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パンドラの箱 [巷の雑感・時の想い]

(この記事は、1月31日の「プリント写真」の続きです)

パンドラの箱1.jpg

我が家の諸事情により、今年に入ってから様々なものの整理・片付けをしています。それは、使わなくなったもの、古くて壊れたもの、今後必要にならないであろうもの等を捨て、現在使っているもの、本当に必要なもの、本当に残しておきたいものだけをキチンと整理・収納する、という作業が殆どです。それを選別・決断するには思いのほか時間のかかる作業であることは、きっと皆さんも経験あることでしょう。そしてそれができるのは、所有者自身にしかできないことです。先週末は東京から愚息1号がやって来てくれて、家族でこの作業を一気に進めることができました。
そうした作業の過程で残ったのが、上記の画のもの。私の「パンドラの箱」です。以前は段ボール箱に入れて押入れの隅に押し込んでありましたが、今回取り出して、丈夫そうなプラケースを新規購入して入れ直しました。その中身は、私の写真アルバムです。まだ私が幼稚園の頃のものから、写真がデジタルになる20年ほど前までの、プリント写真を収めたアルバムや卒業アルバムです。私が敢えて「パンドラの箱」と呼んだのは、忌み嫌う物としてではありません。これを開けてしまうと、否応なく過去の自分が蘇り、その記憶と感慨で胸一杯になってしまうからです。
初期の写真はモノクロですし、押入れの隅に入れてあったとはいえ、既に褪色してしまった写真も有ります。どんなカメラで撮ったのか、もう忘れてしまいましたが、今のような高性能のものではないでしょうから、鮮明でもありません。けれどこれは、私が生きてきた証、と言うのはちょっと大げさすぎるかもしれませんが、私にこれまで歩んできた道程を示し、そこへ誘う貴重で、捨てられないものです。一度ページをめくってしまうと、記憶と想いが駆け巡り、数時間はそこから動けなくなるものです。それが分かっている故にこれを開けるのには、惹かれる引力に抗うチョットばかりの覚悟が必要だったりします。良いことばかりが蘇るわけではないからです。たぶん皆さんにも、こうした過去を収めたアルバムをお持ちのことでしょう。
過去を振り返れば、現在との差を感じざるをえません。そして、今に至る時間の流れの中で自らが歩んだ道が、自らが選んだ選択が正しかったのかどうか、想いを馳せてしまいます。過去なのですから、もう変えることはできないのに。それは悪なのでしょうか? 私は否と言い切ります。過去があって今の自分がある、と思うからです。過去に出会った人々、家族だったり学友だったり恋人だったり、そんな人たちと過ごした時間や経験した事象、希望して成し得たことや乗り越えられなかった苦悩、それら全てが現在の自分を形造っているのだと思います。どうか懐古趣味と笑わないでください。そうして今に至った自分、現在を生きる自分にしか明日を創ることはできないのですから。

パンドラの箱2.jpg

「パンドラの箱」とは一般的には、触れてはいけないもの、開けると何か悪いことが起こるかもしれないものの例えとして使われます。元々はギリシャ神話から来た言葉です。

神ゼウスは、まだ地上の人間に男性しか存在せず、災難というものが無かった世界に、全ての悪と災いを封入した箱を持たせて、パンドラ(パンドーラ)という名前の最初の女性をおくります。
彼女は地上に着くと、好奇心からその箱を開けてしまいます。すると、中に入っていたあらゆる災いが人間界に解き放たれてしまいました。
彼女は慌てて蓋をしました。すると箱の底には「希望」だけが残っていました。


私が持っているパンドラの箱にも、その底にきっと「希望」が残っていると信じ、蓋をそっと閉めました。



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wataru-wata

ジュニアユース様、こんにちは。

底にだけではなく、未来にも沢山希望があると思いますよ~!

と言うか、そう思って生きないとやってられないです(笑)

ちなみに、我が家で断捨離を行ったら私が1番先に捨てられそうなので、我が家で断捨離は禁句です(笑)

by wataru-wata (2023-03-03 14:47) 

ジュニアユース

wataru-wataさん、こんにちは。
そうですね~、私も一番先に捨てられそうで怖いです(笑)
昔のアルバムを見ていると、確かにこの頃は「希望」を持っていた、と感じます。
それが今では・・・
そんな過去を見て、元気というか希望というか、そんなものが得られたら、それはそれで幸せなのでしょうね。

by ジュニアユース (2023-03-03 22:58)