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サッカー撮影35(発掘してみる) [サッカー撮影]

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前々回は、「無駄な画は撮らず、撮影枚数全体のレベルを上げる」という事を書き、前回は、「たまには撮らないで、裸眼で一試合通して見る」ということを勧めた。三連載の最後は、「以前撮った画をもう一度見直してみる」という提案で締めくくりたい。

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チームのカメラマンとして、または我が子のカメラマンとして撮り続けていくと、いくら無駄な画を撮らないようにしたとしても、年間通じて撮り続ければ、それなりの量の画像が貯まっているはず。特に小学年代・中学年代・高校年代と、各年代の最終学年ともなると試合数も多くなり、年間撮影枚数はそれなりに多い。毎週のように試合が続くと、今日撮ったてきた写真をパソコンに落とし、成果の確認とボツ画像の消去のために見るのだが、結局その一次選択で終わってしまうこと、無いだろうか。
このブログをご覧の方々は、撮って、見て、反省し、工夫を考え、そしてまた撮影、という繰り返しをされていることと思う。今しか撮れない画を、できる限り良い形で残したい、と一年・二年と続けていけば、当然撮影の技術・力量も向上するだろうし、画を見る目も次第に養われていくに違いない。ということは、一年前に「この画はイイ」と思っていた画が、実は「大したことない平凡な画」と思えるようになるかもしれない。逆に、一年前はサラリと見過ごしたような画でも、今の眼力で見れば、「一工夫すれば、違った意味で作品になるかも」と思える画を発掘できる可能性もある、ということだ。

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一例を挙げてみる。下の画は、今から5年前の2007年8月に撮った高校サッカーの画だ。RAWで撮っておいたのだが、撮影時のままの設定でノートリミング画像。ちなみに、撮影データを記しておくと、
1D3+EF400mm F2.8 L Ⅱ 焦点距離 400mm シャッター速度優先AE 評価測光 AI SERVO AF
絞り F2.8 シャッター速度 1/1000  ISO 250 露出補正 +1/3 WB AUTO RAW ノートリミング

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試合終了のホイッスルが鳴った直後に撮った一枚。当時は協会のカメラマンでもなかったので、観客席から撮ったため俯角で、しかも夕方の逆光。正直に答えると、特に意図なく、工夫するつもりもなく、何気なく撮った一枚である。本来もう少し絞るべきところ、開放F値で撮っているなど、まったく自慢にもできない一枚だ。当時の私は、選手の必死の表情や、体全体から発する躍動感の動的表現ばかりを重視していて、いやそれ以外に目を向ける力量が無くて、これまで埋もれていた一枚。それでも、「そういえば、そんな一枚が確かあったっけ」と思い出せるのだから、記憶の片隅に残る何かが有ったのかもしれない。今になってその画を画像保管HDDから引っぱり出してきて、RAWで撮っておいたのを利用して、記憶色を頼りにレタッチ&印刷用紙に合わせてトリミング。それに題名をつけてフォトコンに応募したところ、カメラ雑誌の今年1月号で入選を頂いたことは、ご存知の方もいるかもしれない(主催者の了解を得て載せてます)。

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サッカーというスポーツ撮影としては、実に静的な画だが、これとて選手が見せてくれたのは一瞬の事。この直後に選手達は整列に向かうのだから、瞬時の判断でシャッターを切らないと撮り損なう。もっとも、こんなシーンが撮れるかもしれない、という「引き出しの多さ」や「視野の広さ」が当時の私に有ったら、咄嗟にもう少し絞るなり、露出補正をマイナスにかけるなり、できたかもしれないが。
過去に撮った膨大な画の中には、「どうしてこんな画を大事に残しておいたのか」と、過去の自分の実力・眼力・取捨選択の甘さを痛感することもあるが、逆に経験を積み重ね、視野も広がった今の自分の眼なら、良作の原石を見つけられることもある。そしてそんな場合、RAWで撮っておけば、かなりレタッチの耐性・自由度が大きく、画像編集ソフトの進化度も、自身のソフト活用力の向上も加わって、「作品」に変身させられる場合の融通度が大きい。その点で、急いで画の取捨選択&送信しなければならない成熟した技量のプロとは違い、今後の伸び代が期待できる我々アマチュアに、RAW撮影をお勧めしたい私の所以だ。

