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旧友 [巷の雑感・時の想い]

物置を片付けていたら、一枚の写真が発掘されました。記憶を辿れば、今から30年以上前に撮られた写真。今のようなデジカメなどもちろん無く、安価なフィルムカメラで撮られたであろう、鮮明でもない写真。しかしそれは、その時にしか撮れない貴重な写真であり、撮った自身を過去へと誘うものでした。

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交通手段や情報網の発達とその多様化によって、東京と地方の差は少なくなった、との声もあるようですが、現在も地方在住者である私の目には、それでもハッキリとした差は有ると感じています。その東京にある種の憧れを持って、大学入学と共に田舎から出てきた私は、時にその差に苦しめられたり恥ずかしめられたりしたこともありましたが、一年も経てば慣れ、二年も経てば我が街のように歩けるようになったのは、きっと若さ故のことだったと思います。元々が交友関係が広い方ではなかったですが、それでも少なくない友人はいて、その中でも特に親しくなった友には、常にその絆を大切にしてきたつもりです。大学時代に知り合い、その後も続くことになるT君もその一人でした。同じ大学とはいえ学部も違い、毎日のように顔を合わせている訳でもなく、一緒に行動している時間も多くはないのに、「うまがあう」というのはこのことでしょう、会って話すだけで楽しかったことを憶えています。滅多に「飲みに行こう」などと口に出さない私が、その言葉を初めて言った相手でもあります。お互い酒などほとんど飲めない質(たち)なのに。
大学を卒業した我々は、私は一般企業に就職しましたが、彼は実父の仕事を手伝っていました。確か貿易関係の仕事だったと記憶しています。私が結婚を機に東京を離れると告げると、「今しかいけないから行こう」と彼と二人で一週間ほどのアメリカ旅行へ行きました。上の写真はその時に撮ったものです。私の結婚式への招待状を送ったのですが、すまなさそうに「仕事の関係でどうしても行けない」と言っていましたが、その一年後ぐらいに私の住むこんな田舎に会いにやって来てくれました。その時に、日本とアメリカを年に数回以上往復しているのは非効率だから、近々アメリカに住まいを移すつもりである、と彼の口から聞きました。そしてその後、それが現実になったことを彼から電話で知らされました。家庭を持って、必死に生きていた頃の私には、まだ若かったからでしょうか、特別な悲しみや寂しさの感情は湧かなかったと記憶しています。そして、長い年月が過ぎで行きました。
ある日の昼間、たまたま家にいた私がかかってきた電話に出たら、彼でした。どうした?と聞く私に、ビザの書き換えの為に一時帰国した、と彼は言ってました。10日ほど経てばまた戻る、とも言ってました。まだこの手帳に書いた電話番号が生きていて良かった、とも言ってました。数十分も現状の生活のことや思い出話をして、電話を切りました。その時の私は公私に大きな問題を抱えていて、思い出に浸る余裕が無かったのも事実です。しかし後になって、なぜあの時に彼に会いに東京へ行かなかったのか、と強烈な後悔が襲ってきました。東京までなんて、そんなに遠いところでもなく、時間も融通がつけたであろうに、アメリカまで会いに行くことに比べれば容易いことなのに、と。貴重なチャンスを見逃してしまった、とその後ずっと悔いていました。
しかし幸運なことに、チャンスは再度訪れました。それから10年ほど経った頃、亡くなった彼の実父のことで一時帰国する、と彼から連絡がありました。私は今度こそチャンスを逃すまいと、勇んで彼が宿泊しているホテル(東京タワーの近く)へ行きました。30年以上経て顔を合わせた私達。私の目にはそれなりに老けた彼の姿に写りましたが、きっと彼の目にも私が同様に見えたことでしょう。でも背格好も変わらず、声も変わらず、話し方も変わらず、そしてお互いが共通して持っている記憶が何も変わっていないことが、何よりも嬉しかった。数時間もそのロビーのラウンジで話した後、「久しぶりに行ってみようか」と私達の大学まで行きました。池袋の街は随分変わっていたけれど、大学自体は昔のままの佇まいを保っていてくれて、すっかり学生気分に戻っていた私達を包んでくれました。あいにく台風が近づいてきて荒天の予報で、ちょっと早めの夕食を一緒にとり、「必ずまた会おう」と約束して、夕刻に彼と別れたのでした。その後、彼が病魔に襲われることなど、露とも知らずに。
旧友とは、昔の友人、ずっと以前からの友人という意味でしょう。そこに幾ばくかのプラスイメージを持つならば、その旧友は今も情を感じている友であるはずです。如何に以前から知っていたとしても、随分長く付き合ってきたとしても、会いたくない・別れたい・忘れたい、そんな繋がりを持った旧友は、誰にでもあります。それがマイナスイメージの旧友だとすれば、それとは逆の旧友こそは、大切な、断つべきでない絆なのではないでしょうか。それは、今回お話ししたT君のように、若かりし頃に一緒に築いた仲なのに、その後に長い空白期間を経て再会する場合もあるでしょう。時々喧嘩もしながら、着かず離れず、それでも長く続いてきた仲もあるでしょう。旧友という言葉を使う友には、前者の方が多いかもしれません。ただ、久しぶりに会ったけど、あまりに変わっていてガッカリした、もう会わないと思う、そんなこともあるでしょうから、旧友というのは減ることがあっても、増えることはあまりないかもしれません。
学生の頃は、席替え・クラス替えで友人が増えたり減ったり変わったりすることが当たり前のように有り、社会に出てからも、進学・就職・転職などでも同様にあると思われます。けれど歳を重ね、自分の居る世界が見渡せるようになると、次第にその変化が少なくなっていき、交友関係も狭まり、新しい友人の出現も減っていくのは自然なのかもしれません。考えや行動が硬直化している、と見ることもできるでしょうが、自身が成熟化したせいで無駄を省き、取捨選択の知恵を身に付けた結果だ、と見ることもできるでしょう。いづれにせよ、人は意思を持ってその人生を歩むうちに、知識や経験を重ね持ち、肉体的にも精神的にも成熟していき、老いていくものだと思います。そしてその過程で知り合った友人たちも当然変わっていくでしょうが、しかし一人の人間を友人と呼ぶには、それなりの理由が有った筈です。今は無くとも、その時には有った筈です。故にそれは、その時の自分自身を写すメモリーのようなものです。消去してしまいたいメモリーなどは誰にでもありますし、逆もまたしかり。旧友を顧みることができるほど歩んできた人なれば、今の自分がそんな過去の積み重ねで成しているのなら、失うべきではない旧友も、自ずと分かると思います。たとえそれが、今を生きる自身に利を与える間柄でなくても。






昨年秋頃の夜のこと、自宅の電話が鳴って出てみたら、「元気にしてる?」という何にか聞き覚えのある声と、独特の懐かしい話し方。私が大学卒業後の社会人として一歩を踏み出した職場で一緒だった旧友でした。「よくここに繋がったなあ」と言ったら、彼は我が県で働いていた時期があって、その時に我が家に遊びに来たことがあったことを思い出さされました。もう20数年も前のことです。この電話番号がまだ生きているか確かめたくて電話してみた、と言ってましたが、小一時間ほど話して昔を懐かしんでしまいました。その後も何度か電話で話しましたが、彼とも一度会っておかないと、いつまた会えるか分からない、との思いが膨れ上がってきました。上記のアメリカ在住の旧友に比べれば、国内、しかも東京にいる彼にはいつでも会えるだろう、とは思いますが、この歳になると(お互いに)この先何が起こるか分かりません。そこで、彼が現在住む東京へ行くことにしました。その話は次回から。

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