深夜の東名高速を走る。
いや、走っているのではない、車を走らせている。
この道を、これまで何度通ったことだろう。
故郷へ帰る安堵感を手土産に、都落ちの落胆をトランクに詰めて、時に一人で、時に家族で、走った。
希望に満ちてハンドルを握ったことも、消沈する重い足でアクセルを踏んだことも、あった。
気楽に鼻歌を歌いながらも、友や恋人の顔を想いながらも、行く末の不安を抱きながらも、通った道。
日中も早朝も深夜も、かの地と故郷を結ぶこの道を、百は優に越えているであろう回数、トレースしてきた。
今もまた、何回目かの線を引いている。

日が少しでもあれば、きっと綺麗なシルエットを見せてくれたはずの富士山は、闇に沈んでいる。
数十センチ先のガラスに浮かぶ赤いテールランプを見続けている。
僅かな光で照らされる白い点線の間を縫う。
ゆっくりとじわっと、右手と右足に僅かな力を持たせている、単純な時間、単純な作業。
これを、ずっと続けて、どのくらい経っただろう。
ただ椅子に座り、面白くも楽しくも美しくもない光景を見ながら、数センチ幅で手を動かす。
誰かがもし、天上から私のその姿を見れば、何と退屈なことを、と嘲り笑われるかもしれない。
ただ忍耐は必須でも、無為ではないと思うからこそ、そうしている。

目の前の大型トラックが、すーっと左に流れてゆく。
御殿場と書かれた看板を見かけた辺りから、車の帯が三本になることを許されたからだ。
この漆黒の時間、前後左右を見渡せば、こんな大型トラックがほとんど。
あの頃と同じ。
あの頃? あの頃って、何時のことだろう。
東京という名の街が、自分の住処だった頃だろうか。
自分の分身をその街に、置いてきた頃だろうか。
あの頃というタグが付けられた光景が、浮かんでは消えていく。

いかにも家族を乗せています、という風なミニバンが、出口へ続くランプウェイを降りていく。
これまでずっと、まるで僚機のように連れ立って走ってきたが、ここでサヨナラだ。
こんな時間に旅先に向かうとも思えないから、たぶん家路も最後になりつつあるのだろう。
別離を惜しむ気持ちはないが、百キロ以上を伴に走った身としては、無事の帰着を祈る気持ちぐらいはある。
通り過ぎるインターチェンジ。
何処までも、ずっと伸びているように思えるこの道も、実はいくつかの分かれ道がある。
あの車はチェンジを選び、私はそのままを選んだ。
そうして、幾つもの選択を重ねて、ここまで来た。
最短、最良、最高を望み、そうしてきたつもりが、どうだろう。
本当にそうだったのだろうか。
この闇に包まれた一本道。
実はそれから外れることが怖かっただけ、ではないだろうか。
別の道がまばゆく見え、ただそれに引かれただけ、ではなかろうか。
あの時別れた友は、確かこの辺りの街に住んでいたはずだ。
彼は今も元気にしているだろうか。
あれから随分と時が経た。
彼もまたチェンジを選び、この道に乗ったのだろうか。
別離を惜しむ気持ちはないが、無事の帰着を祈る気持ちはある。

墨のような黒の帯を踏み渡れば、そこは不夜城の玄関前。
辺りの空気が急に変わったのは、きっとそれまでとは違う、たくさんの人の気配を感じるからだろう。
傍らで寝息を立てているのは、生涯の伴侶ではなく、自分の血と意思を引き継いだ、まだ未熟な体。
その存在が、現在とあの頃との、決定的な相違であり、そして、時が流れた証拠、いや証人。
まもなく達するその場所に、今の私は、長く居続けるパスポートを持ち合わせてはいない。
数日で踵を返すことを強制されるだろう。
また、この漆黒の闇の中を貫く一本の道を走ることになるだろう。
それでも私はまだ、一人ではない。