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上書き保存・フォルダ保存 [巷の雑感・時の想い]

パソコンの話ではありません、男女の恋愛のことです。「今どきの恋愛は、女性の恋は上書き保存、男性の恋はフォルダ保存」という格言(?)があるらしいです。そう言われてみれば確かに「言いえて妙」、皆さんも頷ける点が見つかるのではないでしょうか。
50も過ぎたオジサンが、今さら恋愛の事をどうこう書くのは滑稽かもしれませんし、第一に解説できるほどの経験も力量も持ち合わせていない私ですから、あまり突き詰めて考えるのは止めようと思います。ただ、「今どき」という前提はどうかな~、と思ったりします。つまりは、昔(少なくとも私の青春時代)から、実はそうだったのではないか、と。
もちろん一般論ですから、当てはまらない人・該当しないケースもあって当然だと思います。それでも自身を振り返って見れば、う~ん、確かそんなフォルダー有るよなあ、多くないけど、などと思ってしまいました。人として歩みを進めるうちに、自然と許容HDD容量は増えているようで、色褪せない記憶というファイルが、いつでも引き出せる形で残してある(実際に引き出すかどうかは別として)。そんなファイルのプロパティを見てみると、何と40年も前に作成されたものもあったりして。男性の皆さん、そんなファイルをデスクトップからゴミ箱までは移動できても、「ゴミ箱を空にする」ボタンを躊躇した経験、ありませんか?

上書き保存・フォルダー保存.jpg

さて、恋愛という括りは抜きにして、もう少し広げて考えてみます。我々人間は、その人生の中で多くの人と出会い、別れていきます。二度と顔も見たくない・思い出したくもない人も当然いるでしょうし、辛い別れをした人・今でも遠くから友好を温め合う仲の人もいるでしょう。大学まで進学するとして都合16年(幼稚園も含めれば更に)の間、毎年のようにクラスメートとして大小の出会いや別れがあり、社会に出ても、仕事上で、近所付き合いや地域の活動で、子供の保護者として、様々な人たちと出会って別れていきます。その数は、勿論人によって違うでしょうが、とても数えられるような数ではないと思います。その中で、苦楽を共にし、時に共に泣き、笑い、自らの意志をぶつけ合ったり共有したりした人達、いったいどのくらい居るでしょうか。
人間ですから、時と共に自らの考えや志向も変り、それはまた相対する人の自分へ向けられた眼も、時とともに変わっていくでしょう。幼い頃の友情が今は滑稽に思えたり、共に力を合わせていたつもりが実は妥協の産物だったことに気付いたり、大切な絆と思っていたのに相手から見れば逆だったり、といったことは珍しくもないでしょう。それでも人は、一人では生きられません。そんな周囲の人との織りなすやり取りを続ける中で、出会ってもほとんどが過去に流れ去ってしまう中で、喜怒哀楽が生まれ、感情の交差が生まれ、記録or記憶という名か、想い出という名か、いづれかのフォルダーに書き込まれていく人もいます。その数は、ゴミ箱に入れられ消去された数に比べれば、ずっと少ない、遥かに少ないはずです。
私自身の事を申せば、特に人付き合いが得意な訳でも、常に多くの友人に囲まれていた訳でもなく、逆に、人見知りがちで、積極的に周りと親交を持つことに躊躇い、それでもストイックに孤独を愛するほどの強さは無く、そういった意味では随分中途半端な凡人だと自負しています。それでも、半世紀近くこの世で過ごしていると、このフォルダーは空ではありません。随分昔に入れたまま放置されたものも、最近になってデスクトップから移されたものもあります。それらは皆、その時の自分の成熟度や環境によって左右されたとしても、私には意味有る人達です。しゃにむに前ばかりを見ていた頃は、「とりあえず保存」したままだったのに、最近フッとこのフォルダーを開くことがありました。でもそれは、過去を懐かしむこと。過ぎ去った過去を振り返るより、まだ未定の未来へ目を向けるべきだ、との声が、私の耳に届きます。確かにそうでしょう。でも今の私は、否と言えます。過去に私に影響をもたらしてくれた人達、彼ら彼女らが居なければ、今の私は無かったのです。彼ら彼女らのお陰で、今の私が居るのです。過去にとらわれて未来を狭くすることは間違いでしょう。でも、自分の過去を捨て去ることもできないのです。振り返ってばかりで前に進まないのは間違いでしょう。でも、過去に積み上げた上にしか、未来は築けないと思うのです。
ただそれは、私側の理屈になってしまうこともある、と承知しています。迷惑だと感じていた人もいたかもしれないし、私との繋がりは過去のもの、と絶った人もいました。それは個々人が、それぞれに意志と趣向が有り、置かれた環境も違い、目指す道が様々有り、人が人である以上、仕方が無いことです。私の自我を押し付ける訳にはいきません。潔く消去ボタンを押すべきです。「記憶」を「未練」に書き換えてはダメなのですから。
友達となり、クラスや学校が変われば疎遠になっていく、それが自然なことだった40年前の私に初めて、人と別れるという事を考えさせてくれた人がいました。その時は自分でも気付いていなかったけど、理解してそうしていた訳ではなかったけれど、振り返って見ればそれ以来私は、一度心を許した人との絆を、なるべく失わないように努力してきたように思えます。その数は決して多くは無い。出会い別れた人達の数からみれば、僅か0.1%にも満たないでしょう。でも、その彼ら彼女らは、今の私を成してくれた、何ものにも代えがたい人達です。たとえ遠く離れていても、もう何年も会っていなくても。
他の人から見れば、指をさされ笑われる事かもしれません。それでも私は、そんなフォルダーを持つことを、恥とは思っていないのです。

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