サッカー撮影140(試合内容と撮影枚数 後編) [サッカー撮影]
前回は、試合内容が濃くなればシャッターチャンスが必然的に増え、故に撮影枚数もそれに比例して多くなることを書きました。今回はその逆の場合です。
力量の隔たったチームの対戦試合や点差が離れた試合の場合、撮影者の望むシーンが少なくなってしまい、結果として撮影枚数が少なくなってしまうのは仕方ないかもしれません。こういった試合を撮るのは、実は難しい。
お子さんの所属チームの試合を撮っている方も、応援するチームを撮っている方も、そのチームが力量のかなり上のチームと対戦する試合では、撮りたいチームの選手の望むシーンが少ないが為に、それを撮り逃がさないよう、やはり集中力の維持は欠かせません。逆の場合、つまり力量的にかなり下のチームとの試合の場合は、ボールポゼッション的に自チーム優位であるために撮影難易度的には容易でも、望むシーンは少なくなるかもしれませんから、撮影枚数的には程々多く撮れたとしても、印象的な一枚を得るのは意外に難しい場合があります。
以下に比喩的に書きます。前後半90分の試合で試合内容が濃く、シャッターチャンスが1000回有ったとしましょう。如何に撮影者が集中していたとしても、その全てを撮ることできません。まあ70%程度でしょうか。では試合内容が落ち、シャッターチャンスが半分の500回程度だったとしましょう。凡戦と見て撮影者が意欲を落としてしまえば同じく70%程度しか得られないでしょうが、90分で1000回と90分で500回では、チャンスをものにできる確率は後者の方が高くなるのが普通です。従ってシャッターチャンスが半減しても、得られる画は半減しません。半減するようなら、それは撮影者自身に責があります。
力量の拮抗した熱戦の場合、次から次へと煌めくピッチ上のシーンを追いかければ、自ずと選手と共に試合の流れに入り込み、(疲れはしますが)満足いく結果が得られるでしょう。つまり、目の前で繰り広げられる試合に集中していれば良いのです。しかしその逆の場合は、少ないチャンスを逃さないようにするだけでなく、できるであろう余裕を利用して、他の切り口を試してみるのも良いかもしれません。
サッカー撮影の場合、画にボールを入れることが基本である、と以前書いたことがあります。その理由は割愛しますが、故に基本的には試合中はボールを追います。しかしそれでは撮影者が欲するチームの選手が撮れない、撮れても少ない場合、私は敢えてボールを追わないこともあります。サッカー撮影は人物撮影だと書きましたが、人物撮影だと頭の先から足の先まで、身体が画に収まるように撮りがちになります。そこで私は選手の手足が画に入っていなくても、選手の表情のみに主眼を置いた画を狙うことがあります。サッカー撮影では地面に対して平行に選手が動くので、基本的には地面に並行してレンズを振ります。しかし(これも過去記事で書きましたが)、敢えて斜めに切り撮ることを試すこともあります。
試合内容が薄くなればシャッターチャンスが減って撮影枚数が少なくなってしまうのは仕方ないとして、そこで得られる余裕を利用して、いつもと違う撮り方を試みれば、減った枚数を幾分か補完することができるのではないでしょうか。
先日、過去の写真データの整理をしました。その際に気付いたことは、私がサッカー撮影を始めた当初に現存する写真は、今と同じように真剣勝負の試合を撮っているのにも関わらず、今と比べて一試合当たりの枚数が随分少ないことです。実際に撮った枚数はもっと多かったでしょうが、残す価値のない画は削除していますから、それはつまり歩留まりが悪かった証左でしょう。そして、ピッチ内で煌めく選手のプレイを見つけられなかった、それをキチンと撮る技術に欠けていた、という、自分の力量の無さを示すものでもあります。今でも何とか見られる画が出てくるのは、サッカー撮影を始めて4年ほど経った頃からでした。
「撮影枚数が多ければ良作を得られる確率が高まる、ということは無い」と過去に書きました。「良作を得る確率を上げるためには、一試合当たりの撮影画の平均レベルを上げることだ」とも書きました。試合内容は様々で、撮影者自身がどうこうできるものではありません。故に撮影枚数に増減が出るのは当然としても、そこで得られる画の平均レベルを常に一定以上に保つ努力は必要だ、と思います。
力量の隔たったチームの対戦試合や点差が離れた試合の場合、撮影者の望むシーンが少なくなってしまい、結果として撮影枚数が少なくなってしまうのは仕方ないかもしれません。こういった試合を撮るのは、実は難しい。
お子さんの所属チームの試合を撮っている方も、応援するチームを撮っている方も、そのチームが力量のかなり上のチームと対戦する試合では、撮りたいチームの選手の望むシーンが少ないが為に、それを撮り逃がさないよう、やはり集中力の維持は欠かせません。逆の場合、つまり力量的にかなり下のチームとの試合の場合は、ボールポゼッション的に自チーム優位であるために撮影難易度的には容易でも、望むシーンは少なくなるかもしれませんから、撮影枚数的には程々多く撮れたとしても、印象的な一枚を得るのは意外に難しい場合があります。
