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「ANNIVERSARY」 [本・映画・アニメ・詩歌]

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今回ご紹介するのは、松任谷由実(ユーミン)の23枚目のシングル、1989年6月28日にリリースされた「ANNIVERSARY」です。シングル発売時には、「〜無限にCALLING YOU」というサブタイトルが付けられていましたが、アルバム(LOVE WARS)収録時には外されていましたので、ここでは省略します。この曲は、NTTのお祝いメロディ電報の曲としても使用されたらしく、結婚を祝うお祝い曲のイメージが強いらしいです。一方で、「そうではない、死別した人を思う曲だ」との声も聞かれます。どちらも両極端ですね。もちろん作者であるユーミン自身が、この件に言及しているのを私自身は知りませんし、聞き手のイメージを大切にするでしょうから、作者自身から明確な回答を得ることは無いでしょう。そこで、私の個人的な解釈をここで綴ってみたいと思います。

なぜこんなこと 気付かないでいたの
探し続けた 愛がここにあるの
木漏れ日がライスシャワーのように
手をつなぐ二人の上に降り注いでる


長短は別として、これまで傍らに居てくれた人が、自分が真に探し求めていた人である、と言うのです。この冒頭の部分だけで、自身と愛する人とを歌った詩であることが分かります。ただ次の行に「ライスシャワー」が出てきます。ライスシャワーは結婚式で、ゲストが新郎新婦に米粒を振りかける演出ですから、皆さんもご存知の事と思います。ただ「ライスシャワーのように」です。本当のライスシャワーではありません。二人に降り注いでいるのはライスシャワーではなく、木漏れ日です。ライスシャワーという言葉が出てくるだけで、結婚ソングと決めつける訳にはいきません。

あなたを信じてる 瞳を見上げてる
ひとり残されても あなたを想ってる


この「ひとり残されても」という言葉が、大切なパートナーが死別している状況なのではないか、との声の所以でもありますし、もしたとえ一人になったとしても想い続ける、という未来にやってくる現実へ向けての言葉である、との声もあります。さて、どちらでしょうか。手をつなぐ二人に注いでいるのは、ライスシャワーではなく、木漏れ日なのです。

今は分かるの 苦い日々の意味も
ひたむきならば やさしい昨日になる
いつの日か かけがえのないあなたの
同じだけ かけがえのない私になるの


「今は分かるの」とは、以前は分からなかったけれど今ならわかる、ということです。二人が共に歩んできた時間が有るのでしょう。それが、結婚というゴールにたどり着くまでの道程なのか、結婚してからどちらかが死別するまでの道程なのか、はたまたその両方なのか、分かりません。その起伏のある道程を乗り超えても、変わらない強い愛を感じさせます。ただ、「かけがえのない私になるの」という意思が表明されています。亡くなってこの世に居ない人に対して使う言葉ではないように思えます。

明日を信じてる あなたと歩いてる
ありふれた朝でも 私には記念日


一文目は、明日あなたと歩いている二人を連想させます。二人で歩く明日を、大切なものだ、大切にしたい、という愛が感じられます。そして、その次の一文に初めて「記念日」という言葉が出て、この詩の核心が込められていると思います。

今朝の光は無限に届く気がする
いつかは会えなくなると 知っていても


ここで一度転調し、次につながる主題を強調します。無限とも思える光に包まれている幸福な自身だが、愛する人とは別れる未来が有ることも知っています。この「会えなくなる」という言葉が別離(生別・死別を問わず)を意味し、「いつかは」とい前置詞が付いている以上、今は二人なのでしょう。けれどこの別離を表す言葉によって、お祝い一色の単純な結婚ソングには思えないのです。別れを予感させる言葉を門出の席である結婚式に持ち出すのは、どうにも失礼だと思うからですが、ちょっと古い考え方でしょうかね。

あなたを信じてる あなたを愛してる
心が透き通る 今日の日が記念日
明日を信じてる あなたがそばにいる
ありふれた朝でも 私には記念日
あなたを信じてる 瞳を見上げてる
ひとり残されても あなたを想ってる
青春を渡って あなたとここにいる
遠い列車に乗る 今日の日が記念日


あなたを信じ、愛すると思った日が記念日。あなたと二人で明日へ進むなら、ありふれた日常の些細なことでも記念日。たとえあなたが亡くなっても、共に歩いた道程は記念日。そしてそこから、あなたを想いながら、一人で一歩を踏み出すのも記念日。この最終節に、この詩の主たる意味が表されていると思います。全ての歌詞を顧みて、結婚や結婚式のイメージだけをこの詩にはめ込むのはどうでしょう。「いつかは会えなくなる」「ひとり残されても」という言葉が出てきますが、だからといって、愛する人が既に居ないことを断定できないでしょう。それは、「いつかは」「残されても」という、今ではなく将来に向けての想いを連想させる言葉になっているのですから。
最後の一文「遠い列車に乗る」のは、一人になった自分なのでしょうか。将来一人になることを覚悟した二人なのでしょうか。これまでの考察から、私は後者のように思えます。列車に乗る=結婚なのか、結婚を決めた時なのか、結婚後に気付いた時なのか、それは分かりません。分からないけれど、どちらにせよそれは記念日なのです。そういう意味で、ラヴソングの範疇に入るに違いないこの詩に、実はもっと普遍的な意味合いを感じてしまいました。
信じて愛することができた二人が歩む道程で、今は幸せの光に包まれていたとしても、人の命は永遠ではない。いづれどちらかが先にこの世を去ることでしょう。だからこそ、今の二人の人生で起きるささやかな出来事も、他人から見れば何でもない事象でも、良いことも悪いことも、そしてそれらに幾ばくかの想いが重なれば、それ全てが記念日なのだ、と言っているように聞こえます。いつか一人になるのなら、それまでの日々を、二人の一日一日を大切にしよう、と言っているように聞こえます。
anniversaryとは、日本では祝い事をする日のイメージが定着しています。日本語訳の「記念日」となると、結婚記念日や誕生日、会社などの設立記念日などを思い浮かべる方が殆どでしょう。ただ、英語の「anniversary」は日本語の「記念日」よりももっと広い意味を持っています。亡くなった人の命日や重大事故が起こった日にも使います。そう考えると、人の人生の中で、毎日の日常の中で、たとえ些細なことでも、より多くのanniversaryが有るのではないか、との想いが湧きます。人と出会ったこと、再会したこと、欲しかったものを買ったこと、病気になったこと、試験に合格したこと、子供と遊んだこと、大切なものを壊してしまったこと、美味しいものを食べたこと、悔し涙を流したこと、記憶に残る情景を見たこと、昇格・昇給したこと、ケンカしたこと、転職や引っ越しをしたこと、行きたかった場所に行けたこと、人と別れたこと、そして、好きな人ができたこと、愛する家族ができたこと、それら全てがanniversaryであり、大切にすべき記念日なのだと、この詩を聞いて伝えられた気がしました。

2019年、令和となったこの年も、間もなく終わろうとしています。この一年を振り返ってみる時期なのでしょう。私には、良いことも悪いことも、様々有った年でした。みなさんもそうなのかもしれません。それでも、それら全てがanniversary。そして来年も、そんなanniversaryに満ちた年になることでしょう。皆さんの来る年に、より良いanniversaryがたくさん有ることを祈って、今年最後の記事とさせていただきます。ありがとうございました。




ANNIVERSARY


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