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歯医者通い again [日々の徒然]

まあ、不運は突然やってくるものです。先日のこと、夕食を食べていた時にガキッと硬いものを噛んでしまいました。吐き出して確かめれば、歯。しかも前歯ではありませんか。それまでまったく兆候など感じていなかったのですが、たぶん詰めてあったものが取れて弱くなったところに、もう一噛みしたせいで、途中から折れたのだと思われます。何たる不運(涙)。

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歯医者が大嫌いなこと、でも昔から歯が弱くて歯医者通いが長かったこと、は以前ご報告しましたが、今回の件でまた歯医者通いの再開です、トホホ・・・。何も悪いことしてないのに何という不運が舞い込むのでしょうか。我が身の非運を嘆いてしまいましたよ。しかも何といっても今回は前歯ですから、何ともカッコ悪い。早速お世話になっている歯医者に電話予約して行ってきました。こんなカッコ悪い姿を早急に脱したいですしね。
歯は放っておいて良くなることは無い、歯が悪いと何を食べても美味しくない、だから何歳になっても歯は大事、と以前からイヤというほど両親に教え込まれてきて、それはイヤというほど体験してきたので、年一度は必ず歯医者に検診に行って早期発見・早期治療を続けてきたのですが、この有り様です。愚痴の一つも言いたくなりますが、しかたないと諦めるべきでしょうね。

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で、本日麻酔して歯の神経を除去してもらいました。麻酔が切れると痛くなるかもしれないから、と薬をもらってきました。これから義歯を作って付けるのですが、まだまだ、またまた、歯医者通いが続きそうです。あ~あ、と大きなため息です。

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バリウム [日々の徒然]

これまでずっと年に一度の健康診断を受けてきました。まあこの歳ですから、些細な指摘はありましたが、大事には至らず、健康のまま過ごしています。それが今年は諸事情で、別の病院で健康診断を受けることにしました。内容は、尿検査から視力・聴力の検査、心電図に血液検査etcとほぼ同じなのですが、今回の病院では胃部のレントゲン検査が新たに加わりました。あのバリウムを飲んで、台をグルグル回されてレントゲン写真を撮られるものです。

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胃腸の弱い私は、過去に胃カメラは何度か経験が有ります。しかしバリウムを飲むなんて、20年ぶりぐらいでしょうか。まず胃を膨らませる発泡剤を飲んで、その後に真っ白なバリウムを飲んで、上下左右に傾けられる台にしがみつきながら、技師の指示通りの姿勢をとって撮影されます。時間にすれば十数分で終わるのですが、この飲んだバリウム、見た目は濃い目のヨーグルトですが、昔と変わらずマズイですねえ。撮影後に下剤を渡されたのですが、バリウム飲んだ後が大変で、とにかく体の中から早く出したいのですが、なかなか一回では出し切らない。しかも急に便意が来たりして、極めて厄介です(汚い話でスミマセン)。これは20年前と変わらないと思いました。こんなにも医学が進歩しているのですから、こんなバリウムを飲まなくても撮影できるようにはならないのでしょうか。こんな下剤で排出するバリウムではなく、撮影後には胃腸に吸収されるようなものが開発・登場しないのでしょうか。とまあ、愚痴の一つも言いたくなる今年の健康診断でした。

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ノーサイド [サッカーあれこれ]

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県サッカー協会のカメラマンとしては、試合中のプレイ写真だけでなく、試合後の表彰式や優勝チームの集合写真を撮ることも必要です。上の写真は、先月行われた小学生のサッカー大会の表彰式後に撮った写真です。青色ユニフォームと緑色ユニフォームのチームが決勝戦で対戦し、前後半を戦っても決着つかず、その後の延長戦でも決着つかず、最後にPK戦にて緑色チームが優勝となりました。この酷暑の中での激戦でした。全員が精一杯戦った末の結果でした。その表彰式後に各チームの集合写真を撮り終えた私は、帰り支度をしようとした矢先でした。決勝戦を戦った両チームが一緒に写真を撮りたい、と言うのです。そして撮ったのが上の写真です。ご覧のように2チーム2塊が一枚になるのではなく、両チームの選手たちが入り混じって一つの塊になっています。しかもみんな笑顔でした。こんなシーンは、サッカーを撮り始めて20年、県サッカー協会カメラマンとして様々な年代の大会を撮り続けて15年になりますが、極めて稀(2回目)なことでした。
以前のブログで、「敗者の表彰式」という題で記事を書いたことがあります。決勝戦で勝利したチームの選手たちは、保護者や応援者も含めて、歓喜の渦の中にいます。それに対して敗者の立場に追いやられた選手たちは、悲しみと落胆と後悔の念に苛まれています。試合とは、勝負とは、勝者と敗者を決めるもの。試合直後の表彰式は、時に残酷に見えることがあります。傍で撮る身として、察するに余りあるものがあります。しかし、今日は敗者でも、これから先ずっと敗者に甘んじ続ける訳ではない。今日は勝者でも、その勝者でありつづける困難さは尋常ではない。今日の敗者は思いっきり涙を流せばいい。今日の勝者は思いっきり歓声をあげればいい、そう思いながら、毎回表彰式の写真を撮っています。
ノーサイドとは、「試合が終われば敵も味方も関係なく、お互いの健闘を称え合い、感謝する」というラグビーの精神を象徴する言葉として使われ、耳にします。ただ、この言葉の持つ意味はラグビーだけに留まらないでしょう。他の多くのスポーツにおいても、試合や大会という勝負の場が存在する以上、この言葉とその意味は通じることだと思われます。確かに人の心は手のひらを返すようにはいかない。喜ぶ心を封じることも、悔しさを握りつぶすことも、試合直後となれば尚更、難しい。それでも、この言葉の意味を、存在理由を、理解して知っておくことは決して無駄ではないと信じます。
「俺たち仲間だから・・・」、撮り終えてカメラを下ろした私の耳に聞こえてきましたが、上の写真に写っている誰が言ったのかは分かりませんでした。