以下に比喩的に書きます。前後半90分の試合で試合内容が濃く、シャッターチャンスが1000回有ったとしましょう。如何に撮影者が集中していたとしても、その全てを撮ることできません。まあ70%程度でしょうか。では試合内容が落ち、シャッターチャンスが半分の500回程度だったとしましょう。凡戦と見て撮影者が意欲を落としてしまえば同じく70%程度しか得られないでしょうが、90分で1000回と90分で500回では、チャンスをものにできる確率は後者の方が高くなるのが普通です。従ってシャッターチャンスが半減しても、得られる画は半減しません。半減するようなら、それは撮影者自身に責があります。
力量の拮抗した熱戦の場合、次から次へと煌めくピッチ上のシーンを追いかければ、自ずと選手と共に試合の流れに入り込み、(疲れはしますが)満足いく結果が得られるでしょう。つまり、目の前で繰り広げられる試合に集中していれば良いのです。しかしその逆の場合は、少ないチャンスを逃さないようにするだけでなく、できるであろう余裕を利用して、他の切り口を試してみるのも良いかもしれません。
サッカー撮影の場合、画にボールを入れることが基本である、と以前書いたことがあります。その理由は割愛しますが、故に基本的には試合中はボールを追います。しかしそれでは撮影者が欲するチームの選手が撮れない、撮れても少ない場合、私は敢えてボールを追わないこともあります。サッカー撮影は人物撮影だと書きましたが、人物撮影だと頭の先から足の先まで、身体が画に収まるように撮りがちになります。そこで私は選手の手足が画に入っていなくても、選手の表情のみに主眼を置いた画を狙うことがあります。サッカー撮影では地面に対して平行に選手が動くので、基本的には地面に並行してレンズを振ります。しかし(これも過去記事で書きましたが)、敢えて斜めに切り撮ることを試すこともあります。
試合内容が薄くなればシャッターチャンスが減って撮影枚数が少なくなってしまうのは仕方ないとして、そこで得られる余裕を利用して、いつもと違う撮り方を試みれば、減った枚数を幾分か補完することができるのではないでしょうか。
先日、過去の写真データの整理をしました。その際に気付いたことは、私がサッカー撮影を始めた当初に現存する写真は、今と同じように真剣勝負の試合を撮っているのにも関わらず、今と比べて一試合当たりの枚数が随分少ないことです。実際に撮った枚数はもっと多かったでしょうが、残す価値のない画は削除していますから、それはつまり歩留まりが悪かった証左でしょう。そして、ピッチ内で煌めく選手のプレイを見つけられなかった、それをキチンと撮る技術に欠けていた、という、自分の力量の無さを示すものでもあります。今でも何とか見られる画が出てくるのは、サッカー撮影を始めて4年ほど経った頃からでした。
「撮影枚数が多ければ良作を得られる確率が高まる、ということは無い」と過去に書きました。「良作を得る確率を上げるためには、一試合当たりの撮影画の平均レベルを上げることだ」とも書きました。試合内容は様々で、撮影者自身がどうこうできるものではありません。故に撮影枚数に増減が出るのは当然としても、そこで得られる画の平均レベルを常に一定以上に保つ努力は必要だ、と思います。
サッカー撮影139(試合内容と撮影枚数 前編) [サッカー撮影]
「撮影枚数は試合内容に比例するか?」、という問いに対する私の回答は、YESです。
サッカー撮影において、「いつシャッターを切るか」は、撮影者が欲する、望む画が撮れそうな時です。そういったシーンが来る一瞬前から被写体を捕捉し、ピントが来たことを確認して連写する、眼前にそういったシーンが来てからシャッターを切っていたのでは遅い、ということは、過去の記事で何度か述べてきました。故に、撮れそうに感じた瞬間がシャッターを切る時です。そういった撮影者が欲する、望む画とはどんな画でしょうか。それは撮影者によって違いますので(撮影目的や撮った画の使用用途、価値観など)一概には言えませんが、選手の真摯で必死の表情や身体の動きから感じられる躍動感や力感、激しいボディコンタクトから得られる闘争心などが感じられるシーン、感情を爆発させたシーンなどではないでしょうか。撮影者は広いピッチ内を前後左右不規則に動く選手とボールを追いながら、そういった一瞬きらめくシーンを撮り逃がすまいと集中力を高めている筈です。そうであるならば、そういった望むシーンが多い試合ほど撮影枚数が増えることは自明のことであり、そうでなければならないと思われます。
