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御霊前 [巷の雑感・時の想い]

人の世は無常。その最たる例が、限りある人の命だと思います。
その喫茶店が開店したのは私がまだ高校生だった頃でしたから、もう40年以上前のことになります。店主(女性)一人が切り盛りする、小さな店でした。その後私は住まいを転々としましたので、その店と疎遠になってしまいましたが、この歳になってまたこの街に住むようになり、懐かしさもあって、時々顔を出すようになりました。相変わらず小さくて、近所の人が常連の古い喫茶店になっていました。その店が今年3月から閉まりました。私も含めて周りの人達は、きっと新型コロナウィルスの影響だろう、と思っていました。しかし実は店主の体の具合が悪く、店に立つ体力が無いことが原因でした。既に末期ガンで、余命宣告もされている、と聞きました。そして先週、この世から旅立たれました。私は訳有ってその訃報を知ったのですが、「お葬式は近親者のみで行って欲しい」というのが故人の残した言葉だそうで、式への参列へは丁寧なお断りの言葉をいただきました。
私もそれなりの歳なので、葬儀への出席経験は一度や二度ではありません。故人の遺志、それまで生きた経緯や交友関係やその時の状況、残された家族の意思や状況等々で、葬儀の在り方が変わって当然だと思います。ただ弔問客が多い大規模になるほど、喪主をはじめとした近親者には負担が大きく、葬儀完了まで慌ただしく、じっくりと個人とのお別れの時間が持てないケースも多く見てきました。最近ではよく目にする家族葬が、それらの対極として出来たのには、私的には納得しています。
「永らくのご愛顧に感謝いたします」、5月末にその店のドアに貼られた閉店を告げる張り紙も、もう随分古くなってきました。今日、その店の前に一人行き、合掌しました。もうこの店のコーヒーもランチも口にすることはできません。去来するのは感謝と惜しい気持ちのみでした。
ご主人を早くに交通事故で無くされ、残された三人のお子さんを抱え、一人でこの店を切り盛りしながら40年以上。その三人のお子さんも皆、成人となりました。多くを知らない私が言う資格はないでしょうが、十分頑張った人生だったように思えます。その死は誰のせいでもありません。きっと、この世での役目を終えたのだと思っています。用意した「御霊前」を渡せなかったのはしかたのないこととして、収めておきます。きっと笑って許してもらえると信じていますから。

ご霊前.jpg


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