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サッカー撮影38(撮った実感) [サッカー撮影]

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「サッカーを撮る」ということは殆どの場合、試合中の選手を撮るということと同意だ、と以前書きました。ただ単に、立っている選手、走っている選手を撮っただけではサッカー撮影とは言い難いので、基本的にボールを追い、それに絡む選手の表情や動きの躍動感を撮るということなります。広いグランド内を予測なく前後左右に動き回る選手とボールですから、それを狭い画角の望遠レンズで捉えることは簡単ではありません。ただそうして集中力を高め、狙ったシーンを狙ったタイミングでシャッターを切れた時、「撮った!」という感触を得られることが有ります。

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デジタルですから、メディアの許容範囲内で何枚でも撮れます。それに対するコストはかかりません。最近の機種は連写性能も高いですから、そんな連写を使えば望むシーンが得られる確率は高まると思います。しかし、ただダラダラと撮ったのでは、家に帰ってパソコンで成果を確認しても、さしたる結果を見つけられないことが多いです。試合中の選手と同じように、集中力を高め、選手の動きを読み、彼ら彼女らの懸命のプレー、必死の表情を追い、それをボールと選手の織り成すベストな構図でシャッターを切れた時、「撮った!」という実感が得られることがあります。または、試合前に思い描いたシーン、これまで撮りたくてもなかなかチャンスに恵まれなかったシーンをものにしたとき、「撮った!」という実感が得られることがあります。一試合を撮り終えて、この「撮ったという実感」が何度かあれば、まずまずの撮影結果が残せたはずです。逆に、この実感が得られない、この実感を経験したことが無い、といった場合は、更なる努力と集中力が必要だと言えます。
もちろん、そんな感触を得られたとて、家の帰って確認してみれば、ピントが来ていなかったり、一瞬の遅れで望んだ構図が得られていなかったり、選手の表情がイマイチだったり、といった、実感と結果がイコールならないことは、勿論有ります。それはまた反省材料として、今後の糧にすればよいのですが、ここで私が言いたいのは、ビデオカメラではありませんから、ただ連写機能に頼ってダラダラと撮っても、偶然は有っても、実感は得られない、ということです。

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また、「撮った!、けどピントが来ているだろうな?」と、その場で確認する余裕も無いのがサッカー撮影。試合中プレーは止まらず、次から次へと撮るべきシーンが出ては消えていきます。撮った実感を確認する間も無く、次の実感を求めてグランド上に散らばった宝探しを続けなければなりません。人間の頭はマルチCPUです。今このポジションで撮って正解なのか、この設定で撮って正解なのか、そんな自問自答を頭の隅で行いながら、左目でグランドを見渡し、右目でファインダーで狙いを定め、シャッターボタンに掛けた指先に集中力を高めます。その行為を続けることは、結構な体力(筋力ではありません)を必要とし、故に「スポーツ撮影はスポーツ」と言われる所以です。そうしなければ、選手が勝利と同時に得られる達成感と似た、「撮った実感」というものは得られないのです。

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反対に、「撮り逃がした!」という後悔もあります。自分が思い描いたシーンがやって来たのに、思わずファインダーから目を離して裸眼で見てしまった。撮影ポジションが中途半端だったために、貴重なシーンが選手に隠れてしまった。もう一呼吸連写開始を早くすれば撮れたかもしれない。そんなマイナスの実感を得てしまう場合もあります。それでもプレーは止まりません。その場で反省している暇はないのです。反省は家に帰ってからです。次のシーンは撮り逃がさないよう、気合を入れ直すしかないのです。それもまた、試合中の選手と同じです。

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再度言います。デジタルだからといって、ただダラダラと撮っていては、撮った実感など得られるはずはありません。実感が得られたとて、結果が必ずしも望んだとおりとは限らないのです。撮り手のその「実感レベル」も上げていかなくてはなりません。楽をして甘い果実を手に入れる方法は、やっぱり無いと思うべきです。真剣勝負の場でしのぎを削り、切磋琢磨して選手が育つように、我々撮る側もまた、真剣に挑まなければ、実感と上達は無い、ということでしょう。

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