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新パソコン導入記(その1) [パソコン]

さて、既にお気付きの方もいらっしゃるかもしれませんが、前回の記事は前フリです。

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私の場合、現在最もよく使うもの、といえば、カメラでも携帯電話でも車でもなく、パソコン(PC)です。撮影しない日はあっても、PCの電源を入れない日はありません。仕事に趣味に情報収集に、一日数時間は普通、時には睡眠時間以外はずっと、というほどパソコンの前に居る時間が長いのです。現在のメインパソコンは、2009年年頭にBTOにて購入したもの。サブのGatewayは愚息1号の下へ、サブサブ機のノートPCは愚息2号の机の上に鎮座しており、結局このBTOパソコンが現在唯一の私のパソコンです。
購入して半年後に、Seagate HDDの不調によりメーカー(というかショップ)送りになってことはご報告しましたが、それ以降は快調で、手に入れやすいタワー型のデスクトップであることを活用して、その後もいろいろ手を加えてきたことは、このブログでもご報告しました。特に2011年末にSSDを導入してからは更に快適。特別大きな不満も無く、今日まで頑張ってくれています。これもBTO(build to order)によって、その当時に納得できる性能のものを手に入れたお陰なのだと思っています。しかし、まもなく丸5年を迎えるとなると、壊れる前に対処を、との思いが浮かんできます。何しろ、現在はサブ機が無い状態ですから。
そして決定的だったのは、愚息1号からの申し出でした。昨年のキヤノンフォトコンテストの副賞である、Kiss X6iが愚息の下に渡ったことは、このブログでもご報告しました。それまでのKiss DXでは感じなかったのに、X6iになったらとにかくRAW画像を開くのが遅くてイライラする、RAW現像にも時間がかかる、と。そりゃ1000万画素が1800万画素になったのですから、2007年製Core 2 DuoのGateway君にはちょっと荷が重いか。それならばそれを引き揚げてきて、このBTO君が元気なうちに愚息の下へ送れば、とりあえず愚息の不満は解消できそうだし、私もサブパソコンを持てる、もちろんメイン機は思い切って新調して、Intelの新CPUも値が落ち着いてきたことだし、円安傾向はこれからも続きそうだし・・・、と一気に現実的計画に突入!

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PCの設置場所は確保できてますから、性能重視・後から手が入れやすいデスクトップPCが前提です。今回はBTOから一歩踏み出して、自作パソコンに挑戦、と最初は思っていました。当然不安はあります。何といっても初体験、失敗したらどうしましょ、近くに聞く人も居ないし。でも、限られた予算を効率的に、パーツ単位で選びたいし。う~ん・・・と悩みながら、いつもお世話になっている近所のパソコンショップに出向いて、いろいろ物色していると、「組立サービス」という張り紙に注目。OSのインストールまでやってもらうと20000円也だが、単に組立だけだと8000円。OSのインストールは、以前SSDを導入した際に体験済だし、そんなに難しいとは思わなかった。逆に、CPUをマザーボードに取り付けたり、ケース前面パネルをマザーボードに配線したりするのは難しそう。で、店員さんにこの「組立サービス8000円也」のことを聞いてみると、選んだパーツを全て組み立てて、BIOS(今はUEFIと言うそうな)がきちんと出るまではやってくれる、ついでにメモリーに不具合が無いかのチェックも、とのこと。自作体験済の方には、その程度に8000円?と思われるでしょうが、未体験者の私としてはリーズナブルかな、と思えたのでした。
で、早速その店員さんに助言してもらいながら店内を回ってパーツ選びです。まずはCPU。これはIntelの新型Haswell、CORE i7-4770で決まり。予算が限られるので、CORE-i5で我慢しようかな、とも思ったのですが、ここで妥協すると後で後悔しそうなので、初志貫徹。次は・・・

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購入尺度 [巷の雑感・時の想い]

