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家族旅行 2022(第三日目) [異国・旅・旅行]

北海道三日目は、一部晴れていましたが曇天で、天候は下り坂の予報。前回書きましたように、もっと滞在していたい、と思わせるホテルでしたが、見たい(撮りたい)ポイントがまだ多々あるので、それらを寄りながら旭川に向かいます。まずは網走近くにある「メルヘンの丘」で一枚撮影。

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途中、トイレ休憩で足寄の道の駅に寄りました。その隣の建物前で、のど自慢大会が行われていました。皆さん、松山千春の曲を歌われていて、「そりゃ、足寄といえば松山千春だろう」と思って見ていたら、何と!ご本人が居るではありませんか。私達がトイレを済ませた時がちょうど大会終盤で、最後に松山千春ご本人の歌唱が始まりました。いや~、びっくりしたというか、生で聞けるなんて得した気分(私たち夫婦は感動!子供達はキョトンとしてました)。

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その後は、「十勝牧場白樺並木」という観光スポットに立ち寄ったり(並木の横は一面のひまわり畑でした)、アイスクリームが絶品と言う「DREAM DOLCE」(ココのアイスは種類豊富でどれも本当に美味い)に寄ったりしながら車を進めていきます。

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「私が見たかった風景その4」(最後です)は、以前このブログでも紹介した映画「鉄道員(ぽっぽや)」のロケ地、幌舞駅です。幌舞駅は架空の駅ですが、ロケは本物の駅である根室本線の幾寅駅で行われました。そして撮影後も、地元の方々の熱意で保存されているとか。それをどうしても見たかった。そして着けば、まさに映画の世界にタイムスリップです。

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駅舎の内外は撮影時のままで、室内に足を踏み入れれば、撮影当時の写真や出演者の衣装やサインが飾られていました。私以外の家族はあまり興味を示さなかったですが、ホームに立てば、「ああ、高倉健さんもココに立っていたんだ」と、私一人が暫し感慨に浸ってしまいました。映画のシーンを思い出して、胸が一杯になりました。

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この幌舞駅、いや幾寅駅は実際に稼働していた駅なのですが、2016年の台風被災により幾寅駅を含む東鹿越〜新得間が不通となり、廃線が決定したとか。皮肉にも、舞台となった実際の駅や区間もまた映画版と同じ運命を辿る事になってしまったのです。それでもこの建物たちは「ぽっぽやの聖地」としてこれからも残して欲しいと切に願う私です。

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その後、「とみたメロンハウス」でメロンを家族でいただき(この頃から雨がポツリポツリと)、美瑛町白金にある人造池「青い池」にも行ってみました(防災工事の際に偶然できたそうです)。この頃には厚い雲と夕方で暗くて、あまり綺麗な青を拝めなかったのがちょっと残念かな。

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小雨が降ったりやんだりの中を、旭川空港を目指して走りました。途中、フッと振り返れば、この旅の終焉を締めるような虹が。

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レンタカーを返却して旭川空港に着けば19時25分。20時15分発のJAL558便にギリギリ。慌てて空港内の売店でお土産を買ってチェックイン。余韻に浸る暇無く、すっかり暗くなった北の大地を後にしたのでした。
(なお、この3日間の総走行距離は、1040kmでした)

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家族旅行 2022(第二日目) [異国・旅・旅行]

二日目の朝、ホテルの窓から見上げれば見事に快晴。早々にホテルの朝食をいただいて出発です。まずはこの最北の街、稚内の市内観光です。

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稚内は昔は(今は分かりませんが)ロシアとの交易が有ったそうで、道路標識などにロシア語が書かれているところが、その名残だそうです。

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ノシャップ岬に行く途中、登校する小学生の姿を見ました。この地ではもう二学期が始まっているのですね。そのノシャップ岬は早朝なので、ほぼ貸し切り状態でした。遠くに見えるのは、昨日眺めた利尻島。

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最北端の街には最北端の駅があります。JR稚内駅の駅舎は私の記憶と違って、立派な複合施設が隣接する形で有りました。

