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「月光」 [本・映画・アニメ・詩歌]

歌は人を楽しくさせるもの、というのが定番になっているでしょうか。確かに聞けば、嬉しくなる、気分が高揚する、元気ややる気が出る、そんな歌も多いです。それに加え、気持ちが落ち着く、心に響く、自らの過去の体験に共感する、詩の世界観に想いを重ねる、そんな歌もあります。更に、その歌の場面が恋愛模様だったり、現実の生活だったり、いやそんな場面を想定しない普遍的なものだったり。しかしそんな(ある意味では分かりやすい)方法論の歌とは真逆の、内面に深く楔(くさび)を入れるような歌もあります。今回ご紹介するのは、2000年にリリースされ、作詞・作曲も自ら手掛けた、鬼束ちひろの「月光」です。

月光.jpg


I am God's child この腐敗した世界に堕とされた
How do I live on such a field ? こんなもののために生まれたんじゃない


いきなりサビから始まるこの曲は、このサビの歌詞から強烈なメッセージが発せられています。そしてそれこそが、この詩全体の本質でもあります。
「I am God'child」は「私は神の子供」ということでしょう。神の子といえば、キリスト教が連想されますし、実際PV(プロモーションビデオ)では十字架が所々に出てきます。しかしこの詩がそんな宗教色を帯びた詩とは、私には到底思えません。「I am God's child」このフレーズはこの詩で5回出てきます。それは、「私は神の子なのに」なぜこんな境遇に堕ちなければならないのか、その無念さを象徴する言葉だからと思います。
調べた結果、「おとされた」は「落とされた」ではなく「堕とされた」と表記されています。落下するよりも、もっとネガティブなイメージの「堕ちる」という言葉を使っているのは、堕とされた先が「腐敗した世界」だからでしょう。自らの今居る世界を「腐敗した」という、歌詞に使うにはあまりに強烈な言葉を使っていることが、この詩のインパクトを否が応にも決定づけます。
「How do I live on such a field ?」は「こんな場所でどうやって生きろというの?」と訳せるでしょうか。それに続く一文「こんなもののために生まれたんじゃない」を加えれば、今の惨憺たる有り様を訴えているようです。これをこの詩の主張というなら、この詩は「絶望の詩」なのでしょうか。

突風に埋もれる足取り 倒れそうになるのを この鎖が許さない
心を明け渡したままで あなたの感覚だけが散らばって 私はまだ上手に片付けられずに
I am God's child この腐敗した世界に堕とされた
How do I live on such a field ? こんなもののために生まれたんじゃない


このサビ部分を挟んだ歌詞は、今の現状の一端を言い表しているものと推測します。苦しくて辛くて、でも休むことも逃げることもできない。いっそ倒れてしまえば楽だろうけど、それすら許されない。心を開いても、そこに入ってくるものは煩雑(はんざつ)で、どれも煩わしいものばかり、と感じているようです。また、ここに出てくる「あなた」は特定のだれかではなく、自分以外の周りの人達を指しているのでしょう。

理由をもっとしゃべり続けて 私が眠れるまで
効かない薬ばかり転がっているけど ここに声も無いのに 一体何を信じれば
I am God's child 哀しい音は背中に爪痕を付けて
I can't hang out this world こんな思いじゃ どこにも居場所なんて無い


どうしようもない状態に追い込まれ、どうしようもなく落ち込んで、自らの精神を保てなくなる、それは今で言う「うつ状態」です。そんな人に、「がんばれ」と声をかけることは禁句です。頑張らなければならないことは重々承知しているのです、でもそれができないから苦しいのです。この苦しみから脱する唯一の方法が「死」であるように思える人に、そんな「がんばれ」の言葉をかけることは追い立てることと同じなのです。ただ安心して眠りたいだけなのに、それを導く声も無く、届くのは傷跡を残すものばかり。もうこの世界に居られない状態を、比喩を使って綴っているのです。
ここから転調します。

不愉快に冷たい壁とか 次はどれに弱さを許す?
終わりになど手を伸ばさないで あなたなら救い出して
私を静寂から 時間は痛みを加速させていく


先に出てくる「効かない薬」を考えれば、「終わり」は死を連想されます。しかしここで初めて、どうにもならない冷たい世界に身を置かれる自分の弱さを見つめ、助けを求める言葉が綴られています。しかも、もうこの状況に耐えていられる時間があまり無い、と。

I am God's child この腐敗した世界に堕とされた
How do I live on such a field ? こんなもののために生まれたんじゃない
I am God's child 哀しい音は背中に爪痕を付けて
I can't hang out this world こんな思いじゃ どこにも居場所なんて無い

How do I live on such a field ?