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お金の使い方というのは十人十色。どれが正解、というものは無いのかもしれません。生きていく為に、家族を支えるために、どうしても必要な経費は別としたら、それ以外の使い道は当人にしか決められない事、いや、当人の権利と言ってもよいかもしれません。ということは、主観ということになります。
私が幼い頃、親に「買って!」とねだった時に決まって言われたのは、「それ買って、本当に使うの?」でした。今も昔も、そうした小学生年代というのは、何にでも興味を持ち、それ故に移り気で、いつの間にか部屋の片隅に放って置かれる物が増える歳頃です。決して裕福ではなかった我が家では、ねだれば何でも買ってくれる訳でもなく、決まってそう言い返されることが普通でした。そうやって幼き頃に呪文のように言われ続け、しっかり脳裏に刻みこまれた私は、いつの間にか物を買う尺度が、「どれだけ使うか」という観点になってしまったのも無理無いこと。それが延々と今日まで続く、私の購入尺度になってしまっているのですから、幼い頃の記憶とは実に影響大であります。
その「どれだけ使うか」にしても、個々人によって大きく違うでしょう。かばんや財布を擦り切れるほど使う人には、買い替える際には、よく使うものだから多少高価であっても良いものを、と考えるのは尤もな事のように思えます。野球のグローブ、テニスのラケット、サッカーのスパイクも、ボロボロになるまで使い込んでくれれば、それを買ってやった側としても、満足いくお金の使い方だったと思えるのではないでしょうか。逆に、興味を持って手に入れたとしても、2,3日で飽きて部屋の片隅に追いやられているのを見ると、無駄使いしたと思えることもあります(使わなくても、無くては困るというものは別として)。そう考えると、随分昔に幼き私に刷り込んでくれたこの購入尺度は、意外に真を得ているのかもしれません。
ウチの子供たちにとって携帯電話は生活必需品になってしまった感がありますが、私などは、「電話が繋がればいい」という方で、電池の持ちが悪くなったiPhone 4を使い続けていますし、「たかが趣味に」と言われることもあっても、カメラやレンズにつぎ込んだ費用を、未だにちっとも惜しいとは思っていません。使用頻度といっても、単に使用回数や使用時間といった基準のみで計ることはできず、仕事の内容・生活リズム・興味の大小・美的センス・可処分所得の多少・知識などなど、その人それぞれで大きく左右され、果たしてこれが公明正大な購入尺度なのか、と疑問が生じることもあって、これが永遠不滅な尺度と言う自信はありません。物の購入というのは、実は一方向のみで決まるのではなく、様々な観点や要素のよって現実的には決断されるもので、それに時代の流行や価値観の変化なども考慮に入れたら、もう訳が分からなくなります。そう考えるなら、不確かなものに定規を当てているのと同じで、所詮は「買ってしまった後の言い訳の尺度」ではないか、とも思えてきます。
まあ、どんなに価値を見出し、使用頻度が高そうで、夢を膨らませても、資金が無ければ泡と同じで、そんな尺度など霞んでしまうのですがね。

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丹波篠山 [異国・旅・旅行]

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昨日は私のBirthdayでありまして、まあこの歳になってしまえば、特別嬉しくもないのですが、家族がこれを名目に、日帰りバス旅行に誘ってくれました。行き先は、丹波篠山です。

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天候は、普段の私の行いを反映してか、台風接近前の雨。これはしかたないですねぇ。兵庫県といっても京都府に接している篠山市ですから、バスでこちらから向かうとしても、名神高速道路経由で一般道の山越えを経て、山間の盆地に到着。江戸時代初期に西国への押さえとして作られたという篠山城が街の中心部にあって、立派な石垣が今も残っています。この城を中心として、周囲には当時の面影を残す建物や街並みが観光名所として残っています。一時間ほど散策したのですが、確かに今は殆ど見なくなった板塀や白く塗られた土蔵などが目につきます。ただ、いざ写真を撮ろうとすると、どうも無粋な電柱やら電線が入り込んだりして、観光名所としての整備にはまだ中途半端感がありますね。

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この古い街並みに本屋さんを発見。そういえば私の子供の頃は、こんな店が近所にあったなあ、とパチリ。中には入りませんでしたが、入れば何十年か前にタイムスリップしそう。

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このツアーの目玉は、丹波牛のすき焼きとマツタケご飯の食べ放題でしたが、それはシッカリと頂きました。他には、地元名産の黒枝豆狩りと栗拾いがイベントとして含まれているのですが、生憎の天候で、お土産として頂くことにだけなってしまったのは、ちょっと残念でしたね。

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更に強くなる雨の中、途中渋滞にも巻き込まれながらの帰途の途中、ツラツラと考えること暫し。もう人生の折り返し点をとっくに過ぎてしまっているであろう身としては、この先に若人のような夢を描くわけにはいきますまい。それでもこうして、周りに祝ってくれる人たちがいる事こそが、これまで何とか生きてきた証なのだと、感じた日でした。