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港近くには観光スポットになっている、稚内港北防波堤ドームがあります。本来は波よけ目的なのでしょうが、太い柱の連なる様を見れば、ローマ風の建築物というのは言い過ぎでしょうかネ。

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では、「私が見たかった風景その2」である日本最北端の地に向かいます。稚内市内から宗谷岬までは車で40分程。着けばやはり多くの観光客の姿が見受けられました(ライダーも多かったです)。もちろん、「日本最北端到着証明書」もゲット。

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宗谷岬の南側は丘陵になっていて、牛の放牧が見られました。私達はもう少し先に行って「白い道」を探します。なぜ白いのか。それは、この地の名産品であるホタテ貝の貝殻を敷いた道だからです。牛が放牧されている丘陵地帯の細い道をたどれば、見つけました。左右の緑に映えて、まっすぐ海に向かって伸びていました。

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宗谷岬を後にして、オホーツク海沿いを網走方面に進みます。この辺りは全く信号が無い、左右に草原(牧草地)が広がった中を進む一本道です。これぞ北海「道」でしょう!

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さて「私が見たかった風景その3」は、紋別市にある「カニの爪」です。高さ12m程のオブジェなのですが、私が知ったのは流氷の上から突き出る姿を写真で見てのことで、これを直に見たかった。もちろん流氷のシーズンではないし、現在は陸上に展示されているとのこと。紋別港近くに行けば、すぐに見つけられました。でもやっぱり、流氷は無くても海の上から突き出る姿は、たぶん怪獣映画のワンシーンのようで、見たかったな~(でも満足)。

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今日はあまり遅くのチェックインは避けたかったので、その後もひたすら走って、今夜の宿のある網走へ向かいます。その宿は「北天の丘 あばしり湖鶴雅リゾート」。網走市内からちょっと離れた、網走湖近くのこのホテルの露天風呂付の部屋を予約してました。
https://www.hokutennooka.com/

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なかなか趣向に凝った内装のホテルで、もっと長い時間をゆったりと過ごしたい、と思わせられる、ステキなホテルでした。部屋の露天風呂も入りましたが、大浴場にある岩盤浴を家族全員が気に入りました。ココには一泊二食で泊まり、食事は朝夕共にビュッフェスタイル。でも夕食では自分好みのピザを焼けたり、好きな具材をチョイスして鍋を作れたり、朝食では味噌汁を自分好みで作れたり、なかなか工夫を凝らした料理で楽しめました。

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ラウンジでの一杯無料サービスや締めの一杯無料ラーメンなどを楽しんでいたら、アッという間に時間が過ぎていきます。堪能するには時間が欲しいところ。ココは連泊して、じっくり楽しみたいホテルだと思いました。

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家族旅行 2022(第一日目) [異国・旅・旅行]

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集合は羽田空港に午前10時でした。長女と長男が東京在住であることと、旭川空港への便数が多いことが理由です。そうです、今年の家族旅行は北の大地を巡る旅でした。

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なぜ北海道なのか。それは、私がどうしてももう一度見たい風景があったから、というのが主な理由です。毎年行っている家族旅行(2020年はコロナ禍で中止でしたが)ですが、社会人となった子供達ですから、費用は割り勘というのが原則でした。しかし今回は私の勝手を聞いてもらうということで、2019年の家族旅行と同様に、旅程の決定と費用負担は私個人が負うことにし、日程だけ合わせてもらうことにしました。本来は6~7月に行くのが常でしたが、お盆休み後になってしまったのは、各自の休みを合わせる為でした。地方在住の私達が羽田空港まで行くには、この時間が精一杯で、更に私が北海道内で行きたい場所(順次ご紹介していきます)を巡るには、千歳空港より旭川空港を利用した方が無駄が少ないとの判断で、羽田空港10時集合となったのでした。空港で久しぶりに顔を合わせた我が家五人。今では通信手段豊富ですから近況は知っているとはいえ、実際に顔を合わせることの大切さをジワリと感じた瞬間でした。

