物や自然物に対して「あの頃のまま」という言葉を使う時、それは性能や魅力が保全されている、失っていないという肯定的な意味合いで使われることが多いです。しかし、それが人間に対して、となると、進歩が無い、頑固で偏屈といったマイナスイメージを抱かせることがあります。特に急速に流れゆく現代に生きる人々にとっては、否応無くその変化に追従せねばならないのですから、「あの頃のまま」でいられること自体が難しいことなのかもしれません。


今回ご紹介するのは、ブレッド&バターの代表曲、1979年発表の「あの頃のまま」(作詞・作曲 呉田軽穂)です。

6時のターミナルで振り向いた君は

板についた紺色のスーツ

今でも気まぐれに街を行く僕は

変わらないよ ああ あの頃のままさ

去り行く若い時間を一人止めているようで

うらやましい奴だよと はじめて笑ってくれた

For Yourself For Yourself

そらさないでおくれ その瞳を

人は自分を生きていくのだから


まず最初に、駅でもステーションでもバスストップでもなく、「ターミナル」という言葉を使ったところに、この曲の作者の非凡さが窺い知れます。ターミナルとは、鉄道やバスが複数交差して発着する所であり、一路線の単なる途中駅でもなければ、そこで終わりの終着駅でもない。様々な方向へ行こうと思えば行ける、それがターミナルであり、実はこの言葉はこの詩の大事な部分であることが、聞き終わった後に気付きます。
学生から社会人となり、すっかりサラリーマンとなってしまった友と、今も敷かれた軌道を走らずにいる自分がターミナルで出会います。彼は「うらやましい奴」と言ったけれど、言われた方は少しばかり劣等感を抱いていたのかもしれません。

ネクタイ少し緩め 寂しげな君が

馴染みの店に腰据える夜は

日焼けした両足を投げ出して僕も

Simon and Garfunkel

ああ 久しぶりに聞く

人生の一節 まだ卒業したくない僕と

他愛ない夢なんか とっくに切り捨てた君

For Myself For Myself

幸せの形にこだわらずに

人は自分を生きてゆくのだから


湘南サウンドといえばサザンオールスターズをイメージする方が多いと思いますが、それより少し前に活動したブレッド&バターは、茅ヶ崎で育ち活動したこともあって、当時の”湘南ポップス”の代名詞的な存在であったようです。「日焼けした足」というフレーズが出てくるのは、そうした“湘南”をイメージさせるためでしょう。また、「サイモン&ガーファンクル」というデゥオも(知っている人は知っているでしょうが)、1970年代を代表するアメリカのデュオ歌手ですね。そうした彼ら二人が自由な青春を謳歌した時間を示すアイテムを並べて、今の彼と自分を対比させています。「寂しげな君」という言葉から彼は、あの頃とあまり変わらない自分との違いを感じ、変わってしまった自分に少しばかりの郷愁に似た感情を抱いたのかもしれません。

For Yourself For Yourself

そらさないでおくれ その瞳を

人は自分を生きていくのだから

For Myself For Myself

幸せの形にこだわらずに

人は自分を生きてゆくのだから


そんな彼に「瞳をそらさないで」と言い、彼の生き方を肯定します。そしてこの詩の主題が示されます、「幸せの形にこだわらずに」と。自分は自分の、貴方は貴方の考えや生き方があって、その先に幸せというものがあるのならば、それはたとえ同じではなくても「幸せ」には違いないのだから、と。繰り返される「For Yourself」と「For Myself」は、歩む先に人それぞれの幸せが有り、それが「自分を生きる」ということなのだと聞こえます。
この詩の彼はあの頃から変わってしまったと綴っていて、自分はあの頃のままと対称しているようですが、実は彼の目に映った自分も、本当はあの頃のままではないのかもしれません。なぜなら、たとえ一時期を共に過ごし、同じ価値観を持ち、同じ方向を見て進んでいたとしても、月日と共に人は変わり、周りの環境も変わり、それ故に人は変わっていくのならば、目指す道筋は変わって当然であり、誰しもいつまでも「あの頃のまま」という訳にはいかないからです。ただ、過去は変えられない。共有した過去の「あの頃」は決して変えられないし、でも現在は「あの頃」の延長線上にあるのです。
人はその生きる道すがら、様々な選択をして歩んでいきます。それが、自分を生きていく、ということなのでしょう。けれど、フッと立ち止まって振り返った時、あの頃のままの部分が見つかれば、それは大切にしなければならないものかもしれません。