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「鉄道員(ぽっぽや)」 前編 [本・映画・アニメ・詩歌]

文字を書き続けて文章を作る。文章を綴り続けて物語にする。そうして文字で出来上がった物語を小説と呼び、幾億幾万の文字印刷された紙の束を本として書店に並べ、我々はそれを購入して読む。読むのはただの文字だから、ビジュアルとして目に入ってくる訳でも、音声として聞こえてくる訳でもない。文字を咀嚼しながら読むことで、読者は情景や登場人物の感情を脳裏に浮かばせる。その過程には、個人差も当然ある。年齢・性別・性格・経験値・趣向などによって、個々人の脳裏に得られるイメージは同一ではない。その点では、台詞は文字だが大筋には画として得られるマンガとは違うし、画も音も両方が同時に入ってくる映画とは違う。しかし、個々人の任意に作り出されたイメージというのは固定像が無いことも意味し、マンガで主人公の顔かたちが好まないことや、映画のカット割りが意に沿わないといったことは無い。マンガや映画は、小説を読むという事に比べ、ずっと容易に物語を得られるが、そう考えるなら実は皮肉にも、小説を読む方が読者に寛容だとも言える。原作となった小説を超える評価を得たマンガや映画は有るが、その逆のケースの方が多いのは、そんな理由の故なのかもしれない。
さて、こんな私が書くのは恥ずかしいことですが、このブログが当初の気軽な動機と相反して、自らの生活や生きた足跡を残して置く場となってしまったからには、どうかご容赦ください。「本・映画・詩歌」というカテゴリーを作ったのは、必ずしも多くの賛同を得られる訳ではない事を承知の上で、自分の琴線に触れたものを書き残したかったからです。元より、目にする文字だけでなく、上記の理由で、行間の意を汲み取ることをも読書なれば、個人差が大きすぎ、故にここから先はスルーしていただいても結構です。今回ここで取り上げたいのは、浅田次郎という作家の「鉄道員(ぽっぽや)」です。

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私がこの「鉄道員(ぽっぽや)」を初めて読んだのは、何とマンガででした。もう10年以上も前になるでしょうか、書店の文庫本棚に並べてあったのを手にしたのは、ながやす巧氏によるマンガ版でした(「ラブ・レター」とのカップリング)。ながやす巧氏といえば、まず「愛と誠」を描いた漫画家として有名ですね。氏の画風は、原作に忠実かつ緻密な人物・風景描写でして、一ページ、一コマが実に丁寧に描かれています。もちろん氏は、原作を読み、その物語の根底に流れる哀切を理解したうえで、読者のそのままを伝えようと努力したのだと思います。その意図は、後述する原作を読み終えた後に見ても充分感じられ、浅田次郎のこの物語を画にするなら、氏でなければ表現できなかったであろう、と思いました。なので、マンガですから一気に読み終えてしまいました、という訳ではなく、たかがマンガとはいえ、ここまで拘った描写と画の展開に読み終えるのにかなり時間を要し、そして読後に不肖にも、落涙してしまいました。
こうなると、どうしても原作が読みたくなり、これも既に文庫本化されていたものを購入、今度はじっくり読んでみましたが、一晩で読み終えました。それもそのはずで、この「鉄道員(ぽっぽや)」は、僅か40ページの短編小説なのです。全部で8つの短編で構成されたこの本が、第117回直木賞受賞作だったことは、随分後になって知りました。140万部以上を売り上げたらしいですから、読んだことがある方もいらっしゃるかと思います。この「鉄道員」以外にも、実に胸に迫る作品があるのですが、それはまた機会を改めるとして、今回は「鉄道員」についてのみ、書かせていただこうと思います。
むろん先にも書きましたように、私が落涙するほど感動した、と書いたところで、「そうではなかった」「それほどでもなかった」という感想を抱く方もいらっしゃるでしょうし、それをまた否定する気もありません。小説とは、そんなものなのですから。
(後編へ続く)

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