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お待たせしました [巷の雑感・時の想い]

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先日、あるコンビニエンスストアに行ったときのこと。
駐車場がかなりの車で埋まっていたので、店内が混んでいることは、容易に想像ができた。サッサと目的のものを見つけた私は、2つあるレジの一方の列に並んだ。ご存知のことと思うがコンビニは、閑散期は1つだが、忙しくなるともう一つのレジも開けて対応するのが通常だ。私が店に入った時は、既にレジは2つ空いていて、2列の客列ができていた。このレジとレジの間のスペースにも、最近では調理済の商品などを置く店がほとんどで、ちょうどその時も商品を覗きこんでいる男性が一人。
「お待たせしました、次の方どうぞ」
という店員と、その男性とが偶然目が合ったものだから、その男性が商品を指さし、金銭を払って出て行った。
「お待たせしました、次の方・・・」
という店員の声をかき消すように、その女性は猛然と言い放った。
「あなた、私が並んでいたの、気付かなかったの!」
「あっ、すみません」
という店員の言葉などに耳を傾けず、店内に響き続ける声で、延々と続ける。
「ここの店はどうなっているの! どういう教育されているの!」
「レジの真ん中に並びなさいっていること! どこの店でもそういうやり方なわけ!」
「お客を平等に扱いなさいよ、あなた!」
アルバイトと思しきその若い女性店員と、30代のように見えた女性客の間には店のカウンターがあるのだが、半ば身を乗り出すようにして、吠える吠える。店員はもう、消え入りそうな声で、「申し訳ありません」と言うのが精一杯。当然、私を含む店内の客は皆、その光景を凝視することになるのだが、それが延々と続いたものだから、連れていた4~5歳の女の子はその視線に怯えたのか、吠える母親の足にしがみついてしまっていた。ようやく溜まったものを吐き出した女性客は、今度は勝ち誇ったような表情で、ゆっくりと注文をしだした。当然、その吠える女性客の後ろに並んでいた客達は、更に長い時間を強いられることとなり、もう一方の私の列に移ってくる人もいて、レジの混雑が解消するまで長い時間がかかったことは言うまでもない。そして、精算を済ませた客たちのほとんどが、その女性客に対して同情ではない眼差しを向けて出ていく。私はこの女性客が連れている子供が、ちょっとかわいそうに思えた。
確かに、列に並んでいなかった客を先に精算してしまった店員に、過失を認めない訳にはいくまい。しかし、たとえそうだとして、それによってこの女性客が待たされた時間は、いかほど増えただろう。僅か1分程だと私は思った。それに比べこの女性客の抗議行動は、その数倍にも達した。つまりこの女性客、その後ろに並んでいた客に対して、先の割り込みをしてしまった男性客の数倍にも及ぶ迷惑をかけていたのである。この女性客の行動を是とするなら、その後ろに並んでいる客には、その数倍も抗議する権利が有る、ということになる。いや、その女性客の直後に並んだ客だけではない。一つのレジを占有してしまったのだから、もう一つのレジに並ばなければならなかった客にも当然影響が有ったはずだし、そう見れば、レジに並んだ客全体に程度の差こそあれ、時間がかかった、という影響が有ったと考えるのは、不自然ではないだろう。それならば、この店でその時にレジに並んでいた客全員の不満は、アルバイト店員の一瞬の不注意のみに責任を押し付けて良いものだろうか。
国際社会において日本人は、権利を主張するのが下手な人種だとの通説が有る。古来、沈黙を美とする側面もあったし、奥ゆかしさを讃える習慣もある。狭い島国である日本で、多くの人が肩寄せ合って生活しているのだ。肩が触ったかどうかで、主張し合ってもしかたない面はあると思う。広大な領土を有する国に住む人々や、地続きの国境を巡って抗争を繰り返してきた国に住む人々とでは、違うのかもしれない。でも、違って良いではないか。ここは日本。そして、私は日本が好きだ。
数分前まであんなに大声で吠えていた女性客は、他の客の視線にようやく気付いたのだろうか、我々の方には一度も顔を向けようともせず、むしろ顔をそむけるようにして店を出て行った。気付いたのなら彼女もまた、日本人である。

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