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当日は小雨。北海道の予報も(広いですから)地域によってバラバラな予報で、天気は運次第な感じでした。飛行機に乗るなんて何年ぶり?と話し合っていましたが、遅延など無く予定通りに旭川空港に到着。幸いにも雨は降っていませんでした。早速、予約してあったレンタカー(セレナe-Power)で出発です。ただ、積もる話をしながら遅い昼食を市内の寿司店でとったことが、後々の日程に影響してしまいました。

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旭川市内を抜けたら、ひたすら北上します。今回は運転手が複数人いますので、交代しながら次第に民家が少なくなった北海道らしい道路をひた走ります。「私が見たかった風景その1」は、サロベツ原野から見た利尻富士です。ちょうど43年前、20歳の私は一人で北海道一周の旅をしました(車で)。その時、利尻富士の横の日本海に沈んでいく夕日の何と美しかったことか。それをもう一度見たい(家族に見せてあげたい)という訳で、日没までにその地に着けるようにひたすら走りました。辺りがだんだん暗くなっていき、日没時間が真近に迫る中、曇天なのにキレイな日没が見られるか、と不安に駆られながら海岸線にやっと出たのは、通称オロロンライン。確か43年前はこの道は舗装されていない畦道のようであったと記憶しています。それが今では、巨大な風力発電の風車が立ち並び、海岸線に立派な舗装路が真っすぐに伸びています。そして水平線辺りが奇跡的に雲が無くなっていました。

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あの時(43年前)私は、確かにこの辺りに居ました。いや、本当はもう少し北に居たので、もう少し利尻富士の傍を陽が落ちていく様を眺めていたと思います。小一時間ぐらいだったでしょうか、たった一人で眺めていました。そして日が沈み、さて出発しようかと思ったら、畦道の砂地でスタック。車輪が空転して脱出できなくなってしまいました。もちろん携帯電話など無い時代です。主要国道からかなり離れた道です。見渡す限りの原野です。そして、たった一人。途方に暮れて車中泊を覚悟した私の目に飛び込んできたのは、一台の軽トラック。天の助けと呼び止めれば、老夫婦が乗っていました。事情を話せば、「な~んだ、じゃあ押してやるからハンドル持って」と言って、ご夫婦で私の車を押してくれ、スタックから抜け出せたのでした。あの時の安堵感と優しさに触れた感動を今でも忘れません。ハタチの若造が何とお礼の言葉を言ったのかは思い出せませんでしたが、その風景とあの時の出来事は43年経った今でもしっかり残っています。そして43年経った今、あの時以上の日本海に沈む美しい夕日を見ることができました。しかも、今回は家族五人揃って。

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サロベツ原野は本当に広大な原野です。私はこれまで生きてきて、これ以上の原野を見たこと無いです。本当はもう少し滞在してじっくり堪能したかったですが、陽が落ちて真っ暗になってしまえば、本当に漆黒の道があるだけです。その道を稚内に向けて走り続けます。途中に、北緯45度のモニュメントを発見したので撮りましたが、もう暗くてご覧のとおりでした。

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今回の旅行一泊目は稚内市内のホテル。到着が遅くなることを見越して、夕食はホテルではなく、市内の居酒屋でワイワイ言いながら食すことに決めていました。翌日もまた長い距離を走らなければならないので、早々に就寝して、この旅行の第一日目が終わったのでした。
(掲載写真が多くなると思いますが、持っていったカメラが Kiss X9+EF-S24mm だけだったので、画角の変化が無くてスミマセン)

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さらば、1D MarkⅣ [カメラ機材]

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CANON EOS 1D MarkⅣ(1D4)、このデジタル一眼レフカメラを手に入れたのは、2010年5月の事でした。それから主にサッカー撮影で先月まで使ってきたので、丸12年以上稼働したカメラでした。
振り返ってみれば私の1D4、22万ショットを超えた2017年初頭に、メーカーにシャッターユニット関係の部品交換とメンテナンスの為に大分のサービスセンターに送ったことがありました。その後は調子よく撮り続け、先月までに13万ショットをカウントするに至り、この12年以上の間に35万枚以上の画を私にもたらしてくれました。その中には、キヤノンフォトコンテストはじめ各種フォトコンの入選作も生み出してくれたのでした。
1D2、1D3と使ってきて手に入れた1D4は、当初は7Dがサブ機でしたが、それが7D MarkⅡになり、2016年末に1DX MarkⅡ(1DX2)購入で1D4はサブ機扱いになってしまいましたが、それでもCANON最後のAPS-H機として重宝する場合も有って、これまで使い続けてきました。その間、メカ的なトラブルに遭遇したことは一度も無く、私自身の成長を促してくれた愛機であることに異論はありません。しかし今回、私はこの1D4を手放すことにしました。