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HDDの単価が安くなったといって、「無駄な画を撮るな・残すな」と前々回に書いた。今回は、過去の画を振り返って見ることで、思わぬ画を見つけられることがある、と書いた。両者は一見すると矛盾するように思えるかもしれない。何んでもかんでも撮って残しておけば、後年自分自身のスキルが上がった時に見れば、「ああ、この画を残しておいてよかった」と思える宝物になるかもしれない、と。しかし、私は否と思う。宝石は広大な泥の中からはなかなか発見できない。できるかもしれないが、そんな労力と忍耐と時間を費やすことは、なかなかできない。清水の流れる綺麗な河原でこそ、宝石はより発見し易いと思うからである。

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サッカー撮影34(撮らない) [サッカー撮影]

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前回、無駄な画は撮らず、撮影枚数全体のレベルを上げるべきことを書いた。それはつまり、撮るべきシャッターチャンスを逃さないために、撮っても無駄になると思える画は撮らないこと、その分集中力を持続させ、必要な時には躊躇なくシャッターを押すこと、という意味である。今回は、たまにはカメラを手にせず、裸眼で一試合通して見る、ということを提案したいと思う。

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これからの季節、各年代とも各種重要な大会・試合が続くと思われる。自分の子の所属チームを撮っている方々にとっても、出動回数の増える時期だ。今年の大会は今年にしか、明日の試合は明日にしか撮れない。しかも公式戦ともなると、試合に出る選手はもちろん、我々撮る側も気合が入る、はずである。しかし我々アマチュアは、精神的にも肉体的にも、常にベストの状態で撮影に臨めるとは限らないし、どこか義務感・使命感で撮っている想いを感じた事はないだろうか。そんな時には、「一度休んで見る」というのも必要なのではないか、と思うし、撮影意欲が再度かき立てたり、創意工夫のヒントが得られたりして、無駄ではないと思う。
いつも狭いファインダーを覗き、必死に選手を追い、シャッターチャンスを逃すまいと集中している事に比べれば、裸眼でグランド全体を見渡せば、試合全体の流れや選手の個々の動き、チームの雰囲気などが窺い知れ、それは義務から逃れられた開放的に近い気分が得られることがある。声を出して応援することも、良いプレーに拍手することも、隣の保護者と雑談しながら試合を見ることも、できる。いつもは出来なかったことが出来る喜び、「やっぱりこうして裸眼で見ていた方が試合を楽しめる」がずっと続くようなら、いっそ撮影から手を引いて、サポーターの一員となる道もアリだと思う。

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しかし、サッカー撮影の醍醐味を一度でも味わったことのある方の多くの場合、ポケットに突っ込んだ指先が試合を見続けるにつれ、ピクピク動く症状が発症することが多い。それは一試合で起こるかもしれないし、数週間の潜伏期間が有るかもしれない。「あっ今のシーン、撮っておけばイイ写真になったかも」などと思える事が度々湧きおこってくるようだと、裸眼で眺めているはずの眼が、ファインダーで追っている眼に変わってくる。試合終了までそうしていると、「あそこのシュートシーンに、GKにピンを振っておけば、ファインセーブが撮れたかも」とか、「逆光を逆手にとって、シルエット的に撮ってみるのも面白いかも。でも露出はどうするかなあ」などという考えが浮かんで来たら、しめたもの。もう貴方は立派なカメラマンに逆戻り。それらが次回撮影の糧になること間違いなし。

