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この場合は [巷の雑感・時の想い]

インターネットが日常生活に溶け込み、携帯端末であるスマートフォンを持つことが当たり前となり、欲しい情報はいつでもどこでも瞬時に幾らでも得られるようになり、自らもそれを簡単に発進できるようになった現在、便利であると同時に情報過多状態を招いてしまい、時に危ういと感じることも多くなったような気がしています。先日、そんなネットニュースを徘徊していると、以下のような話を見つけました。抜粋簡略して以下に書きます。

30代の女性が仕事帰りにバスに乗ったところ、途中から幼い姉妹と母親が乗車してきた。その子らの妹の方はその時既にぐずって泣いていた。車内で懸命にあやす母親に、近くに座っていた70歳ぐらいと思える男性が「うるさい、静かにさせろ」と怒鳴った。母親は涙声で男性に「すみません、次で降りますから」と言い、目的地より前とみられる停留所で下車していった。自分も他の乗客も何も言えず黙っていた。運転手も無言。その時どうすればよかったのか、今も無力感を覚える。

この話を見た人達から、様々な意見が寄せられていました。「自分も同じような経験をした」「人間性を疑う」「言い返すと逆ギレされるかもしれないので、黙ってい降りたのは正解では」「子どもは泣くし、走り回るもの、という認識を共有できなくなっている」「バスの運転手が何もしなかったのはおかしい」etc.
昨今のネット上の書き込みの中には、法規や倫理を犯すようなものが有って問題になっていますし、実際そういった書き込み(発言)を目にする度に、何らかの規制が必要なのでは、とも思ったりしますが、基本的には言論の自由が憲法で認められている日本です、様々な意見があっても良いと思います。ただし、総論的な言い方は(現在のネット社会では)他に容易に引用されてしまい、具体的な事例を指して言った場合でも独り歩きしてしまうこともあり、気を付けなくてはいけないと思っています。

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さて、そこで思い出したことがあります。以下は私が実際に見た話です。

あるショッピングセンターのフードコートでのこと。注文したものをトレーに乗せて席に向かっていた私は、未就学児と見える男の子二人が走り回っているのにぶつかりそうになりました。慌てて避けたので事なきを得たのですが、その後も走り回っていた子達はとうとう、別の店に並んでいた70歳ぐらいの男性にぶつかってしまい、その方の持っていた紙製の手提げ袋を破ってしまいました。その男性は何も言わず、床に散らばった品を拾い上げていました。子供だけで来る筈はないので、親はどこにいるのだろうと見回しましたが、それらしい姿を見つけられませんでした。十数分後、私の隣の席にいた女性が、「Kちゃん、行くわよ」と言って立ち上がりました。ジャージ姿でサンダル履きの20代前半と思われる金髪の女性の二人連れ。今まで子供には一目も向けず、スマホ片手にずっと喋っていた彼女達が親であることに驚いてしまいました。もちろん彼女たちは何食わぬ顔で立ち去って行きました。

フードコートは何軒かの店が連なり、飲食席を共有する形をとっています。安心・安全に飲食できるようにする責は各店にもあるかもしれませんが、まず第一にそのショッピングセンター側に管理責任が有るように思われます。片付けや清掃の為に見回っている女性従業員の姿は見ましたが、そういった管理者の姿は見たことがありません。故にこのような状態を招いたのかもしれません。フードコート外では警備員の姿を見たことがありますから、彼らに言うべきだったでしょうか。何も行動できなかった私には、少々の苦い想いが今も残っています。

上記に二つの話を挙げましたが、聞けば様々な方が様々な意見や思いを抱くかもしれません。けれど私はここで、「子供のしつけは・・・」「最近の若い親は・・・」「年配の人なら・・・」といった総論めいたことを書くつもりはありません。それは、このシチュエーション下での事象に対する意見であるにもかかわらず、その前後左右の状況などすっ飛ばして、その意見や書き込みが無為に引用されたり、勝手に独り歩きしてしまう危険性が有るからです。私がここで指摘したいのは、その点です。
先にも書きましたように、言論の自由は保障されていますし、簡単に他者や社会に発信できるツールもあります。けれど意見や考えを言う場が幾分ソーシャルな場合は、「この場合は」という言葉を前に付けて限定した方が良いと感じています。そうしないと、何時・誰が・どのような場で、状況が違うのに引用されてしまうかもしれないからです。勝手にそれを外してコピペされて、他者の見解・自分の意見とされてしまう現代ですから。

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