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思案橋 [巷の雑感・時の想い]

まったくこの蒸し暑い中、セコセコした毎日を送っています。それでもフッと何も予定が無い休日が有ったりします。そんな日には、部屋の片づけをしたり、買い物に出かけたり、買ったままの本を読んだり、そんな時間の使い方が思い浮かぶのですが、それすらも無い。いや実際には有るのでしょうが、そんな気にならない休日って、皆さんありませんか?
空を見上げれば、梅雨の曇り空。「ときどき雨」という天気予報じゃあ、出かける気にもなれず、窓から見飽きた光景をボーっと眺めていると、頭に浮かぶのは過去のことだったりします。「歳を取ったからさ」「暇な身分がうらやましいよ」そんな言葉が返ってきそうですが、反論はできないかな、と最近思います。若い頃はとにかく前だけを見つめて歩き続けてきた。それは振り返る過去よりも、目の前に広がる未来の方がずっと大きかったからです。それが50年以上も生きていれば逆転してもおかしくはない。自分の為、家族の為と遮二無二走って来たのに、「ちょっと休んでいいよ」と言われると、足元を見た次に、振り返ってしまう。私にはまだ仕事が有り、養わねばならない家族がいるので、たとえ振り返っても一時の事。また前に向かって歩き続けなければならないのですが、これが仕事が無くなったり仕事ができなくなったら、と思えば、歳をとるということはこういうことなのかな、と考えてしまいます。これをご覧の皆さんは、私などよりずっとお若いでしょうから、分かって頂けるでしょうか。

思案橋1.jpg

我が街に「思案橋」という旧跡があります。以前は「橋」があったのでしょうが、現在は沿岸部の埋め立てで無くなり、1987年に橋を模したモニュメントとして残されています。
その名の由来は、

天正十年(1582年)六月、突然もたらされた「本能寺の変」の報を受け、当時の泉州堺を豪遊していた徳川家康が、急遽自国の浜松に戻る途中に立ち寄り、ここより海路を進むか、陸路を進むか、を思案した場所がこの橋だったことから、「思案橋」と呼ばれることとなった(結局、家康は当地の廻船問屋の協力を得て、海路で戻った)

とのことです。同じような報を受けた羽柴秀吉(豊臣秀吉)が、好機と見て中国大返しを行ったのと対照的に、慎重な家康は、まずは自国に戻ることを優先したというところが、両者の人物像の違いを対照的に表しているので、妙に納得してしまうのですが、もちろん真実は分かりません。

思案とは、「あれこれと考えめぐらすこと。または、その考え」です。思案することは人間だけが持つ英知の一つなのでしょう。いや、他の動物にも人間ほどではないにしても、思案することがあるのかもしれません。いづれにしても、生きていく事にあたって多くの選択をしなければなりません。人は誰しも、最短で、最小の努力で、より良い結果を求めます。その為に思案し、決断し、選択し、それを生きている間ずっと続けていきます。けれど、本当に最短だったのか、最小の努力だったのか、得られたものが最大・最良のものだったのか。それは気持ちの持ち方、見方の違いで、如何様にも判断できる、結局はあやふやな、曖昧なものなのです。人生に絶対的な尺度など無いのです。徳川家康にしても、本当に陸路ではたどり着けなかったのか、海路の方がリスクが高かったが運よくたどり着けただけなのか、それは誰にも分からない。
思案橋は国道164号線を挟んで、両側の歩道にあります。普段は歩行者より車の交通量が多い道路です。こんな喧騒な場所に佇んでも、深い思慮は得られませんね。少なくとも、自分のこれからの人生の岐路を思案する場所じゃない。では、どこなら最適なのか。時は留まることなく流れ、時代や環境が常に変化していく中で、我々は思案と決断を繰り返さねばならないのですから、そんな最適な場所など元より無いのかもしれない。家康はこの橋でじっくり思案したのかもしれないが、現代の我々には、この橋ではちょっと短すぎるような気がします。

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