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フルサイズ換算で約1.3倍になるAPS-H機(27.9×18.6mm)は、永く使ってきたこともあって、サッカー撮影において私の感覚という意味で「馴染んで」しまっていたことは確かなことです。ただデジタル機器であることには変わりなく、一昔前に比べればその性能向上は緩やかになったとはいえ、日々進化し、旧製品が陳腐化していくことは避けられません。1DX2を手に入れて、それをメインにするようになってからは、確かに1D4との性能差は感じられます。ただ1DX2はフルサイズセンサー(35.9×23.9mm 約2020万画素)。面積比でAPS-H(27.9×18.6mm 約1610万画素))はフルサイズの約0.6048%になり、1DX2で撮った画をAPS-Hサイズに切り取れば約1309万画素になります。そんな切り取りをするのであれば、最初からAPS-H機で撮った方が良い、これが私がここまで1D4を使い続けてきた最大の理由です。ただ得られる画の画素数だけでは、1D4を支持し続けるには無理があることが分かってきました。主たる理由はAF性能の点です。これは、1D4と1DX2とでははっきり差が有ります。特に開放F値がF4.0のEF200-400 F4 L IS を使うようになって、撮影画像の歩留まりに顕著に表れるようになりました。1D4と1DX2、ヨンニッパとズームレンズ、それらを場合に応じて組み合わせてサッカーを撮ってきました。もちろん撮影者自身の腕の問題もあるでしょうが、組み合わせ次第で対応(撮り方)を変えていけば良いのかもしれませんが、1D4で微妙にピンを外した画を見ていると、「ああ、1DX2を使った方が良かったかな」と思うことが最近多くなってきました。それ故、今年になって1D4の出番がガクッと少なくなっていくのを考え、ここで一区切りつけるのが良いかな、と決断した次第です。

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12年以上、35万枚以上撮ってきたカメラです。愛着は有ります。手元にずっと残しておくのも良いかもしれません。しかし、防湿庫の隅で眠らせておくことを、私は潔しとは思えませんでした。これまでキヤノン1D系をずっと使い続けてきましたが、メイン機を新規購入したら、それまでのメイン機は手放す、という事を繰り返してきました。1D4だけが例外で、(上記の理由で)1DX2を購入しても並行して使い続けてきました。その状態を5年半以上続け、ここで1D4との別れを決断しました。ミラーレス機への移行が加速している現状では、如何に1D系とはいえ、愛着があるとはいえ、市場では12年以上前のカメラに大きな価値(価格)は無いでしょう。それでも、キチンと見送ってやるのが、これまで苦楽を共にした私の役目だと思います。物を擬人化するのは好きではありませんが、私を一人前のカメラマンに引き上げてくれた、良い相棒でした。ありがとう、1D MarkⅣ。

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そんな訳で私の1D4は、いつも使っている中野のカメラ店へ売却しました。12年使い続けてきたカメラですので、小傷やスレ等は当然有り、評価はBランクでしたが、これは仕方ないことでしょう。その際に1D4と共に一緒に売却したのが、フルサイズ用パンケーキレンズのEF40mm F2.8 STM です。このレンズのコンパクトさと性能には満足していましたが、私の防湿庫の住人の中では出番の少ないレンズでした。私の持つフルサイズ機が大柄なので、コンパクトなこのレンズのメリットが少なかったこと、APS-C機では焦点距離的にちょっと長く、EF-S24mm F2.8 STMの方が断然使いやすかったこと、が理由です。使わない機材は手元に置かない主義の私は、1D4と共にコレも一緒に手放すことにしたのでした。



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