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6月6日 [巷の雑感・時の想い]

日が昇り、日が沈み、そしてまた昇る。これを「一日」と決めたのは、何時なのか誰なのか、それは知りませんが、留まること無く流れる時間にラベルを貼るには、万人を納得させる、ひどく真っ当な区切りだと思います。それを365回繰り返すことを「一年」と定めたのは、四季のある日本に住むものには特に、一巡したと納得できる期間だと思います。太陽が回り、季節が巡り、その輪廻の時間の中で、人は生まれ、営み、去っていきます。
6月6日は誕生日でも、記念日でもなく、さりとて命日でもありません。愚息2号のあの事故から一年が経過しました。
チームメイトが、同級生が、決して慣れていないであろう手つきで折ってくれた千羽鶴を手渡されたとき、「必ず、必ずみんなの元に帰ってくるから・・・」とまでしか言えなかった。主治医の先生を信じ、ただ病院のベッドの傍らで、無為に過ごすしかなかった。自分の力で立ち上がり、歩けるようになったことを喜び、それでもどこか不安を抱かえ続けてきた。そんな親を続けて、一年が経ちました。
十年ひと昔と言うのであれば、一年前は大した過去でもないのかもしれませんが、それでもいろんなものを詰め込むには、程よい大きさなのだと思います。あの事故は本当に「不慮」であったと信じていますし、未だ後遺症も無く回復できたのは「奇跡」だったのかも、と思っています。淡々と平坦ではなかったけれど、それでも今こうして振り返ることができるのですから、きっと私は幸せ者なのでしょう。
梅雨が始まることを感じさせる湿った空気は、ちょうど一年前の日と同じ。「あんなこともあったね」と笑って言えるには、まだ何回かこの日を迎えないといけないでしょう。今はただ、「ありがとう」と感謝するだけにします。
6月6日は誕生日でも、記念日でも、命日でもなく、「ありがとう」と思う日にしたいと思います。

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写生の画 [物語]

先月のこと、車で市内を走っていた時、思いがけない画が飛び込んできました。思いがけない? いや昔見たことのある風景です。思いがけなかったのは、あの頃と変わらぬこと。地方の工業都市に生まれ、今も住んでいる身としては、こんなコンビナートの姿など、別段珍しいわけではありません。けれどそれは、時の流れと共に変わりゆくのが自然な街並みの中で、フッと拾った一枚の古びた画のように、たたずんでいました。周りは騒音だらけのはずなのに、私の耳からはいつの間にか掻き消え、静寂の中で私を、過去へと誘ってくれました。