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裸眼で試合を見るということは、視野の制限が無く、カメラの設定に悩むことも無く、構図を工夫する必要も無い。人間の目とはまったく便利なもので、遠くのものを拡大する機能は無いけれど、そんな状況でも素早いピント合わせをしてくれ、印象的なシーンはしっかり脳裏に焼き付けてくれたりする。撮らないからといって、保護者一団の中からのみ見るのではなく、動ける範囲で場所を変えて見てみると、「ここならこんな画が狙えそうだ」とかの知識や工夫を増やすことができたり、必死になって走る子供たちの表情を見ていると、「これを形にして残してあげたい」という当初の意欲が、再度湧き起ってきたりする。サッカーとは、試合中プレーが途切れないので、いざ撮影に入ってしまうと、狭角的になってしまいがちだが、撮らないとなると、試合全体を見回し、創意工夫を思考する余裕ができ、自らの意欲の充電になることもあり、それらの経験・過程が次回撮影での「引き出しの多さ」や「集中力の向上」に繋げられると思う。

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趣味だから撮るのが義務ではないのだけれど、撮るのが当たり前になってしまっている方に、たまには撮らない、という選択肢をお勧めしたいのは、そんな理由からだ。私も、特に撮って残す必要が無いような試合では、裸眼で見て楽しむこともある。もっとも大抵は、すぐ撮りたくなって、ハーフタイムに車にカメラを取りに走る、のだが。

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サッカー撮影33(無駄) [サッカー撮影]

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フィルムからデジタルに移行して、間違いなく最大の恩恵を被っているのは、報道・スポーツ関係のカメラマンだと思う。何と言っても、枚数を気にせず撮れるという事は、ただでさえ撮影枚数が多く、瞬時のシャッターチャンスを逃さないことが第一使命のこれらカメラマンにとって、願ってもないことだ。その頃は連写をするにも、装着フィルムの残数を気にしながらだったし、「現場でフィルム交換の速さを競った」という話も聞いたことがあるが、それも昔。記録メディアとて、昨今の大容量化・高速化・低価格化のお蔭で、足枷にはなっていない。
プロのような目的意識もなく、技術も未熟な我々アマチュアカメラマンにしても、デジタルになったことで、失敗を気にせずシャッターを切れるということが、いろんな設定を試してみる、いろんな角度から被写体を狙ってみる、という積極的な試みに貢献してくれる。銀塩の頃は、その後の現像料の事が頭の隅に残って、ついシャッターを押す指が渋りがちだったのに、今はトライ&エラーを果敢に試みられ、それが少なからず撮影技術の向上にもつながっていると思う。ただ、闇雲に撮影枚数を重ねれば、良作が得られるというものではない、ということは、別段以前と変わりは無い。

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沢山撮れば、その中に良作品となる画が含まれる確率が高まる? いや、私はそうではないと思う。撮る画の平均レベルを上げてこそ、良作を撮れる確率は高まるのだと信じている。従って、たった15分ハーフの小学生の一試合で、「500枚も撮っちゃいました」という人に出会うと、ちょっと溜息が出そうになる。さぞかし家に帰ってからの削除作業が大変なことだろう。いや、そういった方ほど、せっかく撮った画だから、と削除しない事が多かったりする(HDDの単価も安くなったし)。
撮った画のその後の使用方法、鑑賞の視点などは、その人それぞれなのだから、見る人によっては無駄と思われる画でも、その人にとっては貴重な財産になることもある。脇に微かに写っている選手を見つけられたことで、出場メンバーの確認ができて助かったという経験、私にも有る。それでも敢えてここで記しておきたいのは、無駄な画は撮らない、ということ。

