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さよなら シンデレラ [物語]

「ねぇ、ディズニーランドに行かない?」
フォークに絡ませたカルボナーラを口に運ぼうとした時だった。全く絶妙なタイミングで、全く想定外の言葉が振ってきた。
「ねぇ、そうしよう?」
覗き込むように言う微笑みには、彼女らしい悪戯心が潜んでいるのには気付いたが、平然と受け流せるだけの度量を、その時の僕は持ち合わせていなかったのも事実。きっと彼女の目論見通りの表情をしていたに違いない。
「今から?」
遅めのランチを有楽町のオープンカフェで取っていた時だった。この日の為に考えてきた僕の計画など、会ってものの十数分で吹っ飛ばしてくれた彼女の言葉は、でもしかし、数分の時間を加えれば、常識的ではなく意外であっても悪くない。それじゃあ、と目の前のものを手早く片付けた後に東京駅へ向かう。僕の左肩の数十センチ向こうに、いつものように彼女は居た。そして斜め横に向かって掛ける僕の言葉に応える笑みも、いつもと同じだった。
東京ディズニーランドが出来た当初は、バスや車で行くしか交通手段が無かった。僕達が最初の訪れたのもバスだった。今では京葉線舞浜駅が出来て、東京駅から十数分で着く。その東京駅は平日の今も、足早に歩く無数の目的を持った人達の大小の列が交差していた。勿論、日本有数のターミナル駅に違いなかったが、地方都市からこの地にやって来た僕にとっては、最初に降り立った駅であり、ここに来る度に、あの時の無知で田舎者の自分の姿が脳裏をかすめるのは、たぶん僕のセンチメンタルなのだろう。それが証拠に、同じ境遇の筈の彼女は、スタスタと地下へと続くエスカレーターを目指して歩みを止めない。東京駅最深部かもしれないホームに降り立てば、タイミングよく電車が滑り込んで来た。車内は、平日の昼下がりの割には少なくはない。
「最初に来た時は、ガイドブック買って、前日にいろいろ計画したよね」
「そうそう、あの頃はどこの本屋にも『TDL攻略本』っていうのが有ったなあ」
本当は貴重な一日の筈なのに、いつの間にか彼女のペースにはまってしまった不甲斐なさを感じなかったのは、きっとこの笑顔故だろう、と思った時、車窓がパッと明るくなった。地上に出た電車は、もうすぐ春だと告げる日差しの中を進んでいった。

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友人の紹介、一言で片づければそういうことなのだが、実際は面倒な話が来たものだと思った。大学に進学して、この大都会の片隅に独り身を置く術を得て、やっと自由にこの街を歩けるようになった頃だった。しかし、旧知の友人の頼みとあれば、無下にはできない。顔も分からない、名前しか知らない二人が落ち合える場所として、池袋駅のホームの一番端、そんな殺風景な所を指定したのは、積極的に会いたいという反対の意味を込めたつもりだったのだが、それでも最初から彼女は笑顔だった。傍らの喫茶店で二、三時間も話しただろうか。その間彼女はずっと笑っていた。特に面白い話をした訳でもその意図も無く、ただ普通に会話しているつもりだったのに、時に涙を浮かべるほど、彼女はずっと笑っていた。生まれた地も育った環境も目指す方向も全く違う二人なのに、緊張感みたいなものが数分で飛び去ってしまった、不思議な出会いだった。ただ僕はその時、花のように笑う人だな、と思った。
故郷が遠くに思えるようになった頃、僕の左側に何時しか花が咲くようになった。時に意外な言動で驚かされることはあったが、他愛も無い動機からであり、時に意地っ張りな彼女と衝突したことはあっても、結局はそれを受け入れる寛容さを求められているのだと知ることになった。ただ彼女は、過去の事は殆ど話したがらなかった。それに気付いた僕も、敢えてそこへは踏み込まない。付き合うということは一心同体になることではない、そう思ったから。
僕らがアルバイトを始めるようになったのは、それから少し経ってのことだった。地方から東京に出てきた二人、親からの仕送りが有るとはいえ、この大都会で自由を謳歌できるほどの額である筈も無く、どちらかと言えば貧しい大学生活だった。バイトで少しづつお金を貯め、二人で旅行に行くのが目的であり、それは半分は叶ったが、半分は結局あきらめることになった。

