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フォトコンテストの落選作 その2 [写真・撮影]

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フォトコンテストに応募する画の選択について、今回は考えてみようと思います。
当たり前ですが、狙ったところにピントが来ていない、作画意志の無い極端なオーバーorアンダーな露出、手ブレした画、意味のない被写体ブレの画など、自分で失敗作と思うものは論外でしょう。稀に、自分では失敗と思っても、見る人が見れば秀作になることもあるかもしれませんが、それはここで論ずるには値しないと思うので、省かせていただきます。
上の写真は、高校生サッカーの試合中で撮ったものです。撮影者(私)は、黄色のユニフォームの選手を撮りたいと思い、その動きを追い、AFでピント合わせをしてシャッターを切りました。狙ったとおりの画が得られた訳ですが、ではこの画を応募作として選べるでしょうか? 答えは当然、NOですね。サッカー撮影は多くの場合、サッカー選手のプレー中の人物撮影、と以前書きましたが、写っているこの選手の写真としてはOKでしょう。重要な試合で撮ったものであるならば、貴重なものになるかもしれませんし、被写体本人に渡してあげれば喜ばれるかもしれません。しかし、作品としては決定的に何かが欠けています。それは何かというと、第三者に「見せたいもの」が感じられないことでしょう。この選手も、この試合も知らない人に、サッカーという競技に疎い人にも、撮影者自身が写真という媒介を通して伝えたいものが感じられなければ、たとえ狙ったとおりに撮れたとしても、応募作には成りえないと思います。

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では、見せたいもの・伝えたいもの、とは具体的にはどういったものでしょう。選手の必死の表情でしょうか、体全体からみなぎる力感でしょうか、敗戦の心情でしょうか、爆発した歓喜の表現でしょうか、それとも滅多に見られない貴重なシーンでしょうか、印象的な色合いでしょうか、優れた作画技法でしょうか。見せたいもの・伝えたいもの、は実に多岐にわたります。無限に有ると言ってもいいくらいです。例えば、今年のキヤノンフォトコンテストではタイトルに、「一枚の感動、待ってます」と書かれています。昨年は、「見つけたものはなんですか?」でした。それが無いと、いかに良い写真でも「作品」にはならず、応募作として選ぶことはできません。無限に有ると思われるそういったセンスを秘めているか否かが、まずは作品=応募作に成りえるかの基準となると思います。
例えば風景写真などで、フォトコンに出したいから、そんな作品を求めて今日は撮りに行く、ということが、実際にあります。けれどサッカーを撮っているアマチュアカメラマンの方々の多くは、特に自チーム撮りをしている方々は、作品のみを狙った撮り方をすることは、なかなか難しいことです。ただ、普通に選手を追いながらも、撮るに当たってそうした「作品」というイメージを頭の片隅に置いておくことが、後日に実を結ぶこともある、ということでしょう。上の写真はゴールを決められてしまった直後のゴールキーパーの写真ですが、これとて彼女がこうしたしぐさをしたのは、僅か1~2秒のことで、その瞬間を撮らなければ得られない画です。とても静的な画に見えますが、これも一瞬の判断を要します。

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フォトコンテストに送る応募作を選ぶにあたっては、そうした眼で選ぶことになります。しかし、写真は「芸術」として認められていますが、「記録」としても使われます。フォトコンテストでは主に前者の部分を重視してランク付けされますが、そこでランク漏れしたとしても、後者の側面で価値が見出せれば、落選作=価値の無い写真、とはなりません。
ただそう書くと、何でも残したがる方がいらっしゃるのではないかと推測してしまいます。今はデジタルカメラで撮られている方がほとんどでしょうから、一年を通じてサッカー撮影をすれば、膨大な枚数になると思います。失敗作は削除対象です。後にも先にも利用しないであろう画を、残して置く必要は(HDDの単価が安くなったとはいえ)ありません。残すのは、撮影者自身が意図して残す画のみです。そうでなければ、たとえ後になって価値が見出せても、愚作の中に埋没して見つけられない危険性が大きいことを、ここで付け加えさせてください。

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