サビの部分が繰り返され、「How do I live on such a field ?」(ここでどうやって生きろというの?)の一文で締めくくられます。その裏側には、「こんなところで生きていけない」の一文が隠れているのでしょう。
ピアノを主旋律にした綺麗な調べながら、巧みな比喩表現を使いつつ、でも使う言葉は厳しく、悲しく、どうしようもなく暗く、誰かに導いて欲しいと心の奥底では願いながらも、行く場所も居場所も無く、最後の手段へ堕ちていく神の子であるはずの自分、そんな詩に思えます。暗い歌、悲しい歌、辛い歌、そう一言で言ってしまえば、そうなのかもしれない。しかしこの世の歌が、全てポジティブなものばかりで良い筈はない。何故なら、この世は悲喜交々(ひきこもごも)であり、不平等で不安定で理不尽で、行くも引くも闇で、神の住む天上と比べれば「腐敗した」世界なのですから。
さて前述したように、これは「絶望の詩」なのでしょうか。そうなのかもしれません。しかし私は、この歌詞の中に微かな意思を感じます。それは、「こんなもののために生まれたんじゃない」という一文からです。自らの今の境遇を悲しみ、落ち込み、術も無く傷つけられながらも、「こんなんじゃない」と言っているのです。そこに一縷(いちる)の反発の意思を感じるのです。
絶望とも思える状況に置かれた人に、「がんばれ」「元気を出せ」「きっとやれる」と言うのは酷なことだと書きました。その言葉が有効なのは、まだ「絶望」という段階までは堕ちていない人に向けて使うものです。真に過酷な状況に追い込まれて絶望している人には、「あなただけではない」と言うべき詩が有っても良いと思います。私はこの「月光」こそ、そんな詩だと思い、ここに取り上げさせてもらいました。その根拠は、この詩の題名が「月光」であること。歌詞の中に「月光」「月」「光」という文字は一つも出てきません。それを連想するような言葉も無い。でも題名は「月光」なのです。そこに、絶望的な状態に埋もれる人たちへ向けた作者である「鬼束ちひろ」の寄り添う声、それに闇夜に輝くわずかな光を感じたからです。本来居てはいけない、居るべきではない暗闇に堕とされた自分。そこで絶望の淵に立たされながらも、そこから僅かに顔を上げ、手を伸ばそうとしているのは、闇夜に輝く微かな月光、そんなシーンが思い浮かんだからです。

某ドラマの主題歌となったこの詩「月光」、お聞きになった方も多いと思います。今一度じっくり歌詞をなぞって聞けば、鬼束ちひろの世界観が非凡な言葉使いによって感じられると思い、ここに紹介させていただきました。




鬼束ちひろ「月光」


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「YELL」 [本・映画・アニメ・詩歌]

まもなく2018年が終わりを告げます。残された時間を、今年の自身の歩みを振り返っておられる方もいらっしゃるでしょうし、まだまだ年内に片付けなければならない諸事に没頭しておられる方もいらっしゃることでしょう。それでも時は確実に進み、2019年はやって来ます。大切なのは、まだ何も決まっていない未来に向ける「今」を持っていることではないでしょうか。
さて、今年最後にご紹介するのは、「いきものがたり」の2009年発表の「YELL」です。

YELL.jpg


「私は今 どこに在るの」と 踏みしめた足跡を何度も見つめ返す
枯葉を抱き 秋めく窓辺に かじかんだ指先で夢を描いた
翼は有るのに飛べずにいるんだ 一人になるのが怖くて つらくて
優しい陽だまりに片寄せる日々を 超えて 僕ら 孤独な夢へと歩く
「さよなら」は悲しい言葉じゃない それぞれの夢へと僕らを繋ぐYELL
共に過ごした日々を胸に抱いて 飛び立つよ 一人で 次の空へ