現在は、舞浜駅前にはディズニーランドの土産物店やそれらしいオブジェが並ぶが、まだそんなものができる前のこと。広い歩道橋と広場の先にチケット売り場とゲートが有るだけだった。さすがにこんな中途半端な時間に訪れる客数は少なく、難なく「行ってらっしゃいませ」のスタッフの声に押されて、僕らは夢と魔法の国へと入って行った。
「さてと、どこから行く?」
「そうねえ、やっぱりアレから」
彼女が指差したのは、前回来た時も最初に並んだスペースマウンテン。確か二時間は並んだような記憶があるが、今日は待ち列がそれほどでもないようだ。屋内であることを逆手にとって、視界を狭められた暗い空間を、映像と音響をと共に疾走することで、スリルとスピード感を体験させられる人気アトラクションの一つ。
「前に来た時、ギャーって言ったでしょ。今日はそれはナシよ」
「そんな声、出してないって」
「いいえ、出してました。隣の私がしっかり聞いてました」
「・・・」
言い争うのも大人げないからと、しっかり目で否定したつもりが、そうだったかな~、とつい思わされてしまうところが、彼女の魔法なのかもしれない。

いかに単身で東京に来たとはいえ、それなりの月日を過ごせば、少なからず友人もいた。彼女も同様。そして二人が付き合えば、その友人達とも出会うことになる。元より人見知りしやすい僕は、積極的にそんな輪の中に飛び込むつもりは無かったのだが、彼女の友人の誕生パーティに招かれた時の事、初対面の人達の前で「○×さんの彼氏です」と紹介された時、顔から火が出るほど恥ずかしかったことを憶えている。音痴で酒の飲めない僕は、こういった席は好みではなく、早々に退散したい所なのだが、彼女の手前、立派でなくてもそれなりに振る舞わないと、と緊張していたことも、今となっては懐かしい。結局そんな緊張もいつの間にか霧散して、終電が無くなるまで騒いで、最後はタクシーなど端から論外な貧乏学生らしく、二時間以上も深夜の国道を歩いて帰ったことも、今となっては懐かしい。そして、そこで知り合った人達が共通の友人となり、今日この日を生んでくれる事になるとは、もちろん当時は想像の遥か彼方だった。

「次はアレね」
「イッツ・ア・スモールワールド、あれ面白くないよ~。お子様向けじゃない」
「そこが夢があってイイじゃない。あなたもギャーとか言わないし」
「言ってないってば!」
ケラケラ笑いながら歩みを止めない彼女。まあココは浮世とは離れた国。そこに足を踏み入れたのだから、現実なんて棚の上に上げてしまえ、と後ろから追いついて彼女の歩みに合わせた。彼女が手を差し出す。まるで幼稚園児が下校の時にするように、握った手を振りながら白い建物に向かって歩いた。この国に初めて来たのは何年前だろう。月日を重ねて変わった僕の筈なのに、あの時と何も変わっていない、そう思った。

