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2020年回顧録 [日々の徒然]

みなさん、2021が始まり10日ほど経ちましたが、今年もよろしくお願いします。
このブログも、途中何回か中断期間が有りましたが、2010年8月開始ですから、10年以上続けてきたことになります(前ブログからだと13年以上)。私としてはネット上に情報を残すのには、ブログという形式が今のところ合っていると思っていますので、これからも(たとえ細々とでも)続けたいと思っています。お付き合いいただける方、よろしくお願いします。

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さて、年も改まったのに旧年中の事を書くのは気が引けますが、ここで昨年を振り返っておきたいと思います。
一年前に現在のコロナ禍の状況を予測できた方がどれほど居たことでしょう。日本中が(世界中が)この新型コロナウィルスに振り回され、日常生活に不自由を強いられ、経済的なダメージを受け、未だ連日テレビのニュースでは感染者数の増加が報道されています。私も家族も知人友人同僚にも感染者がいないのは幸いでしたが、まだ完全な明るい出口が見えない状況ですね。このコロナ禍の影響は、私が撮っているサッカー界にももちろん多大な影響を及ぼしました。

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2020年1月に全日本U-15フットサル大会(男女)を撮影してから、試合や大会が軒並み延期または中止され、撮影自体ができなくなりました。ただ、学生サッカーを多く撮っている私としては、小学生にしろ中学生にしろ高校生にしろ、最終学年にとっては、そのチームでの、このチームメイトでの最後の試合や大会となるのですから、例年通りとはいかないまでも、何とか撮って残してあげたい思いは、この中断期間中に日増しに強くなっていきました。そして感染が落ち着きつつあった夏頃から、条件付きながらも、試合や大会が徐々に行われることになりました。ただ県サッカー協会や大会役員の方々と話していると、「具体的にどうすれば大会をやってもいいのか」という点で不明確な部分もあり、関係者の方々の苦悩は厳しかったと想像します。その結果、大会日程の決定・公表が遅く、協会に出入りしている私ですら、情報収集に苦慮する有り様。それでもできる限りサッカー場に足を運んで、土日は撮影、平日に編集作業、そしてまた週末は撮影、という状況が8月下旬から年末まで続きました。撮影試合数を挙げると、
8月 9試合
9月 18試合
10月 16試合
11月 11試合とユニクロフェスタ
12月 12試合
試合といっても、小学生の20分ハーフの試合も有れば、フルピッチ45分ハーフの試合も有りますから、実撮影時間は様々ですが、この期間に撮った撮影枚数は、
1D MarkⅣ  22609枚
1DX MarkⅡ  25819枚  合計48428枚
これに7月撮影1試合分と1月のフットサル分を足して、年間総撮影枚数(サッカーのプレイ写真のみ)は、52800枚となりました。これは、過去最高の68486枚(2018年)、一昨年(2019年)の66206枚に比べれば少ない気もしますが、ほぼ昨年後半に撮った枚数と考えれば、自分的には頑張って撮りに行ったかの証だと思っています(一概に多く撮れば良い、というものではないですが)。
撮影試合数に対して撮影枚数が多いのは、ズームレンズを多用したことが挙げられます。今年の写真ストックの無い状態なので、また、どれほど試合や大会が行われるか分からない状態なので、一試合でなるべく多くの選手を撮っておきたい、その為にはズームレンズが適している、という訳で、EF200-400 F4+1.4xを積極的に使いました。

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昨年初めに7D MarkⅡを手放したことは、このブログでご報告しましたが、今振り返ってみれば、「ちょっと手放すのが早かったかな」というのが本音です。換算で約1.3倍になるAPS-H機ですが、約1.6倍になるAPS-C機も有れば尚良かったと思う場面もありましたから。それにしても、このEF200-400 F4+1.4xは、(これもご報告済ですが)キヤノンで調整に出してから元々の性能を100%出してくれているようで、ズームレンズと思えないほどの解像をしてくれます。半面、1.4xを使うと並ズームになってしまうので、できるだけ使いたくない、使うぐらいならAPS-C機にした方が・・・、との考えが浮かび、7D2の売却をちょっと惜しんだのでした。そうしてズームレンズメインで使ってきて、たまにヨンニッパⅢ型を使うと、「サスガ!」と思えるヌケの良い画を得られます。この二本のレンズはサッカー撮影に於いて最強の組み合わせだと思っていますし、高価でしたが後悔などまったく無く、十分満足し、今年もきっと活躍してくれることでしょう。

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以上はサッカー撮影でしたが、私生活の面での大きな変化は、愚息2号が帰郷して同居するようになったことが一番のトピックでした。長女・長男共に、東京の大学卒業後には東京で就職して今に至っていますから、次男もそうなるかと思いきや、帰ってきました。むろん、親である私が不満な訳ありません。しかもバイクと共に帰ってきて、それが私の大型二輪免許取得への動機になり、歳に似合わないバイクの購入に至り、また一つ趣味が増えてしまったこと、このブログで書いたとおりです。昨年前半は、教習所で一喜一憂したり、バイク選びで楽しく悩んだり、愚息とバイクで出かけたり、とサッカー撮影できない時間を上手く埋めてくれましたから、結果的にはいつもより忙しい一年だったと思います。

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もちろん、それ以外に私生活の面で苦労したことは多々ありますが、年が改まってまでイヤなことを思い出すのはやめにします。
さて今年2021年はどうでしょう。また忙しく日々が過ぎていく年になるのでしょうか。それはそれで悪いことではないと思うのですが、教習所に通って、実際にバイクに乗って、歳を感じたのも事実です。若い頃、いやそれほど若い頃でなく10年前位と比べると、無理が効かなくなってきていることを少々感じます。今年はそれを念頭に入れ、無理せず、これまでどおり元気に過ごせていけば十分、と思っていますが、さてどうでしょうかネ。

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 [巷の雑感・時の想い]

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どうして人は、「年内に」とか「歳初めには」と考えるのだろう?

退屈じゃなくて、イイんじゃない

暇つぶしの為とでも言いたいの?

古(いにしえ)の暦の無かった頃、それは退屈に時間が流れていた

日が昇り、日は沈む 一日の区切りはあっても、月日が無かった頃?

そう、だから今日やっても明日やっても 大した違いが無かった頃

その頃は、時間がもっとゆっくり流れていた?

そう、でも人は暦を作った

それは人類の最初の傑作ではなかったのか?

人は過ぎたことをすぐ忘れるから、そうかもしれない

当たり前になった暦に なぜ急がされていると感じるのだろうか?

大晦日の翌日は元旦で、今日が過ぎれば明日が来る

やるべきことを、今日やる・明日やる、これに違いがあるということ?

それは人が暦を作り、無限に流れる時間に区切りをつけたため

なぜ人は自らを急がせる暦を作ったのだろう?

時の流れは無限でも 人の生には限りがあるから

急ぐことは無駄にしない為なのか?

急ぐか急がないかは自由 無駄が何なのか考えるのも自由

時の流れは無限で 暦の進みは確実だけど 人の生は有限で不確実?

そうかもしれない

ならば、やはり暦は人類の英知の結晶だろう

なぜ?

振り返って反省する時 明日を夢見て進む時 暦が必要だと思うからさ




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