この詩は卒業ソングとして多くの方に知られています。ただ私は、学生が社会へ、進学のために、旧友と分けれるシーンのみに使われるのは勿体無い、もう少し普遍的な意味も込められているように思い、ここで取り上げさせていただきました。
この最初の部分は、これまで慣れ親しんだ場所から離れる不安の情景描写です。そして、ここで既にこの詩の主メッセージ「さよならは悲しい言葉じゃない」と謳っています。

僕等はなぜ答えを焦って 宛の無い暗がりに自分を探すのだろう
誰かをただ想う涙も 真っ直ぐな笑顔も ここに在るのに
本当の自分を誰かの言葉で 繕うことに逃れて 迷って
ありのままの弱さと向き合う強さを つかみ 僕ら 初めて 明日へと駆ける
「さよなら」を誰かに告げる度に 僕らまた変われる 強くなれるかな
たとえ違う空へ飛び立とうとも 途絶えはしない想いよ 今も 胸に

「繕う(つくろう)」という言葉が出てきます。繕うとは、いろんな意味が有りますが、悪いこと、弱いこと、間違ったこと、それらを外から上手く隠すことでしょう。「優しい陽だまり」と感じた現在の場所でも、振り返って自分を見つめれば、そんな「繕う」姿が思い起こされます。それは旅立ちを前にすれば、不安や怖さを助長することにも繋がります。それでも、それらを振り切って飛び立つことができれば、それはもう一つ自分が強くなれる、否、もう一つ強くならなければ飛び立てない、そんなメッセージが込められていると思います。

永遠など無いと(気付いた時から) 笑い合ったあの日も(歌い合ったあの日も)
強く(深く) 胸に 刻まれていく
だからこそあなたは(だからこそ僕らは) 他の誰でもない(誰にも負けない)
声を(挙げて) わたしを生きていくよと
約束したんだ ひとり ひとつ 道を選んだ

ここでの歌詞は、主文を補完する複文が付属することで、より一層「わたし」の気持ちの強さを表しているように思われます。そして同時に、自分を支えてくれた、励ましてくれた、共に歩んだ、周りの人達への想い、そして過去の自分との別離の決意も伝わってきます。

「さよなら」は悲しい言葉じゃない それぞれの夢へと僕らを繋ぐYELL
いつかまた巡り会うその時まで 忘れはしない誇りよ 友よ
僕らが分かち合う言葉がある 心から心へ 声を繋ぐYELL
共に過ごした日々を胸に抱いて 飛び立つよ独りで次の 空へ

もうこの最後の部分は、何の解説も必要としない、この詩の主題そのままです。

人は一人では生きられない。人が生きていること、生き続けること、それは人と出会うこと。そして出会うことと同じように、人と別れることでもあります。その「人」とは、家族や友人や同僚だけではありません。自分自身もその中に含まれます。親しい人、自らか築いてきた場所、それらを失うことを悲しく思うことは自然なことです。けれど悲しんだ後に、「自分が手に入れたものを」を思い出して前を向くことが、次への第一歩になると思います。そうすれば、そこで告げる「さよなら」は、決して悲しい言葉ではないでしょう。
貴方は今年、どんな人と出会いましたか? そしてどんな人と別れてきましたか? 何度「さよなら」と言いましたか? 言われましたか?

まもなく今年も終わります。今年頑張った人も、そうでなかった人も、等しく万人が今年の自分に別れを告げます。そしてまた、等しく万人が新しい年、新しい自分を迎えます。皆様の新しい自分が、より良いものであることを祈って、今年最後の記事とさせていただきます。
ありがとうございました。




YELL(エール)


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「探偵はBARにいる」 [本・映画・アニメ・詩歌]

もしルパン三世を実写化するのなら(もう既に実写化されてますが)、ルパン役は俳優「大泉 洋」しかいない、と私は思っていました。その大泉 洋主演の映画が、「探偵はBARにいる」です。