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今の時代、写生大会というのは、あまり聞かなくなりましたが、私が小学生の頃は、毎年どこかで開かれていました。あれは確か、私が小学6年生の年、ちょうど今ぐらいの、梅雨の前の初夏を思わせる晴れた日だったと思います。午前中の授業時間を全て使って、小学校から川沿いを歩いて行き、各自が好きな画を写生するという、行事というか授業がありました。夏に出品する写生大会の画を描かせるため、というのは後で知ったことですが、教室で小難しい授業を受けているよりはずっと開放的で、何か遠足に行くのに近い楽しさがありそうで、ワイワイ言いながら皆が、絵の具箱を片手に勇んで飛び出しました。日差しが強い日で、私は白い帽子をかぶっていた記憶が、微かにあります。
川向こうのコンビナートを描き始めたところ、当時担任だった田中先生が、「お~、なかなか上手いじゃないか」と覗き込んできました。「でもなあ、もう少し移動して、この角度から描いた方がイイんじゃないか」とか、「遠くの物と近くの物は塗り方を変えて」とか「筆はこうして・・・」などと、他の生徒そっちのけで個人指導。別段それまで先生とは、親密だったわけでも気に入られていたわけでもなく、むしろ一対一で話したのは初めてじゃないかという私でしたから、ちょっと緊張しつつも、「ちぇっ、なんで俺ばっかり」「うるさいなあ」と思ってしまったのも無理ないこと。友人たちの同情の目を気にしながらも、元々画を書くのが苦手じゃない私は、お節介を感じながらも先生の声に後押しされ、没頭して描いていたと思います。その甲斐あってか、自分としてはなかなか満足のいく画に仕上がったと思って、揚々と給食を食べに学校に戻りました。
その後、その時の私の画が学校の代表として選ばれ、県の作品展で賞を頂くことになりました。2学期の始業式、全校生徒の前で呼び出され、校長先生に表彰状を読まれたことは、嬉しかったというより、恥ずかしい気持ちの方が大きかったように記憶しています。ただその時、担任の田中先生は、その場にいませんでした。
先生は病気で入院ということで、2学期最初から私のクラスは自習時間がほとんどとなりました。自習という事で、喜ばない小学生はまず居ません。たまに他の先生がやって来て授業をするのですが、僅かな時間を我慢すればまた自習になることが分かっていると、苦にもなりません。他のクラスメートからは羨ましがられました。しかし、そんな変な優越感も、1週間、2週間と続くと、やっぱり小学生といえど、いつまでも楽天的気分を続けられるわけでもなく、1カ月も過ぎると、他のクラスへ分かれて臨時編入させられ、私のクラスは分割されてしまいました。そこに至っては、さすがに担任の先生を恨みました。「先生が早く戻ってこないから、俺たちのクラスはバラバラにさせられた」と。そんな恨む気持ちも小学生では長続きせず、それが、「早く戻ってきて、元のクラスになりたい」と懇願する気持ちに変わったのは、きっと全うな事だったでしょう。
年が明け3学期になっても、先生は戻って来てくれませんでした。机と椅子をもって他のクラスで授業を受けていた私たちは、休み時間になると必ず、ガランと何も無くなった元の教室に集まってきました。不平不満を口に出す者はいても、今の状況の方が良いという者は、一人もいなかったと思います。特に申し合わせたわけでもなく、顔を見合わせるためにそこに集まって来るのは、実はお互いが6年1組であることを、確認し合っていたのだと思います。当人たちは特に意識したわけでもなかったですが、それが毎日の自然なことになっていました。
ちょうど卒業式の練習が始まる前でしたから、2月初めの頃でしょうか、先生が戻って来てくれることになりました。その知らせを聞いて私たちは、元の状態に戻れることを、当然喜びました。自分の机と椅子を持って元の教室に戻り、「この間に俺たちが、どんなに悔しい思いをしたか、恨みつらみを言ってやろう」と語り、先生が来るのを待っていました。けれど、結局は誰一人、そんなことを言う者はいなかったばかりか、喜ぶ気持ちも次第に霧散していくようでした。なぜなら、久しぶりに見る先生は、以前とは見違えるようにやせ細り、頬はこけ、顔は青白く、声も出なくなっていたからです。
後で知ったことですが、先生はガンで、闘病生活を余儀なくされ、それでも自分の担任したクラスの事が気になって、無理なのを承知で一時退院し、命を削って卒業式前に戻って来てくれたのでした。自分の事はまったく話さず、出来るだけ笑顔で、私たちの事を気にかける言葉を発する先生の前では、いつもの悪ガキも、お調子者も、そして私も、みんな優等生になり、卒業式を迎えることとなりました。最後のホームルームで、田中先生が私たちに何を語ったのか、思い出せません。卒業後の事ばかりに、目を向けていたからでしょうか。冷静に考えれば分かりそうなことなのに、分かりたくない、そちらへ目を向けたくない自衛本能みたいなものが、無意識のうちに働いていたのでしょうか。卒業式を済ませた小学生の私たちには、気持ちの余裕、いや余裕ではなく、もう少し周りが見れる視野が、まだ無かったのでしょうね。それが先生との最後の別れになることに、誰もが実は気付いていながら、誰一人口に出すことも無く、努めて明るく、前だけを向いて校門を出たと思います。
中学生活にもやっと慣れた頃、私のところにも訃報が届きました。中学生になって急に勉強が厳しくなったこと、部活動に熱を入れ出したこと、そんな新しい生活リズムの中にいる中学1年生の私たちに、それほど深い悲しみは無かったように記憶しています。いや、葬儀で涙を見せていた女の子もいましたから、全員がそうだったわけではないでしょう。ただ、皆で電車に乗って向かう途中、私たちの口々から過去を懐かしむような話は出ませんでした。現在と近い未来にしか目を向けられない、まだまだ未熟な人間だったからでしょうか。人が死ぬということ、それがどんな意味なのか、分かっていなかったからでしょうか。それが証拠に私は、先生との思い出といえば、真っ先にあの画のことが出てくるはずなのに、こんなに時間を経ないと甦らないのですから。
50代でこの世を去らなければならないとは、当時としても早すぎる死だったと思います。その無念さなどは、私などが察するには、おこがましいことでしょう。恩師と呼べるほど深い付き合いをしたわけでも、長い期間一緒に居たわけでもなく、たぶん多くの教え子の中で凡庸な一人に過ぎない私ですから。先生があの日、私に教えてくださって描いた画は、展示後に私の元に戻ってきたはずなのに、今は手元に有りません。先生、まったくどうしようもない生徒で、すみません。けれど、あれから随分と時が経っても、あの日のことがこうして私の脳裏に浮かびあがるのですから、きっと先生は、未熟な私の中に小さくても何かを、植え付けて行ってくれたのだと思います。
今、私の目の前には、あの日私と先生が見つめて描いた、同じ光景があります。いや、まったく同じというわけではないですね、時が経ちましたから。土が見えていた道はアスファルトの道路に変わり、近くに新しい建物も立ちました。そして、私も少し大人になりました。あの日、私の小さな背中越しに眺めていた暖かな眼を、親となった今の私は持っているのでしょうか。分かりません。でもね先生、今の私なら、もう少し上手く描けるかもしれないよ。だって前ばかりじゃなく、少しは振り返れる道程を残してきましたから。

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電動ハブラシ [日々の徒然]