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自チームの出場選手全員を撮っておきたければ、一人ひとりを(たとえボール保持をしていないシーンでも)一枚はしっかり「使える写真」として押さえておく。チーム全体の写真・試合会場の雰囲気を押さえたければ、瞬時を惜しんで標準・広角レンズに替えてでも、試合開始直前・試合終了直後にしっかり「使える写真」として押さえておく。それでも連写を使って多くとる必要は無い。要するに、枚数多く撮ることで得られる偶然に頼らず、目的を持ってとる事で、無駄な画を随分無くすことができる。無駄を省ければ、撮影枚数全体のレベルを上げることに繋がり、それはより良作品を生む母体となる。
では、どんな画が無駄なのだろうか。それは人それぞれなので、一概には言えないのだが、撮影後にPCのHDDに入れたまま二度と見ていない画、使い道のない画、資料としても価値の少ない画、などがそれに当てはまるかもしれない。今一度振り返ってみて、思い当たるような画があれば、次の撮影時にはそんな画を撮らないよう心掛けるだけで、随分撮影枚数が絞り込まれる。

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120GBの外付けHDDが一万円ほどした頃に比べ、HDDの単価も安くなったことだし、大容量のものも出回っている。多く撮ったとて、それほど負担にはならないとの反論もあろう。しかし、得てしてそういう枚数過多であるほど、一番大事なところを撮り逃がしたり、一瞬遅れたりする。サッカーのように、プレーが途切れず、目的の被写体が常に動いている場合、必要なのは撮影者の集中力であって、試合中ずっとその集中力を高めた状態を続けられるほど、アマチュアの我々はタフではない。

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ただし、一瞬の動きを撮るサッカー撮影では、予測できない一瞬先のプレーのために、今シャッターを押さなければならない、という事は実戦ではよくある事。私は3~5連写を多用する。そうして撮った一連写のなかで、使える写真はまず一枚、残りはその一枚のための無駄とも言える。けれどこの無駄は、必要な無駄だと思う。この無駄と、何となく連写して良さそうな一枚が有ればいいなあ、という無駄とは根本的に違う。この根本的とは、意志・目的を持ってシャッターを切っているかどうかであって、その点の違いは理解していただけると思う。
デジタルだから、無駄な画をどんなに撮ってもコストにはならない。しかし、無駄の量産は、集中力と目的意識の欠如の産物。それでは、次の上のステップには行けない。再度言う、撮る画の平均レベルを上げてこそ、それが足場となり、良作を撮れる確率は高まるのだと、私は信じている。

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指導者 [サッカーあれこれ]

「サッカークリニック」という雑誌、ご存知でしょうか?

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現在発売中の7月号に、愚息2号の所属しているチーム監督さんの話が載っています。冒頭からフルカラーで5ページも使って(我がチームで写真が掲載された子は喜んでました)。テーマは「一対一」だそうで、中学年代における指導方針や取り組み方などが窺い知れて、それでも難解にならず分かりやすく書かれてますので、興味深く読ませていただきました。
そういえば、今年3月にガンバ大阪カップに行った際、一日かけて記者らしき人と話し込んでいましたっけ。その時の取材が、今回の雑誌掲載になったようです。保護者が指導者に、こうした実戦局面での指導方法やその方針などをじっくり聞く機会って、なかなか有るようで少ないですよね(私は個人的に話す機会が多い方ですが)。今回これを読んで、小学生から中学生、そして高校生、大学生と続く子供の成長の中で、今の中学年代に於いて何を会得すべきか、を考えて指導しているということが書かれていました。ウン、やっぱり愚息をこの人に預けて正解だった、と思いましたね。
これまでも県内だけでなく県外での試合も多いですし、私も愚息1号の時からですから、もう10年以上サッカーの現場に顔を出していますので、いろんな指導者を見てきました。個人的に「?」と思う方もいましたが、日本のサッカー界の底辺は、こうした方々が支えているのだと思うと、学校で教科書通りに教えるのとはまた違った難しさがあるのでしょう。もっとも私、指導者になろうと思ったことも、その経験も無いのですから、あくまで外から見ての判断ですが。
小学生の指導者に聞くと、「小学生を教えるのが一番楽しい」と言います。我がチームのK監督は、「中学生を教えるのが一番楽しい」と言います。サッカーの指導者、と一括りにできない理由が、実はそんな声になって表れているのではないかな、と思いました。

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