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JFA ガールズ・エイト U-12 2022 [写真・撮影]

今年もサッカーシーズンが始まりました。そして、私のサッカー撮影もスタートです。
これまでも書いてきましたが、どの年代であっても「基本的に新人戦は撮らない」というのが私のポリシーでして、今も同様。そして今年の撮り始めは、先週末に行われた「JFA ガールズ・エイト(U-12) 2022」となりました。

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JFA(日本サッカー協会)がトレセンプログラムの一環として主催し、各都道府県トレセンに選ばれた小学6年生の女子を対象としています。全国を9地区に分けて、各地区で2日間に渡って交流試合やトレーニング等を行います。コロナウィルスの影響で一時中止されていましたが、2022年度から再開し、我が地域では先週末に行われました。
http://www.jfa.jp/youth_development/girlseight_2022/

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たぶんどの競技でも少子化の影響は避けられないと思います。日本でメジャースポーツとなったサッカーでもそうで、特に女子に関しては欧米諸国に比べて競技人口の少なさが、これまでも問題視されてきましたし、現状そう思います。今回この大会に出ている選手達も、小学生年代の女子だけのチームというのは少ないですから、男子と混じって練習・試合している子達も多くいます。せっかくサッカーというスポーツの興味を持ってくれた小学生女子が、今後も続けて欲しい、と願うと共に、それ故こうした大会が行われる意義は有ると思います。

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小学生ですから8人制サッカーですし、ピッチも通常の半分ほどの広さです。12分3本を1試合として、勝敗よりなるべく多くの選手がプレイすることの重きを置いた大会ですが、それでもいざピッチに立てば選手たちは真剣です。こうした他県の選手達と試合を通じて現在地を確認することも重要だと思いました。私の目には、まだコロナ禍で練習不足を感じる場面もありましたが、それでも来月には中学生になるこの選手たちに、今後を期待したいと思います。

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(今回も、無難な写真でスミマセン)

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写真パネル 2022年バージョン [写真・撮影]

今回で12作目となる2022年バージョンを製作しました。

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この写真パネルは、私の所属している県サッカー協会の依頼で製作しています。当初は、銀行のロビーなどを利用してサッカー写真の展示を行うために制作していたことは、過去このブログでご報告してきましたし、残念ながらコロナ禍の影響や諸般の事情で、そのような展示方法ができなくなったこともご報告しました。それでも昨年に11作目となる2021年バージョンの写真パネルを製作して、県内サッカー場などで展示させていただきました。そして今回も協会から依頼をいただき、2022年バージョンを、先月一ヶ月を費やして完成しました。
サッカーに馴染みが無い方々に見てもらい、サッカーというスポーツに興味を持ってもらうことが第一義の目的だったのですが、上記のような理由でそれも難しくなり、でもサッカー場に展示すれば、サッカー関係者&選手たちが真剣に、詳細に、見ている姿をよく見かけ、これを話題に話が弾む姿を見かければ、これはこれで作り続ける価値がある、と思うに至りました。B0サイズ(1456mm×1030mm)1枚とB3サイズ(364mm×515mm)4枚の構成は変わらず。今回もなるべく多くの選手を載せることを第一に考えて、主たる大会の決勝・準決勝だけでなく、一・二回戦や各年代のリーグ戦にも(ただし公式戦に限る)できる限り撮影に出向いた結果、当県の選手291名を載せることができました(協会ホームページなどで使われていない初出し写真のみで)。それも、昨年のコロナ禍の中で大会関係者の尽力で各年代の主たる大会が開催されたお陰です。
もう作り方には慣れているのですが、作るならば自分が納得できるものを、と考えてしまうと、どうしても時間と手間がかかってしまいます。けれど、「今年のパネルを見たよ」などと声を掛けられ、暫しその話題で盛り上がってしまった事を思えば、そんな苦労も吹き飛びます。コロナ禍が完全に払拭された訳ではありませんが、今年も通年同様の大会・試合が予定されているようです。一年後にも同じようなパネルを作れるよう、頑張ります!

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パンドラの箱 [巷の雑感・時の想い]

(この記事は、1月31日の「プリント写真」の続きです)

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我が家の諸事情により、今年に入ってから様々なものの整理・片付けをしています。それは、使わなくなったもの、古くて壊れたもの、今後必要にならないであろうもの等を捨て、現在使っているもの、本当に必要なもの、本当に残しておきたいものだけをキチンと整理・収納する、という作業が殆どです。それを選別・決断するには思いのほか時間のかかる作業であることは、きっと皆さんも経験あることでしょう。そしてそれができるのは、所有者自身にしかできないことです。先週末は東京から愚息1号がやって来てくれて、家族でこの作業を一気に進めることができました。
そうした作業の過程で残ったのが、上記の画のもの。私の「パンドラの箱」です。以前は段ボール箱に入れて押入れの隅に押し込んでありましたが、今回取り出して、丈夫そうなプラケースを新規購入して入れ直しました。その中身は、私の写真アルバムです。まだ私が幼稚園の頃のものから、写真がデジタルになる20年ほど前までの、プリント写真を収めたアルバムや卒業アルバムです。私が敢えて「パンドラの箱」と呼んだのは、忌み嫌う物としてではありません。これを開けてしまうと、否応なく過去の自分が蘇り、その記憶と感慨で胸一杯になってしまうからです。
初期の写真はモノクロですし、押入れの隅に入れてあったとはいえ、既に褪色してしまった写真も有ります。どんなカメラで撮ったのか、もう忘れてしまいましたが、今のような高性能のものではないでしょうから、鮮明でもありません。けれどこれは、私が生きてきた証、と言うのはちょっと大げさすぎるかもしれませんが、私にこれまで歩んできた道程を示し、そこへ誘う貴重で、捨てられないものです。一度ページをめくってしまうと、記憶と想いが駆け巡り、数時間はそこから動けなくなるものです。それが分かっている故にこれを開けるのには、惹かれる引力に抗うチョットばかりの覚悟が必要だったりします。良いことばかりが蘇るわけではないからです。たぶん皆さんにも、こうした過去を収めたアルバムをお持ちのことでしょう。
過去を振り返れば、現在との差を感じざるをえません。そして、今に至る時間の流れの中で自らが歩んだ道が、自らが選んだ選択が正しかったのかどうか、想いを馳せてしまいます。過去なのですから、もう変えることはできないのに。それは悪なのでしょうか? 私は否と言い切ります。過去があって今の自分がある、と思うからです。過去に出会った人々、家族だったり学友だったり恋人だったり、そんな人たちと過ごした時間や経験した事象、希望して成し得たことや乗り越えられなかった苦悩、それら全てが現在の自分を形造っているのだと思います。どうか懐古趣味と笑わないでください。そうして今に至った自分、現在を生きる自分にしか明日を創ることはできないのですから。

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「パンドラの箱」とは一般的には、触れてはいけないもの、開けると何か悪いことが起こるかもしれないものの例えとして使われます。元々はギリシャ神話から来た言葉です。

神ゼウスは、まだ地上の人間に男性しか存在せず、災難というものが無かった世界に、全ての悪と災いを封入した箱を持たせて、パンドラ(パンドーラ)という名前の最初の女性をおくります。
彼女は地上に着くと、好奇心からその箱を開けてしまいます。すると、中に入っていたあらゆる災いが人間界に解き放たれてしまいました。
彼女は慌てて蓋をしました。すると箱の底には「希望」だけが残っていました。


私が持っているパンドラの箱にも、その底にきっと「希望」が残っていると信じ、蓋をそっと閉めました。



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