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キャッシュバック [カメラ機材]

EF40mm F2.8 STMを購入したことは、以前ご報告しました。購入動機の一つにもなった、現在キヤノンが行っている「ゴールドラッシュキャンペーン」には、もちろん応募しました。

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応募用紙(購入した通販店が同封してくれてました)に必要事項と保証書のコピーなどを貼って、送ったのが先月下旬のこと。その2週間ほど後に、上記のハガキが届きました。キャッシュバックはゆうちょ銀行の普通郵便で届きます、という注意書きというか案内ですね。今か今かと待っている身には、なかなかご丁寧です。
で、それから10日ほど後に、ゆうちょ銀行の封書で「振替払出証書 5000円」が届きました。申し込んでから一か月ほどかかる、という話でしたが、私の場合3週間でした。

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コレと身分証明書と印鑑を持って、ゆうちょ銀行か郵便局の貯金窓口へ行けば現金5000円が払い出される、というわけです。ただ郵便局の窓口業務は、民営化されて時間拡大されましたが、貯金窓口となると土・日はダメで、平日の昼間に限定されます。行き難い、といえばそうで、現金書留(某雑誌のフォトコンの賞金はコレ)か銀行振り込みなら良かったのに、などと思ってしまいました。まあ、現金書留は手間がかかりそうだし、銀行口座を持っていない人もいるかもしれないし、この方法が一番良いのでしょうかね。
何はともあれ、こうして5000円が返ってきて、これで正真正銘、EF40mm F2.8 STMは10800円で手に入れた事になった、とご報告しておきます。

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サッカー撮影51(偶然の産物 後編) [サッカー撮影]

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さて、話が大きくなってしまいました。ここは「サッカー撮影」の場なので、サッカーを撮るということで考えたいと思います。
広いグランドを前後左右に動き回るサッカー選手を撮るのは、決してたやすい被写体ではありませんが、現在のデジタル一眼レフカメラを使う限りにおいては、何も考えずバシャバシャと撮っても、帰宅してパソコンで確認してみると、満足のいく気に入った画を得られることはあります。私はこれまで初心者の方には、何枚撮ってもコストのかからないデジタルなのだから、とにかくいろんなシーン、いろんな設定で撮ってみて、ステップアップしていくことを勧めてきました。そうして特に何も考えずに撮った膨大な枚数の中から、気に入った一枚を得られたとしても、それはサッカーを撮ろうという意志の産物であり、偶然や運の賜物だと100%言い切ることはできないと思います。たとえそれが、数百枚・数千枚の中の一枚であったとしても。
ただ、撮影者自身が何もイメージせずに、闇雲にシャッターを切った結果で得られたもの、そして、気に入った一枚といっても、何がどう気に入ったのかまだ分かっていない、そうした最初期の段階では(誰もがくぐってきた関門の一つなのですが)、前回に書いた、機材・知識・技術・意図・感性・意欲の占める割合が小さく、故に撮った画が安定したクオリティを得られず、良い写真・満足のいく画が、運や偶然性に左右されやすいでしょう。そうした初期段階で留まってしまう、そこで終わってしまう人なら、サッカー撮影は偶然の産物、と言ってしまうかもしれません。しかし、そうした段階から、もうワンステップ上に登ろうとするのなら、そんな言葉を使うべきではありません。前回書いた、撮れればいい、という記録的側面の話ではないのですから。