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大河ドラマ「どうする家康」 [本・映画・アニメ・詩歌]

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「大河ドラマ」は1963年から放送されているNHKでも著名な時代劇で、主に日本史上実在した人物の生涯を描いた作品や群像劇ですね。原則として1話45分で日曜夜に約1年間(50話前後)を通して放送され、その舞台となった地方や史跡などが町興しに役立ったり、観光の目玉になったりして、朝の連続テレビ小説と並んでNHKの看板番組の一つだと思います。62作目にあたる今年は「どうする家康」と言う題名で、徳川家康の生涯を描いています。民放なら視聴率が悪ければ打ち切りになるところ、この大河ドラマは放送枠1年が確約されている点と、国営放送のNHKという点もあって、その内容と視聴率が毎度話題になります。私は特別「大河ファン」という訳でもありませんが、過去何度か欠かさず見続けた作品もありました。が、ここ最近はご無沙汰していました。今年の「どうする家康」も最初は見ていなかったのですが、ネット上で話題になる記事が多くて、先月あたりから見続けています。歴史ものは嫌いではありませんが、歴史学者でも歴史考察家でもない一般人の私が、この「どうする家康」を見てちょっと思いついたことを書かせていただきます。
「ああ大河ドラマでも、NHKでも、視聴率を気にして作品造りをしているのだなあ」というのが第一印象です。明治維新前後でもまだそうだったので、こんな戦国時代では尚更ですが、基本的に男尊女卑の時代です。故に時代や世の中を動かしていくのは男性の登場人物であるはずで、女性はあくまで脇役でしかなかった時代です(一部例外もあるでしょうが)。その割に、女性の登場人物が多くて、それを描くシーンが多すぎます。チャンネル選択の主導権を「お父さん」が握っていた昭和の時代の大河は、まだこの傾向が薄かったように記憶していますが、今や視聴者に女性が占める割合が大きく、しかも男女平等がしっかり染み込んだ女性視聴者層を掴まなければ視聴率が稼げない時代ですから、如何に戦国時代を描くといえど、登場女性にカメラを向ける時間の多い作品になるのは、今の時代ではしかたないのかもしれません。
私は現代に生きる者ですので、別に女性蔑視や女性軽視するつもりはないのですが、女性主人公の作品や女性の活躍にスポットを当てた作品は別として、こういった時代劇に現代のホームドラマ的な要素を組み入れるのは、どうもフィクション感を感じざるを得ません。まあ、大河ドラマとてドキュメンタリーではなくフィクションであって、あくまでドラマであり、テレビ番組である以上は演出も必要である、ということは承知しているつもりなのですがネ。実は私、この「どうする家康」で徳川家康の正室を有村架純さんが演じるというので、史実で伝えられている瀬名(築山殿)をどのように色付けして描くのか注目していました。ちょうど私が見始めた先月末辺りから、その「築山殿事件」「信康事件」が放送されたので見ていたのですが、まさかの「慈愛の国構想」とは。
群雄割拠する戦国時代において、奪い合うのではなく与え合う、同一通貨を使って経済圏を新築する、というのは、戦の無い世を目指す、皆が平和に暮らせる時代を作る、という点では、現代人にとっても耳障りの良い話に思えます。確かにそれは、現代において「EU圏」という成功例もあります。しかし、そのEU圏設立にせよ、今に至る道程は極めて難しく(イギリスの加入離脱などもありましたね)、情報網や移動手段の発達した現代でも時間もかかりました。それを情報や移動が未発達で、年中隣国と戦をしている時代に、明日は生きているか、国が滅んでしまうか、という時代に、まだ小国に過ぎなかった徳川家が主導して行うなど、ちょっと考えれば絵空事です。戦というものを実体験していない当時の女子供ならまだしも、殺し合って生き抜いてきた武田家の智士である穴山信君までも片棒を担ぐとは、ちょっと意外以上です。そして徳川家康自身もそれに乗ってしまうとは、とても後に天下人になる器とは思えない。武田勝頼や織田信長も出てきますが、彼らの反応の方が、つまりコレを利用して勢力拡大を狙うという方が、当時のリアリティ的にアリだと思いました。故に、現代人向け、今の女性視聴者向け、そして有村架純さん向けの描き方だなあ、と思い至った次第です。
ただ、史実(その史実の解釈も年々変わっていますが)に忠実過ぎると、暗く重い物語になってしまい、それは「骨太」という賛辞は得られても、視聴者受けではどうでしょう。先にも書いたように、ドキュメンタリーではなくテレビドラマですから、たとえば瀬名が生き続けるといったような、史実と大きく離れた話ではなく、「もしかしたらこうだったかも」といった新解釈話に持って行くのは、あながち間違ってはいないと思います。過去の大河ドラマに徳川家康は何度も登場して描かれていますが、それらと違った家康像を目指して脚本家の方が頑張っているのならば、こうしたツッコミどころの有る点は既に想定内で、それはそれで良いのかもしれません。なぜなら、一般視聴者の私がこうした記事を書くこと自体が、この大河ドラマ「どうする家康」のどこかに惹かれている証拠なのかもしれませんから。
さてさて、まもなく戦国時代のビックイベント「本能寺の変」が描かれることになりますが、今までの通説や現代の史実解釈とどう違うのか、違わないのか、ちょっと注目してみます。

(以上、超個人的な感想でした)



過去作は・・・


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