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プリント写真 [巷の雑感・時の想い]

まったく年が改まって随分経つのに、今頃片付けです。

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年末年始も通常通りに仕事を続けていたから大掃除ができなかった、というのがその理由なのですが、自室に鎮座する書棚の中が溢れそうなので、先日整理しました。その中で、多くのスペースを取っていたのがカメラ関係雑誌類。取り出せば所々日焼けして、見れば2011~2013年頃の雑誌ですから、もう10年以上前ですね。私が愚息のサッカーを本格的に撮り始めたのが2003年のこと、もう20年前です。その頃にはもうインターネットは使っていましたが、今ほどの情報量が無く、初めて手にしたデジタル一眼レフカメラ(CANON 10D)の使いこなしには、こうしたカメラ雑誌からの情報が主でした。当時複数の雑誌を毎月購入していたことを憶えています。それからネットからの情報が増えるにつれてカメラ雑誌を買わなくなり、今ではまったく購入していません。そして私のような者が増えたせいか、カメラ関係の雑誌も休刊や廃刊になったものもあり、今では書店で見かけるものも少なくなってしまいました。写真はプリントして見るもの、というのは、もう時代遅れなのでしょうか。いや、今でもフォトコンテストではプリント作品のみ受け付けというのが見られますから、一概にそうではないと思いますが、情報はスマホから、というのが当たり前になり、マンガや小説でさえ画面で読む時代ですから、こうした紙媒体が少なくなっていくのは必然なのでしょうか。10年ほど前から続けている某サッカー雑誌の編集部から、今年から発行回数を少なくする旨の連絡を最近受けました。
一時期自室に溢れていたこうした雑誌類も、カメラがデジタル機器になり、その進化スピードが増していくにつれてストックする意味が感じられなくなり、最後に残っていた上図の雑誌も処分しました。なぜこの雑誌が最後まで残っていたかというと、この雑誌のフォトコンテストの選者が、敬愛する水谷章人先生だったからです。捨てるにあたってチラチラと中身を見てみましたが、製品情報や解説はともかく、紙面に載っている写真類は今見ても新鮮で素晴らしく、色褪せてはいないと思います。写真がデジタルになっても、時代が紙媒体を必要としなくなっても、良い写真はやっぱり良い、と思って暫し眺めてしまいました。紙にプリントされた写真(作品)を見るという機会も、個人的には無くならないで欲しいものです。
とはいえ、そんなノスタルジックに浸って狭い自室を整理しない訳にもいかず、思い切ってこれら全て捨ててしまえば、一気にスッキリしました。そういえば写真がデジタルになった恩恵の一つに、省スペースという点が有ると思います。まだ我が家の物置には、そうしたデジタル写真になる前の印画紙に焼いた写真を収めた重い写真アルバムが何冊かあります。やはり片付けながらチラチラ見てしまいましたが、家族の貴重な記録と思えば捨てられません。しかしデジタル画像になってしまうと、今後は欲しい写真をすぐにパソコンから取り出せるように整理整頓していけば、ずっとスリムになると思います。デジタルカメラを手にして以来、貴重な写真は全てハードディスクに二重保存してあります。そして、これからも写真を撮り続けます。プリント写真にせよ写真データにせよ、私の、そして家族の、貴重な財産に違いない、それを再確認した次第です。




ただ、写真がDataになってしまうと加工や編集が容易ですから、原画を創作物やその一部に使うこともあります。写真入り年賀状などはその最たる例です。それはそれで便利には違いないのですが、昭和世代のオジサンには、たとえ色褪せようが鮮明でなかろうが、そのままの姿で残しておきたい気持ちも有ります。写真が「真実を写す」と書くように、加工してしてしまったら写真ではない、というのは狭量すぎるとは思いますが、その時のままに残すというのも大切なこと、だと思います。なぜなら、幾年月を経て見返した時に、それを強く感じるからです。

プリント写真2.jpg

いつの頃に作ったのか忘れてしまった重いアルバムを持ち上げた時に、スッと抜け落ちてきた一枚の写真。手に取った私を過去へといざなう一枚でした。私がハタチ頃ですから、もう40年以上前に撮られた、ちょっと日焼けしたような写真。何処でどんなカメラで撮ったのか忘れてしまった、今のデジタル写真のような鮮明さの無い写真。大学生になりたての頃で、もちろん結婚する前なので、現我が家の一片も無い、私の青春時代ど真ん中の頃の一枚です。ここに写っている友人たちは、この40年余の間にすっかり私のアドレス帳から消え去ってしまいました。それが時の流れ、人の成長、歩んできた行程、それらを呼び起こします。楽しかったこと、辛かったこと、変わってしまった私、でも変わらないもの。「あの頃」と呼べるほどに遠くなってしまったものを、たった一枚の写真が記憶の隅から蘇らせてくれました。
私の卒業写真も、私の子供たちの卒業写真も有ります。まもなく卒業シーズンですが、きっと今でも卒業アルバムは作られているのでしょう。でもそれが、これから先はデジタルDataになって、CDやDVDといった形で渡され、残されていくのでしょうか。それは、この写真が持つような空気感を伴っているのでしょうか。いや、空気感などという曖昧なものをDataに求めること自体が間違っているのでしょうか。パソコンやスマホの液晶画面で見ても同じと言えるのでしょうか。このたった一枚の写真が私に与えた、郷愁に近い想いを湧き上がらせるものを持ち得るのでしょうか。
それらの答えを求めることはせんなきこと、今より先の未来にしか得られないのかもしれません。







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wataru-wata

ジュニアユース様、こんにちは。

最後の写真、時代は変わっても青春ど真ん中世代の写真は眩しいですね♪

多分こういう写真って今の世代は残らないと思うので、個人的には寂しいく思います。

(女の子なら、プリクラばっかな感じします(笑)

ちなみに我が家は家人の希望で出来るだけプリントアウトして、アルバムにして保管してます。

それを寝室の枕元に置いて、たまに見返すのがもの凄く嬉しい時間との事です。

また、子供達とも一緒に見る事もあり、我が家にとってはかけがえのない時間となってます。
by wataru-wata (2023-02-01 14:58) 

ジュニアユース

wataru-wataさん、こんにちは。
写真は貴重、との意識は以前から有りましたし、それ故デジタル画像については保管には気を使ってきたつもりです。
けれど今回、こうしてプリント写真、そのアルバムを手に取って見てみると、これはこれで貴重、と思えました。
おっしゃるとおり、今のZ世代の子達には、こうした写真アルバムやその意識は無いでしょうね。
wataru-wataさんは寝室の枕元に置いて家族で見ることもある、とのことで、うらやましいです。
家族の歴史ですものね。

by ジュニアユース (2023-02-01 23:38)