今年も「ありがとうの日」 [巷の雑感・時の想い]
すっかり紫陽花の季節になりましたね。街のあちこちで見かけるようになりました。
そして今年も「ありがとうの日」がやってきました。
6月6日は誕生日でも、記念日でも、命日でもなく、「ありがとう」と思う日にしたいと思います
昨年も同じことを書きました。そして今年も同じことを書きます。同じ気持ちだからです。
ちょうど4年前のこの日、ICUのベッドに横たわる息子の姿を見て、
「これから先の私の人生は、この子の手となり足となろう」
そう思いました。
車椅子を押して、この子の行きたい所へ連れて行ってあげよう、
箸やスプーンを持って、この子の食べたいものを口に運んであげよう、
そう決意した日でした。
その日から今日で丸4年、息子は何不自由なく学校に通っています。
今日もボールを追って、砂埃のグランドを走っています。
身長は私を追い抜いてしまい、私の倍ほどの量を毎日食べてます。
そして私は、いつも通り、サッカーを、息子の姿を撮り続けています。
嘘のようです。夢のようです。
これを幸せと呼ばずして、何をそう呼べばよいのでしょう。
今では、あの事故の事を知らない友人やチームメイトも多くいます。
でも私の脳裏には、今でもしっかり刻まれています。
だからこそ、今日も心底から、「ありがとう」と言えます。
ありがとう。
今年もそう言えることに、ありがとう。
これまで支えてくれた皆さんに、ありがとう。
そして来年の今日も、ありがとうと言いたいです。
そして今年も「ありがとうの日」がやってきました。
6月6日は誕生日でも、記念日でも、命日でもなく、「ありがとう」と思う日にしたいと思います
昨年も同じことを書きました。そして今年も同じことを書きます。同じ気持ちだからです。
ちょうど4年前のこの日、ICUのベッドに横たわる息子の姿を見て、
「これから先の私の人生は、この子の手となり足となろう」
そう思いました。
車椅子を押して、この子の行きたい所へ連れて行ってあげよう、
箸やスプーンを持って、この子の食べたいものを口に運んであげよう、
そう決意した日でした。
その日から今日で丸4年、息子は何不自由なく学校に通っています。
今日もボールを追って、砂埃のグランドを走っています。
身長は私を追い抜いてしまい、私の倍ほどの量を毎日食べてます。
そして私は、いつも通り、サッカーを、息子の姿を撮り続けています。
嘘のようです。夢のようです。
これを幸せと呼ばずして、何をそう呼べばよいのでしょう。
今では、あの事故の事を知らない友人やチームメイトも多くいます。
でも私の脳裏には、今でもしっかり刻まれています。
だからこそ、今日も心底から、「ありがとう」と言えます。
ありがとう。
今年もそう言えることに、ありがとう。
これまで支えてくれた皆さんに、ありがとう。
そして来年の今日も、ありがとうと言いたいです。