「単独vs絡み」というテーマで私見を長々と書いてきましたが、ここで締めとさせていただきます。




スポーツといっても個人競技の場合は、どうしても一枚の画に選手が一人ということが多くなってしまうのは自然なことでしょう。しかしチームスポーツの場合、複数人vs複数人で勝敗を競うのですから、一枚の画の中に複数の選手が入りることは多々ありますし、普通です。ただ場面的に、そのワンプレイに複数人が関与しているかどうかは其々です。背後に写り込んでいる相手選手・チームメイト、という場面もあるでしょう。また、サッカーというスポーツは、その試合時間が60分であれ、70分であれ、90分であっても、常に選手が全力で動いている訳ではありません。単独でボールをキープしていたり、単独でボールをゆっくり運ぶ場面も多く見られますから、それを撮れば、一枚の画に選手が一人、ということも珍しくありません。また、ボールを奪い合う競技といっても、相対する選手と距離がある場合も、体が接するような場合も様々です。激しいフィジカルコンタクトが躍動感や闘争心を感じさせる画に繋がることもあります。それらは一試合をプレイする選手であることには違いなく、「単独」であろうと「絡み」であろうと、撮るべきサッカー写真です。「単独vs絡み」というテーマで長々と書いてきましたが、それは相反するものではないと思います。




最初に「単独」と「絡み」の作例を並べて、「絡みの方に魅力を感じる方が多いのでは」と書きました。しかし私は、「単独」とか「絡み」とかを特に意識して撮る必要は無い、と思っています。こんなことを言うと、これまで書いてきたことが無駄になってしまうように思われるかもしれませんが、サッカー撮影にあたって、自分の望む画、選手から意気を感じたシーンをシャッターチャンスとして捉え、結果的にそれが「単独」になったり「絡み」になったりするのであって、どちらかを狙う必要は無いと思っています。私は狙う選手にピントをしっかり追従させることに集中していますが、フィジカルコンタクトを伴う絡みに移行した際でも、その延長として、狙う選手を捕捉し続ける努力を続けることにしています。




「単独」「絡み」両方撮るべきです。大切なのは撮影者自身の「引き出しの多様さ」です。この記事で、このブログで、私は「シャッターチャンス」という言葉を何度も使ってきました。「シャッターチャンス」とは何でしょう? その回答は撮影者自身の価値観や目的などの多岐にわたる要素が絡みますので、別の機会に記すことにしますが、「この瞬間にシャッターを切れば印象的な画になる可能性が高い」とか、「この選手のココは押さえておかないと」とかのイメージを、経験的に数多く持って撮影に臨むことが「引き出しの多様さ」に繋がると信じています。それは一朝一夕で身に着くものではないかもしれません。けれど、何度もトライし、その都度見直し、そして工夫して撮り続ける、その繰り返ししか得られないのではないか、と思います。




サッカー撮影では、撮影者が欲するシーンを選手に要求することはできません。それ故、撮影者自身が「引き出しの多様さ」を持ってシャッターチャンスを数多く見つけ出し、それを逃さず撮る、ということが偶発性を低くし、上達への道標だと思っています。撮影場所が限定された時などに、他のカメラマンと並んで撮ることもあります。その際はどうしても隣のシャッター音が気になったりします。「えっ、なぜ今のシーンでシャッターを切らないの?」と思うことも、「しまった、今さっきはシャッターを切るべきだった」と思うこともあります。プロは目的を持って撮ります。無駄な画は撮りませんし、必要な画は撮り逃がしません。万人がプロ同等の力量を持つ必要は無いと思いますが、せっかくデジタルになって何枚撮ってもコストが変わらない環境なのですから、トライアンドエラーを続けて、「単独vs絡み」というテーマから抜け出て欲しいと思っています。