彼方に埋めてしまう、我々凡人のために。初詣に行って手を合わせた時、そんなことに気付きました。
「また来年もこうして全員で来れるさ」と、笑って言う息子。「そうだな」と答える私の声は、一年前に比べると、確実に小さくなったように感じました。一年後もこの同じ光景がやって来てくれるなら、我が家はきっと、安泰な一年を過ごしたということなのでしょう。
その息子は今日、東京へ戻って行きました。

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