これまでの人生の半分位を医者通いに使っていたのではないか、というくらい、私は歯が悪い(もちろん、自慢ではありません)。一生懸命に磨いてきたつもりなのに、いつの間にか虫歯になる。頭が痛い・腹が痛い、は放っておいても治ることがあるが、歯が痛みだすと、まずそのままでは治らない。仕方なく、なじみの歯医者に予約を入れることになるのだが、何ぶん歯医者の経験に関しては人一倍豊富な私である。あの治療中の身構える隙を与えないチクチク痛みは、人一倍豊富な経験として、潜在意識の中に溢れるほど刷り込まれている。歯医者に行かなければ痛みは治らないのに、予約を入れた日は朝からブルーだし、行けば行ったで待合室では、恐怖心に近い何かが沸々と湧いてくる。治療台に座れば、心はすでに臨戦態勢で硬直しまくり。治療が終わり、歯科医院を出る時のあの晴れやかな気分は、何ものにも代えがたい爽快感。でも、この繰り返しが延々と続くんですよね。子供の頃に比べれば、治療技術も格段に進んでいるので、昔ほど痛い思いはしないで済むのに、どうにも歯医者の治療に慣れることは、たぶん一生涯できないであろう、私です。
そんなに怖いなら、虫歯にならないよう努力すればイイじゃないか、と思うでしょう。私もそう思います。なので、歯医者からもらってきたパンフレットを見ながら磨き方を変えたり、歯間ブラシを試したり、ハミガキや歯ブラシを替えたり、いやカルシウムを摂って歯自体を鍛えようとサプリメントを買ってきたり、といろいろやってきましたよ、これまで。でもね、私の口の中の虫様は、なかなか住み心地がイイのか、根性持ちなのか、働き好きなのか、はたまた実は歯医者の手先なのか(歯科医の先生スミマセン)、居なくなってはくれないのですよねぇ。

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そこで登場したのが、電動歯ブラシ(ここからが本題)。手で磨くのが下手なら、いっそ文明の利器に助けを借りてみよう、というわけで、最初は安い電動歯ブラシを買ってみました(もう10年以上前のことです)。でもねぇ、どうもシャキッと磨けないんですよね。アレコレ試しているうちに辿り着いたのが、ブラウンの電動歯ブラシ。ブラウンというメーカーはシェーバー(髭剃り)の方が知られているかもしれませんが、常に数種類の電動ハブラシがラインナップされていて、上位機種も試したことがあるのですが、どうも私には違いがあまり感じられず、ここ数年はベーシックなものを使っています。充電式なので、充放電を繰り返せば内臓バッテリーの寿命が短くなるのは、デジカメや携帯電話と同様。なので、2年程で買い替えつつ、今に至っています。
今回も近所のディスカウットショップで、「ブラウン オーラルB プロフェッショナルケア500」という製品を買ってきました。現在のメーカーラインナップでは中位ぐらいのモデルですね。
http://oralb.braun.co.jp/products/oral/product/500.html
このメーカーの電動歯ブラシの特長は、先端のブラシが回転するように見えて、実は回転方向の往復運度で、歯と歯茎をゴシゴシと磨いてくれる点です。音波振動の電動歯ブラシの方が今では人気なのかもしれませんが、それがかなり微妙な振動で優しい動きなのに比べ、コレは汚れた食器をたわしで磨くような力強さがあります。なので、最初は痛いと思われる方が多いと思いますが(私もそうでした)、慣れてしまうと、コレでなくてはスッキリしない、と思わせる良さがあると思います。ここで私が、コレいいですよ、と書いてみたところで、もちろん感じ方の個人差はあると思います(特にこうした肌に直接触れるものには)。なので万人に勧められるかどうかは分かりませんが、私はもう他の歯ブラシは頼り無く思えて使えません、とだけ報告しておきます。
欠点は、先端のブラシがやや大きいこと。私は最もベーシックだけど最も小さい先端ブラシが好みなのですが、それでも結構な厚みが有って、それが振動と共に口の中で動きますので、口を完全に閉じた状態で磨くことは、ほぼ不可能。なので、磨いている最中は、口からよだれ&ハミガキがポトポト漏れ落ちることが多く、ちょっと磨いている最中を他人には見せられない事が最大の欠点。家庭内自分専用ですね。まあ歯磨きなんて、滅多に見せるものでも無いでしょうが、その点で女性にはおすすめできないかな。それと、消耗品である先端のブラシ部分のお値段が、本体価格の割には結構すること、でしょうか。
それでも磨いた後に歯や歯茎を触ってみると、キュッキュというスッキリ感が得られて、もうずいぶん長い間このメーカーのものを愛用しています。やっぱり多少なりとも虫歯になりにくくなったような気もしますし、今回また新調したので、しばらくコレでセッセと磨くことにします。ただ、だからといって歯石が全く無くなるという訳ではなく、やっぱり定期的な歯石取りと診断のため、歯科医院には行った方が良いとのこと。実は私、もう一年以上行ってないんですよね。そろそろ行かないと。ウ~ン、何だかまた憂鬱になってきたゾォ....

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