サッカー撮影とは試合中の選手を撮る人物撮影であることは、過去何度か書きました。その人物に対して撮影者は、表情・ポーズ・動き方などの指示を出すことはできません。目の前で繰り広げられる試合を戦う選手達が自発的に見せる一瞬一瞬の中から、撮影者が望むシーンを、見て、感じて、予測して、レンズを振ります。しかし撮影者が欲するシーンを何種類か用意して集中していたとしても、次から次へとそんなシーンが現れることもあれば、その逆もあります。その主たる要因は、その試合内容の濃さに有る場合が多いです。ここで言う試合内容の濃さとは、その試合にかける選手の意欲、意気の程度やその発現度合い、プレイレベルの高さ、対戦チームの力量の拮抗度、等によるものです。それらの高まりが試合を濃くし、撮影者により多くのシャッターチャンスを提供でき、結果として撮影枚数に反映するのです。
もちろん、20分ハーフの試合と40分ハーフの試合では試合時間が倍違うのですから、後者の方が撮影枚数が多くなるのは当たり前です。では、同じ試合時間、同じ大会の準決勝より決勝の方が撮影枚数が多くなるのが当たり前か、と言われれば、それは必ずしもそうではないでしょう。撮影者が上記の意図で撮っているならば、望むシャッターチャンスは試合内容に左右され、決勝戦より準決勝の試合の方が濃い内容であれば、準決勝の方が枚数多くなっても不思議ではありません(ただ、決勝戦には他試合に無い要因が存在しますが)。
総じて、接戦・熱戦・激闘と言われるような試合を撮れば、上記の理由により撮影枚数は多くなるでしょうし、それで多くならないならば、撮影者自身に責があると言われても仕方ないかと思います。
サッカー撮影において、「いつシャッターを切るか」は、撮影者が欲する、望む画が撮れそうな時です。そういったシーンが来る一瞬前から被写体を捕捉し、ピントが来たことを確認して連写する、眼前にそういったシーンが来てからシャッターを切っていたのでは遅い、ということは、過去の記事で何度か述べてきました。故に、撮れそうに感じた瞬間がシャッターを切る時です。そういった撮影者が欲する、望む画とはどんな画でしょうか。それは撮影者によって違いますので(撮影目的や撮った画の使用用途、価値観など)一概には言えませんが、選手の真摯で必死の表情や身体の動きから感じられる躍動感や力感、激しいボディコンタクトから得られる闘争心などが感じられるシーン、感情を爆発させたシーンなどではないでしょうか。撮影者は広いピッチ内を前後左右不規則に動く選手とボールを追いながら、そういった一瞬きらめくシーンを撮り逃がすまいと集中力を高めている筈です。そうであるならば、そういった望むシーンが多い試合ほど撮影枚数が増えることは自明のことであり、そうでなければならないと思われます。
サッカー撮影とは試合中の選手を撮る人物撮影であることは、過去何度か書きました。その人物に対して撮影者は、表情・ポーズ・動き方などの指示を出すことはできません。目の前で繰り広げられる試合を戦う選手達が自発的に見せる一瞬一瞬の中から、撮影者が望むシーンを、見て、感じて、予測して、レンズを振ります。しかし撮影者が欲するシーンを何種類か用意して集中していたとしても、次から次へとそんなシーンが現れることもあれば、その逆もあります。その主たる要因は、その試合内容の濃さに有る場合が多いです。ここで言う試合内容の濃さとは、その試合にかける選手の意欲、意気の程度やその発現度合い、プレイレベルの高さ、対戦チームの力量の拮抗度、等によるものです。それらの高まりが試合を濃くし、撮影者により多くのシャッターチャンスを提供でき、結果として撮影枚数に反映するのです。
もちろん、20分ハーフの試合と40分ハーフの試合では試合時間が倍違うのですから、後者の方が撮影枚数が多くなるのは当たり前です。では、同じ試合時間、同じ大会の準決勝より決勝の方が撮影枚数が多くなるのが当たり前か、と言われれば、それは必ずしもそうではないでしょう。撮影者が上記の意図で撮っているならば、望むシャッターチャンスは試合内容に左右され、決勝戦より準決勝の試合の方が濃い内容であれば、準決勝の方が枚数多くなっても不思議ではありません(ただ、決勝戦には他試合に無い要因が存在しますが)。
総じて、接戦・熱戦・激闘と言われるような試合を撮れば、上記の理由により撮影枚数は多くなるでしょうし、それで多くならないならば、撮影者自身に責があると言われても仕方ないかと思います。
サッカー撮影138(敗者たち 後編) [サッカー撮影]
前回に引き続き、敗者となってしまった瞬間の画をご紹介します。
前回は背景が比較的シンプルな画を載せましたが、今回は応援団や勝者となった相手選手が写り込んだ画を載せました。
今回の「敗者たち」では、多くの画をモノクロにてご紹介しました。通常のカラー画像に比べてモノクロ画像は、色で表現することを放棄することになるので、難しい面もあります。私はモノクロについて多くを語れる知識を持っていないので、今回は掲載のみで失礼します。
前回は背景が比較的シンプルな画を載せましたが、今回は応援団や勝者となった相手選手が写り込んだ画を載せました。
今回の「敗者たち」では、多くの画をモノクロにてご紹介しました。通常のカラー画像に比べてモノクロ画像は、色で表現することを放棄することになるので、難しい面もあります。私はモノクロについて多くを語れる知識を持っていないので、今回は掲載のみで失礼します。