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自分の子、又はそのチームを撮っていて、シュートシーンを撮りたい、ゴールキーパーのナイスセーブを撮りたい、勝利を決めてガッツポーズの画を撮りたい、撮影者にはいろんな希望が有ると思います。しかしそう思ったとして、一試合頑張ってレンズを振っても、チームが勝利しなければ、シュートが飛んで来なければ、撮れないことは事実です。それ故、高価な機材を使っていようが、技術や知識が豊富であっても、目の前で起こる現実を撮る以上、撮影者の希望に沿わない、どうしようもないところは確実に存在します。とりわけ、スポーツは筋書きの無いドラマなのですから、思ったようにいかないのが当たり前のところがあります。
では、そんな狙ったシーンが一度も眼前に現れなかったとしたら、一度もシャッターを切らないのでしょうか。私は、実際にはそんなことは無いと思います。なぜならば、撮影者自身の希望するシーン以外にも、良いと思うシーン、印象的な表情、感動的な場面、などが存在すると思うからです。一試合を通じて眼前で繰り広げられる筋書きの無いドラマの中には、形にして残して置きたいシーンは、実は無数にあって(もちろん、凡戦もあれば好戦もありますから、一概に多数とは言い切れませんが)、実はその中の極一部のシーンを希望として持っているに過ぎないことに気付くべきです。その撮影者の希望のシーンといっても広狭さまざまで、より多くのバリエーション、より多くの着眼点を持っていればいるほど、それらを形にして残せる確率は高まり、依ってそれこそが、撮影者の力量のバロメーターとなるのだと思います。スイートスポットが広ければ広いほど、巧打を生む確率は高く、狭ければ狭いほど、好球が来てもミスショットになる確率が高い、ということだと思います。
前回述べたように、写真撮影が撮影者の目の前で現実に起こっている事を形にして残す行為である以上、偶然や運に左右される部分を(一部の例外を除いて)完全に排除することはできません。しかし、それが全てではありません。それを小さくできるのです。サッカーというスポーツは、プレーが途切れず、僅か1分にも満たない時間で攻守が入れ替わる、ピンチがチャンスに変わるスポーツなのですから、それを撮るのであれば、撮影者自身のスイートスポットが広くなければ、目の前で流れていく光景で、ココ!と切り撮って形にして残せる訳がない。私はここで「スイートスポット」という言葉を使いましたが、機材・知識以外に撮影者が持つ「引き出しの多さ」といった言葉で表現される、作品にできるバリエーションの多さとその技量の奥行です。そしてそれにプラスして、瞬時にそれを感じ取れる感受性の鋭さです。それらはやはり、多くのトライアンドエラーで積み重ねた経験、多くの作品を見て養った眼、常により良いものを求める意欲、等によって培われたるもので、偶然性や運を最小にできる力だと思います。

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サッカー場に着いて、試合が始まる・撮影を始める前の僅か2~3分でいいです、今日これから撮ってみたいシーンを思い浮かべてください。1つ、2つ、3つ。NO! もっと! 5、6、7、いやもっと! 10、11、12・・・。さて、撮影に入りましょう。筋書きの無いドラマです、希望したシーンを全て、ものにできた訳ではないでしょう。でもどうでした? 撮影開始前に思い浮かべたシーンのうち、幾つかは撮れたのではないでしょうか。その画は偶然に撮れたものですか? 運が良かったからですか? 違いますよね。あなたが狙って撮った画ですよね。

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サッカー撮影50(偶然の産物 中編) [サッカー撮影]

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写真撮影とは、撮影者の目の前で現実に起こっている事を形にして残すことで、その形にして残したものが写真です。現実に起こっていない事を撮影することはできません。デジタルアートのように、写真をベースとしながらも、創作の部分が大きいものとは別物でしょうし、もちろん同じ芸術の分野の絵画や彫刻などの、製作者が一から作り上げるものとは違います。写真は、現実を写すという意味で、事実保存という記録としての側面もあり、その意味では100%フリーな意思表現の場という訳にはいきません。写真の芸術的側面は、あくまで現実の撮り方の部分であり、それをどのように二次元的に表現し、見る者に伝えるかです。この、記録と表現という両側面を兼ね備えたのが写真であると思いますし、それを前提で考えるべきでしょう。
ここで、季節は春ですから、桜の写真を例にしたいと思います。Aさんは、地元の桜並木が満開になったと聞いて、カメラを片手に撮りに行きました。そして、見事に咲いた桜の写真を撮ってきたとします。この行為自体に、偶然性は感じられません。Aさんの撮った写真は、偶然の産物とは思えません。ただ、「青空をバックに撮りたかったのに曇り空だった」とか、「花弁が舞い落ちる様を撮りたかったのに無風だった」とか、Aさんの思い描いたシーンを撮れなかったとすれば、その原因をAさん側に全て押し付けることは難しいでしょう。記録的には望むものが撮れたとしても、写真を自らの表現の場とする面で、撮影者の意図を反映した作品撮りができなかった要因に、人知の及ばない部分が有ることは、認めざるを得ないと思います。
私の家内の実家は、富士山の麓にあります。「ダイヤモンド富士」というのをご存知でしょうか。太陽と富士山頂がちょうど重なり、その光芒がダイヤモンドが輝くように見られることがあり、この現象をタイヤモンド富士といいます。これは一つの大気光学現象です。これを狙って、「3日間頑張ったけど、結局今年は雲がかかってしまい、思ったような画が撮れなかった」と嘆いていた話を聞きました。これなどは、撮影者自身が狙って努力したのに、結果が伴わなかった例ですが、その原因を撮影者自身に課すのは酷なことでしょう。ただ逆に、「通勤途上で偶然にもダイアモンド富士が見れそうだったので、たまたま持っていたカメラで撮れた」という話も聞いたこともあります。これなどは、撮影者自身が特に望んでいた訳ではないのですから、運が良かった、偶然撮れた、と言われても不自然ではないかもしれません。