探偵1.jpg

まず、この俳優「大泉 洋」がキライな人にはまったくお勧めできない映画です。これは、彼あっての映画だと思うからです。なので、彼の軽妙洒脱な言動、時にハレンチで、時にシリアスな表情、それら相対する魅力を最大に引き出した映画である、と言い切ってしまいましょう。東直己氏の推理小説シリーズ「ススキノ探偵シリーズ」を原作としているらしいですが、推理作品としての魅力は薄く、かといってアクションシーンがカッコいい訳でもなく、奥深い・人間臭い大作でもなく、思わず涙が溢れるような感動作でもありません。けれど、大泉洋演じる探偵と、松田龍平演じる無口な相棒とのコンビが出くわす事件を、軽いコメディタッチを交えながら、時に真面目に追い続けるストーリーは、なかなか退屈しない映画に仕上がってます。2011年に第一作が造られて好評だったのか、その後2013年に第二作、2017年に第三作が公開されています。ひょっとするとシリーズ化されるのかもしれませんね。

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本音を本人の声でナレーション的に入れながらもセリフは建て前的、そんな手法を盛り込みながら、時にシリアスな表情を見せる探偵(名前は明かされていません)。札幌ススキノの裏通りを颯爽とかっ歩する姿はカッコ良くも、でも話し言葉は軽妙でどちらかと言えば下品な部類。特に大金持ちでも頭脳明晰でもなく、次元大介風の松田龍平の助けが無ければ危ない事多い程度の腕っぷし。でも、決めるべきところはキッチリとシリアス。そんな主演の大泉洋の魅力が詰まった映画です。
確かにそれだけだと、何だかオチャラケた三流映画になってしまいますが、魅力的な女優さん(時に依頼人だったり時に犯人だったり)が絡むことで、ワンランクアップの映画になっているように思えます(それでもB級の域を出ないでしょうが)。一作目の小雪さんの二面性、二作目の大阪弁丸出しの尾野真千子さん、三作目の氷のように美しい北川景子さん、ですね。
肩ひじ張らずに軽~く見る映画で、DVDレンタル店では既に旧作扱いになっている筈ですから、(大泉 洋が嫌いでなければ)お勧めしようと紹介しました。身構える必要は無いですから、見るなら第一作から、ですね。




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「関ヶ原」 [本・映画・アニメ・詩歌]

実は私、歴史小説は好きな方です(逆に恋愛小説は苦手です)。
一時期、戦国時代を題材とした小説を読み漁ったことがあります。もちろん、司馬遼太郎氏著書の「関ヶ原」も上中下巻を完読しました。で、先日近所のレンタルビデオ店を覗いた時に同名の作品を見つけたので、つい借りてしまいました。「日本のいちばん長い日」などの原田眞人監督が、この日本最大規模の合戦を映画化、昨年公開された作品で、主演の石田三成を演ずるは岡田准一、対する徳川家康は役所広司、それに色を添えるくの一役に有村架純、という配役です。

関ヶ原.jpg

さて以下は私の印象ですが、149分という日本映画としては長い上映時間を使っても、ぜ~んぜん描き足りていない。確かに石田三成役の岡田准一さんは頑張っている感がありますが、この関ヶ原の合戦に関わる人物の描写や背景、説明が全く足りない。たとえば、石田三成を嫌う七人が誰なのか、なぜ嫌うのか、全く分からないし、なぜ大谷刑部が無条件に味方するのか、安国寺恵瓊がどういう役目を負っているのか、そもそもなぜこの合戦が僅か6時間で決してしまったのか、等をこの映画だけで理解するのは難しい。歴史に疎い方には全く分からないのでは、と思ってしまいました。なので、149分を使っても極めて「早足感」があって、セリフは急いでいるので分かりにくいし、時間軸と場面展開が飛び過ぎで、一シーンの描写や演技を味わう余裕など無し。この映画は、歴史的予備知識を持っている人にしか分からないだろうし、そんな予備知識を持っている人を満足させられるだけの充実感も無いと思います。徳川家康役の役所広司はさすがの演技力でしたが、彼を起用したために家康側を描く時間を割かねばならず、それならいっそ題名を「石田三成」にして、三成だけを描いた作品にした方が良かったのではないか、と思いました(それでも149分では足りないかも)。
岡田准一ファン、有村架純ファンなら納得の映画、それ以外の、歴史好き、合戦好き、大河ドラマ好きの方々が、ちょっとレンタルビデオで借りて見て、いろいろツッコミを入れる映画かな~、なんて思ってしまいました。



「関ヶ原」予告編


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