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購入尺度 [巷の雑感・時の想い]

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お金の使い方というのは十人十色。どれが正解、というものは無いのかもしれません。生きていく為に、家族を支えるために、どうしても必要な経費は別としたら、それ以外の使い道は当人にしか決められない事、いや、当人の権利と言ってもよいかもしれません。ということは、主観ということになります。
私が幼い頃、親に「買って!」とねだった時に決まって言われたのは、「それ買って、本当に使うの?」でした。今も昔も、そうした小学生年代というのは、何にでも興味を持ち、それ故に移り気で、いつの間にか部屋の片隅に放って置かれる物が増える歳頃です。決して裕福ではなかった我が家では、ねだれば何でも買ってくれる訳でもなく、決まってそう言い返されることが普通でした。そうやって幼き頃に呪文のように言われ続け、しっかり脳裏に刻みこまれた私は、いつの間にか物を買う尺度が、「どれだけ使うか」という観点になってしまったのも無理無いこと。それが延々と今日まで続く、私の購入尺度になってしまっているのですから、幼い頃の記憶とは実に影響大であります。
その「どれだけ使うか」にしても、個々人によって大きく違うでしょう。かばんや財布を擦り切れるほど使う人には、買い替える際には、よく使うものだから多少高価であっても良いものを、と考えるのは尤もな事のように思えます。野球のグローブ、テニスのラケット、サッカーのスパイクも、ボロボロになるまで使い込んでくれれば、それを買ってやった側としても、満足いくお金の使い方だったと思えるのではないでしょうか。逆に、興味を持って手に入れたとしても、2,3日で飽きて部屋の片隅に追いやられているのを見ると、無駄使いしたと思えることもあります(使わなくても、無くては困るというものは別として)。そう考えると、随分昔に幼き私に刷り込んでくれたこの購入尺度は、意外に真を得ているのかもしれません。
ウチの子供たちにとって携帯電話は生活必需品になってしまった感がありますが、私などは、「電話が繋がればいい」という方で、電池の持ちが悪くなったiPhone 4を使い続けていますし、「たかが趣味に」と言われることもあっても、カメラやレンズにつぎ込んだ費用を、未だにちっとも惜しいとは思っていません。使用頻度といっても、単に使用回数や使用時間といった基準のみで計ることはできず、仕事の内容・生活リズム・興味の大小・美的センス・可処分所得の多少・知識などなど、その人それぞれで大きく左右され、果たしてこれが公明正大な購入尺度なのか、と疑問が生じることもあって、これが永遠不滅な尺度と言う自信はありません。物の購入というのは、実は一方向のみで決まるのではなく、様々な観点や要素のよって現実的には決断されるもので、それに時代の流行や価値観の変化なども考慮に入れたら、もう訳が分からなくなります。そう考えるなら、不確かなものに定規を当てているのと同じで、所詮は「買ってしまった後の言い訳の尺度」ではないか、とも思えてきます。
まあ、どんなに価値を見出し、使用頻度が高そうで、夢を膨らませても、資金が無ければ泡と同じで、そんな尺度など霞んでしまうのですがね。

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