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最初に、写真には記録と表現という両側面があると書きましたが、ここで題材にしているのは、撮れればいい、という記録的側面の話ではないので、以降は後者の場合を想定して話を進めたいと思います。先の桜の例でいえば、満開の桜並木が撮れればいい、というのではなく、撮影者自身が思い描いた桜のシーンを、写真として上手く表現できるかどうか、といった点です。その場合でも、天候や撮影場所や周りの環境など、撮影者自身ではどうしようもない要素に翻弄されることはあります。
列車や航空機、船舶を撮っている方もいらっしゃると思います。運航ダイヤや路線を調べ、そこに行けば撮れるでしょうが、そこに「夕日をバックに」とか「水煙を上げて」といった条件を付けると、途端に難しくなります。そこには、ある割合で人力ではどうしようもない部分が入り込んで来るからです。野山を歩いて、鳥を撮っていらっしゃる方もいます。鳥が撮れればイイ、というのであれば、難しくないかもしれません。けれど、「カワセミを」「猛禽類を」と限定し、しかも「ホバリングしているところを」「滑空しているところを」と更に望めば、やっぱり運や偶然性に左右されることは有ると思われます。では、そうした望んだ写真を撮れたとして、それは運が良かった、偶然だった、と言い切れるでしょうか。目の前の現実を撮るのですから、スタジオ内でモデルにポーズの注文を出しながら撮る、といった一部の例を除いて、そのような偶然性に左右される要素を、全て排除することはできないと思います。しかし逆に、運や偶然性が撮られた作品の全てを決める、とも思えません。

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写真の評価という点で、詳しく述べられるほどの力量は、私にはありません。ただ私は、撮影者自身が実際に見て、心に感じたものを表した写真、見る者に何かしらの感情なり感想なり、そんな心の揺らぎを与えるような写真こそが作品なのだと思います。それには、その為の機材が必要でしょう、撮影技術や知識が必要でしょう、センスや感受性も必要でしょう。そして何より、意欲が必須でしょう。それらが一つでも欠ければ、目の前を絶え間なく無限に通り過ぎていく光景をただ見過ごしているだけで、意図を持って切り撮ることなどできないはずです。運や偶然性の存在は否定できませんが、それよりも前述の機材・知識・技術・意図・感性・意欲の占める割合の方が、作品を撮る要因の過半数を超えるべき(はず)だと思いますし、その部分が大きいからこそ、偶然や運の部分は小さくできるのです。小さくできれば、それに翻弄されることもないのです。
フォトコンテストの入賞者は、運の良い人の集まりではないのです。

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サッカー撮影49(偶然の産物 前編) [サッカー撮影]

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少し前のこと。あるサッカーを撮っていらっしゃる方との会話

「サッカーの写真って、偶然ですよね」
私、「ええっ・・・!?」
「サッカー撮影といっても、良い写真って、偶然に撮れるものですよね」
私、「ええ確かに、こちらから選手にポーズの注文を出せる訳ではないですが・・・」
「所詮、運次第ですよね」
私、「・・・」

さて、サッカー撮影とは、サッカー写真とは、偶然の産物なのでしょうか。これが今回のテーマです。
皆さんは、どのように思われますか?

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