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チーズケーキ [物語]

2011年(平成23年)3月11日。それは多くの尊い命が失われ、我々日本人が忘れてはならない、東日本大震災が起こった日です。そしてその日は、震災から遠く離れた処に住む、ある6歳の女の子の誕生日でもありました。
翌年小学生になったその女の子は、誕生日が来るのを心待ちにしていました。一年に一度の誕生日、その日に期待を膨らませない子供はいないでしょう。至極全うなことです。しかし小学校では、震災のあったその日が近づくにつれ、震災の悲劇を説く話があちこちから聞こえ、災害時の心構えや行動を説く時間が長くなり、失われた命に黙とうを捧げることになったりして、誕生日の晴れやかな雰囲気をその子から奪っていったのでした。小学1年生の子が、テレビのニュースを凝視したり新聞を読んだりはしないでしょうが、自分の周りの雰囲気が重くその子の心に圧し掛かったことは事実です。そういったことに、子供は訳もなく敏感なのです。「私の誕生日なのに・・・」、何度そう呟いたことでしょう。それに気づいた母親は、これではいけないと思い、家では努めて明るく、「誕生日のプレゼントは何にしようかなあ」などと話しかけていたのですが、とうとう誕生日当日になって、その子の心は破裂してしまったようでした。「もう私、誕生日なんかいらない!」、7歳の女の子にとってそう言うのが精一杯で、後は泣きじゃくるしかなかったのです。
年が変わっても同様でした。3月11日は被災・震災・防災、被災した人々を思いやる日、失われた命を尊ぶ日。追悼一色の教室の中では、自分の誕生日を他人に言う事すら抵抗感があり、その日が近づくにつれ、その子から笑顔を奪っていくのでした。そんな我が子を間近で見ていた母親は、せめて我が家だけでも人並の誕生日を祝おう、と苦慮していました。プレゼントもいらない、食事も欲しくない、そういう我が子を案じていました。そうしてたどり着いた唯一のものは、あの子が好きなチーズケーキを誕生日の祝いとして家族で食べよう、というものでした。高価でもいい、飛びっきり美味しいチーズケーキを。そう思ってインターネットで探したところ、ある一品が目に留まりました。これしかない、と母親は思いました。しかし残念ながら、それは北海道でしか売られていない。しかも、見つけたその日は誕生日の前日だったのです。製造元の店に電話を入れ、どうしても欲しい訳を話して、「何とかできでしょうか」と伝えても、やはり回答は予想通りでした。北海道からお宅まで、どんなに急いでも翌日には届かない、と。
その8歳を祝う誕生日の日、その子はいつも通りの時間に帰宅しました。いつも通りではなかったのは、彼女の表情。たぶん学校でも、震災の話題で一杯だったことでしょう。そう彼女から窺い知れました。もう早くこの日が過ぎて欲しい、そう顔に書いてありました。明るく、そして普通にふるまうことで精一杯の母親。そんな家庭に玄関のチャイムが響いたのは、もう暗くなった頃でした。応対に出た母親の前には、見知らぬ男性が大きな袋を持って立っていました。そして静かな口調で、笑みを添えて言いました。「宅配便で送ったのでは間に合わないので、持参いたしました。お誕生日おめでとうございます」。その刹那、言葉が出ず、ただただ深々と頭を下げる母親の眼から大粒の涙。駆け寄る娘もそれを見て、知って、声を上げて泣きました。でもそれは、去年この日に流した涙とは全く違う涙だったことは、言うまでもないことです。
最終の飛行機で北海道へ戻らなければならないので、とだけ言って、包みを渡すと、そそくさと立ち去って行ったのは、あの店の社長さんでした。包みの中には、カットしていない直径12cmの、あのチーズケーキが10個も入っていました。その夜、家族で食べました。その子にはまだ笑顔は無く、でも神妙に口に運んでいました。何か大切なものを食べている、何か大事なことに触れたような、そんな表情に母親には見えました。翌日、取り乱してしまって謝辞も満足にいえず、更に代金も支払わなかったことを恥じた母親は、その店に電話を掛けました。「旅費も含めて支払わせてください」というと、応対に出た女性の方が、優しげに言いました。「飛行機で行って良かった、って、主人は大変満足気に帰ってきましたよ。それでもう充分代金をいただいたのではないかしら」。
翌年、3月11日の誕生日には、あのチーズケーキを食べようと決めていました。それはもう即決でした。母親も子も、笑顔で決めました。今度は手を煩わせないよう、一週間程前に電話で購入申し込みをしました。「はい、もう準備はできていますから、大丈夫ですよ」との返事が返ってきました。そして9歳の誕生日前日には、昨年と同様、何と10個のチーズケーキがテーブルに並びました。「誕生日おめでとう」のカードと一緒に。でも、なぜ10個なのでしょう。とても一家族では食べきれないことは、分かっているはずです。送り主は何も言いませんが、実はそこに想いが込められているのです。その家族だけでなく、その子の周りの親しい人たち、その人たちにも食べて欲しい、そしてこのチーズケーキを食べることで、その子の誕生日を祝ってやってほしい、「誕生日おめでとう」と言ってあげて欲しい、そんな気持ちが10個のチーズケーキになったのです。
巷では、10歳の誕生日のことを「2分の1成人式」として祝うことが流行っているらしいですね。その子も今年で10歳になります。昨年同様、北海道からチーズケーキが送られてきましたが、2分の1成人式ということで、通常のものとチョコレートを加えたものの2種、計30個も送られてきたそうです。「頂き物で悪いんだけど、そんな訳で縁起物だと思って、もらってくださる?」と家内に手渡されたチーズケーキが、いま我が家の食卓にあります。見た目も実に繊細で、職人技を感じさせますし、口に入れれば濃厚なのにくどくない、スッと溶け広がるやさしい味がします。これは美味しい。私がこれまで食べたチーズケーキの中で、間違いなく最高のものです。もちろん口に入れる前に、「誕生日おめでとう」の一言は欠かしませんでした。そしてきっと今頃は、あの家庭でも同様の言葉が交わされていることでしょう。きっと笑顔で。

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