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「おまえが大きくなった時」 [本・映画・アニメ・詩歌]

今年を振り返る時期となりました。
良い事も悪い事も、楽しいことも悲しいことも、いろいろ有った一年でした。そしてこのブログをご覧の皆様方も、同様だったのではないでしょうか。でも考えてみればそれが当然で、普通で、毎年ちょっとずつ違えども、それらの繰り返しで歳を重ねて行くものだと思います。大切なのは、今こうして振り返って見れること、明日を考えられること、ではないでしょうか。
さて我が家の今年一番の思い出は、7月に行った家族旅行でしょう(このブログでも書きました)。私たち親が子供を連れて行ったこれまでの旅行と正反対に、子供たちが発案して、計画し、費用を負担し、私たち親を招待してくれたのです。これは我が家始まって以来の初めてのことです。ビックリすると同時に、嬉しくもあり、そして子供たちの確かな成長を実感できた旅行でした。

お前が大きくなった時.jpg

我が家は五人家族です。三人の子供に恵まれました。そしてその末っ子が今年、満二十歳になりました。もちろんまだ大学生ですから親の援助は必要なのですが、それでも我が子三人とも、無事に、五体満足で、成人させることができました。親として、これほど嬉しいことはありません。運動会の場所取りに行ったり、習い事の送り迎えに行ったり、クリスマスのケーキを全員で食べたり、そんな想い出が走馬灯のように脳裏を巡ります。大して立派な親ではなかったですが、子供たちがそれを補ってくれた我が家でした。この五人でしか作れない我が家でした。今は少し肩の力が抜けて、その分だけ嬉しくもあり、感謝する気持ちが湧いてきます。

今年最後にご紹介するのは、「かぐや姫」の「お前が大きくなった時」です(1978年 作詞・作曲 南こうせつ)。


おまえが大きくなった時 あの青い空に
白い紙飛行機が 夢を運ぶだろうか
おまえが大きくなった時 あの枯れた大地に
咲いた名もない花が 命を語るだろうか
ごらん あの街を 灯りが揺れてる
おまえの温かいこの手を握りしめれば
ああ聞こえる ふるさとのうた

この詩は、「お前が大きくなった時・・・だろうか」というフレーズで構成されています。それはつまり、親がまだ小さい自分の子に向けて、こうなって欲しい、という希望を謳った詩であることは明白です。
灯りが揺れている街を見てみなさい、と綴られています。灯りは団らんを楽しむ家族の住む家の灯りでしょうか。それとも、夜遅くまで頑張って働いているビル窓の灯でしょうか。いづれ大きくなれば、そんな灯りの下で生きて行かなければならない事を示すと同時に、その灯りが少しでも暖かであることを願っているように聞こえます。

おまえが大きくなった時 このビルの谷間に
やさしい唄が 流れているだろうか
おまえが大きくなった時 この灰色の窓辺に
沈む夕陽が やすらぎをくれるだろうか
ごらん あの街を 灯りが揺れてる
おまえの温かいこの手を握りしめれば
ああ聞こえる ふるさとのうた

「柔らかな皮膚しかない訳は、人が人の痛みを聞くためだ」そんなフレーズの曲があります。人が人の手を握る、それは手のひらを合わせることです。たとえ固く、皺だらけの手であっても、手のひらは柔らかです。それを合わせることは、何の媒介も無く、人と人が触れ合うことです。それが親子ならば、より一層通じ合うものが流れることでしょう。

おまえが大きくなった時 この小さな胸に
確かな喜びが 育って行くのだろうか
おまえが大きくなった時 この手のひらに
愛する心が 通い合うだろうか

「ふるさとのうた」とあります。ここで言う「ふるさと」とは何でしょう。今は離れてしまった生まれた場所のことでしょうか。親がまだ小さい我が子に向けて告げるには、それではちょっと不自然に感じます。私はここで言う「ふるさと」とは、「過去」の代名詞だと思うのです。まだ小さかった自分が、両親に言われた言葉、共に過ごした家庭での出来事、そうした今の自分を作ってくれた道程である「過去」が有り、子を持つ親となった現在、その子の手を握って思い出すのは、そうした自分の「過去」=「ふるさと」なのではないか、と。そう考えれば「ふるさとのうた」とは、親が子に向けて、こうなって欲しい、という希望を謳った、この詩そのものではないか、この詩こそが「ふるさとのうた」なのではないか、と思うのです。
40年前に造られた詩です。その時小さかった子供は大人になり、まだ小さい我が子の手を握っているのかもしれません。親から子へ、子からまたその子へ、語る言葉は違っても、手のひらから伝わる想いは同じであり、この「ふるさとのうた」もまた同じであろうと、ご紹介させていただきました。
子供にとって親は、死ぬまで親です。しかし、過去に何度か書いたことがありますが、親が親として子供を育む時間は思ったよりも短いのです。子供の成長が留まる事はありません。子供が成人して、社会という大海に漕ぎ出せば、親としての務めもほとんど終わったことでしょう。しかし、そんな子供が疲れ、悩み、苦しい時に、フッと振り返れる場所、そんな「ふるさと」を残しておいてあげるのも、親の務めなのかもしれない、今はそう思っています。



かぐや姫 「お前が大きくなった時」


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