一応、真面目な大学生だった僕は、ゼミにも入っていた。その師事する教授のイベントが新宿のホテルで行われることとなった。ゼミ員である僕も、もちろん準備と後片付けの為に駆り出されたのだが、偶然にもその日は彼女の誕生日だった。お金に余裕など無い僕らだけれど、一年に一度の特別な日なのだから、と外食を決めていた。ゼミのイベントにはスーツ姿で参加しなければならなかったから、ちょうど好都合だとも思った。しかし、予定時間を過ぎてもなかなか終わらない。終わっても、先輩方を差し置いて勝手に帰る訳にもいかない。携帯電話など無い時代だから連絡もできず、ただひたすら時計を何度も見つめるしかなかった。結局、約束の時間を二時間以上も過ぎて、やっと自由の身となった。それから彼女との待ち合わせの場所、新宿駅の地下に向かったのだが、半ば以上諦めていた。待っているはずない。怒って帰ってしまったに違いない。トボトボと歩きながら、言い訳を考えていた。いや、言い訳など火に油を注ぐこと、ひたすら謝るべきだ、そんな考えが頭の中を巡りながらも、足は勝手にドンドン急ぐ。途中から小走りになる。汗が噴き出る。でも、ネクタイを緩めて走った。そして、息を切らせて地下への階段を駆け下りた時、彼女の姿が目に飛び込んできた。縦横に行き交う大量の人の波を不安げに見つめ続け、二時間以上も僕を待っていてくれた。息を整え、ゆっくりと彼女に近づいた。彼女も僕を見つけてくれた。その表情に険しさなど無く、ただ安堵だけが感じ取れた。僕は思わず目頭が熱くなっていた。こんな僕の為に、僕一人の為に、この子は二時間以上も立ち続け、ただひたすら待ち続けてくれたのだ。こんな嬉しいことは無い。これまで生きてきて、一番嬉しい瞬間だった。人目を憚らず、僕はそっと彼女を抱きしめた。「どうしたの?」とだけ、僕の肩口に彼女は小さく言った。

陽が西に傾くにつれ、アチコチの建物から明りが付き始めた。ふっと目に留まったのが、ポップコーンを売っているこの国の屋台。
「ねえ、ポップコーン食べよう」
「ダメ」
「ダメって、そんな子供に言うみたいに」
「ダメ!」
「どうしてさ。ポップコーン、嫌いじゃないだろう?」
「ポロポロこぼすから、ダメ」
「えーっ?」
「だって前に来た時も買って、食べながら歩いてたらポロポロこぼしたでしょう」
「そうだったかな~」
「だから掃除係の人が、ずーっと私達の後を付いてきたじゃない。恥ずかしいからダメ」
そう言ってクックッと口元で笑う彼女に、あの時は一つのポップコーンを二人で食べていたからこぼしたんだ、と言いたかったが、そう言う前に今日は二個買って、一つを差し出した。あの時よりは少しだけ、財布に余裕ができたから。

最初は戸惑った大都会での生活、それに慣れてしまえば「こんなものか」と思ってしまった。大学生活も一年も経てば時間に余裕ができ、大学生って「こんなものか」と思ってしまった。それがどうだろう。彼女が僕の傍らに咲くようになってから、俄然忙しく、新鮮になった。友人の幅が広がり、後輩の面倒を見ることも増えてきた。そして何より、彼女が見るもの、聞くもの、興味を示すもの、感動するもの、嫌いなもの、それら全てを共有や共感はできないにしても、全てが僕には新鮮だった。地方都市で生まれ育ち、そこで自分なりの希望や夢を持っても、まだそれが幼く未熟であったと知らされた東京。そこで僅かに立つ足場を得たとしても、まだ見上げるばかりで埋没しそうな僕に、新たな見方、別の価値観と言ってよいものをもたらしてくれた彼女は、付き合うということが単なる愛や恋やSEXだけではない、そういう事を示してくれた。でも、僕と彼女は同じ年。彼女を大切に思うが故に、導かなければならないという使命感が、知らず知らず僕を、ちょっとだけ背伸びさせていたのかもしれない。

まったく、ジャングルクルーズのスタッフには感心する。リピーターも多いはずだから、何種類ものパターンを持っているのだろうが、決められたコースを回って、決められた所で飛び出てくる動物にびっくりさせる話術は大したものだ。分かっていてもビックリし、そして笑う。ボートを降りた後も、僕たちは笑っていた。何が可笑しいのか、何て考えず、ただ単純に笑っていた。それが僕たちのやって来た、この国の決まりなのだ。
夕闇が迫るなか、僕たちの歩く前をスタッフがロープを張っていた。そうだ、まもなく夜のパレードが始まる。
「前に来た時は凄い人だったわね」
「そうそう、あまり近づけなかった」
今回は早々にロープ際に陣取って、最前列で待つことにした。長く感じた冬が終わりを告げるのは分かっていたが、陽が傾けば、まだ薄ら寒い夕暮れだった。

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続き・・・


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