蝉時雨(せみしぐれ) [巷の雑感・時の想い]
曇天なのを幸いに、今日は自転車で出かける。
外へ出ると、蝉の鳴き声が聞こえる。
暫し進んで行くと、大きな神社や昔からある公園の前では、更にボリュームが増す。
頭上から、まるで豪雨のように降ってくる。
蝉時雨とは、こんな時雨のように降り注ぐ蝉の鳴き声の様を言うのだろう。
今が盛りとばかりに、降ってくる。
時に、辺りの音を制するように、降ってくる。
考えてみれば、日本の蝉に、それほどの行動範囲があるとも思えない。
きっと、この辺りの地中で何年も過ごした幼虫が這い上がり、謳歌しているのだろう。
それが証拠に、街中に最近人工的にできた綺麗な公園には、声が少なかったりする。
かえって、携帯電話の着信音の方が、耳に付いたりする。
コンクリートとアスファルトで固められては、たとえ後から土を盛っても、豪雨は降らない。
多くの幼虫が何年も居られるだけの土が、まだ残っているという証拠なのかもしれない。
街中で所用を済ませ、帰路にペダルを漕げば、背中から汗がにじみ出てくるのを感じる。
進むほどに、蝉の声が、前から頭上に移っていく。
そういえば、とベダルを止める。
子供の頃、夏休みに蝉取りに夢中になった林も、こんな蝉時雨が降っていたことを思い出す。
そして、そんな楽しげな時間も、あっという間に日記になってしまったことも思い出す。
夏真っ盛りと見上げた空で、きっと少しずつ確実に、時節が移ろいでいるのだろう。
地上で汗する我々は、まだ気付いてなくても、急いでいるのかもしれない。
生のクライマックスを迎えて、彼らには急ぐ理由があるのかもしれない。
ベダルに乗せた足に力を込めれば、蝉時雨が後ろに去っていく。
私はこの夏、彼らに負けない何かを残せるのだろうか。
いつのまにか敗者が去り、勝者の太陽が得意顔をすれば、首筋を汗が流れる。
蝉の声には汗が似合う。
汗をかかない季節になれば、時雨は降らない。