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立ち読み [巷の雑感・時の想い]

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本や雑誌という商品は、考えてみると実に特殊な商品だと思う。
どんな街にも書店はあるだろうし、全国を網羅しているコンビニ店でも雑誌を扱っている事を考えると、本や雑誌を買ったことが無い、という人はまずいないだろうし、また「立ち読み」という行為を行ったことが無い、という人も、まずいないのではないだろうか。代金を支払って購入するのだから、本や雑誌が商品であることは間違いない。でも、その代金を支払ってでも欲しいものは、ただの紙の束ではない。その多くが、本や雑誌という製本された紙に書かれた文字情報や写真・画ではないだろうか。
たとえば、書店やコンビニで、ある雑誌の端から端まで立ち読みしてしまったとしたら、その雑誌の価値の多くを得てしまった、ということにならないだろうか。そしてそのまま立ち去ったとしても、多少店員から冷たい眼を向けられるかもしれないが、犯罪者として裁かれるようなことは、まず無いと思う。部分的であれ、商品価値の一部を無償で持ち去っても、法には触れない、というわけである。しかし、その本や雑誌自体を無償で持ち出そうとすると(万引き)、法を犯すことになる。つまりは、無形の情報は持ち去っても構わないが、有形のものはダメ、ということだ。そう考えると、我々が代金として支払っているのは、本や雑誌の有形部分ということになるのだろうか。いやそうとも言えない。記載された情報の価値が、時間経過と共に変化すれば(多くの場合価値が下がるが、まれにプレミアとして上がる場合もある)、その販売価格に反映されることを、中古本を通じて我々は認知している。そう考えると、その本や雑誌の記載情報にも、当然価値があり、代金の対象になっているはずだ。
書店に行くと、雑誌が積まれている。一番上の一冊は、何人かが手に取り、立ち読みした痕跡がある。いざ自分が買うとなると、その下の、まだ誰も触った形跡の無い一冊を取ってレジに向かう、という行為をしたことがある方、多いのではないだろうか(私ももちろんそう)。正規の料金を支払うのだから、当然まっさらな新品の本が欲しい、と思う気持ちは間違ってはいないと思う。しかしこの場合、中に書かれている情報(とその価値)に関してはまったく変わりがないのだから、成形された紙の束としての部分の価値を指しているものと思われる。無い知恵を巡らせば、やっぱり本や雑誌の価値というのは、物としての紙束とそこに書かれた情報、両者一体になったものなのだろう。
さて不幸にして、多くの人が手に取ってサンプルとして扱われてしまったその一冊はどうなる。最後まで売れ残ってしまうかもしれない。売れ残っても、その書店に実損が発生しないならまだ良いが、返品され破棄処分され、リサイクルに廻されたとして、このエコを叫ぶ時代に、無駄な労力と経費を余儀なくされたと考えると、やっぱり立ち読みが褒められた行為ではない、という結論になるのだろう。

では、そんな立ち読みを防止するために、本や雑誌をヒモなどで縛って見れないようにすれば良いだろう、との意見が出そうである。書店に行って、全ての雑誌や本がそのようになって陳列されているケースを想像してみて欲しい。書店にやってきた購入希望者は、表紙や帯などに描かれた文や画で内容を推測して購入しなければならない。毎月必ず買っている雑誌や、あらかじめ主な内容を知っている本などは、それでも良いかもしれない。しかしそうでなければ、そんな状態の雑誌や本を買おうという購入意欲が湧くということは、甚だ信じがたい。現状から比較すれば、購入対象者に対するアピール度に著しく欠け、販売部数の減少を招くように思える。そう考えてくると、先に述べた不幸にもサンプル扱いとなってしまった本や雑誌は、やっぱり販売促進用の経費として割り切ってしまうのが道理なのだろう。確かに、他の商品、例えば自動車には試乗車が用意されているように、スーパーマーケットなどで試食が用意されているように、カメラ店や電器店で触って確かめられる展示機が用意されているように。
本や雑誌の価値は、紙束と、そこに書かれた無形の情報の合体だ。試乗車にどれだけ乗っても、通勤に使うことはできないし、それで旅行に行くこともできない。あくまで、購入するにあたっての情報を得たり、確かめたりするだけだ。カメラ店や電器店、あるいはメーカーのショールームなどで見たり触ったりしたとて、家に持ち帰ることはできないし、日常生活で使うこともできない。あくまでサンプルとしてその価値を知り、購入するかどうかの判断材料の一つにするだけなのだ。そう、情報を得る・与えるための試乗車であり展示品でありサンプルで、より多くその商品を売るためのものだ。そう考えていくと「立ち読み」とは、サンプルから購入に至るための情報を得る、消費者としてはきわめて真っ当な行為なのだろうか。
ただ、物体と情報の両側面の価値から商品となっている本や雑誌の場合、「立ち読み」が試乗や試食や試写とまったく同じ行為、とも言えない。試乗や試食や試写では、満足は得られない。でも立ち読みで(多くの場合は情報雑誌などで)、今欲している情報が無料で得られれば、とりあえず満足は得られる。コレクションとして揃えておきたい、見たい時に見れて、調べたい時にできるように、後々再度読んで感動を味わいたいから所有しておきたい、といった点に価値を見出すのなら、情報以外の「物」としての価値部分の比重が増し、立ち読みではそれらを満足させることはできないから購入に至る。ウチの愚息は言う、「毎週発行される週間漫画は立ち読みで済ます。読みたい漫画とそうでない漫画があるから、とりあえず今週の展開だけ分かればいいイイ。でもその中で気に入った漫画は、また何度も読み返すだろうから、単行本で揃えておきたいから買う」と。

コンビニ店などでは、外から店内が見える窓側に雑誌コーナーが設けられている場合が多い。直射日光で日に焼けるから、もっと奥に置いた方が良いと思うのだが、店外から立ち読み客を見せることで、つまりは深夜でも店内に客がいますよ、と見せることで、立ち読み客に防犯上の役目を負っていただいている、といった側面もあるらしい。本来迷惑な行為であろう「立ち読み」を逆手にとったアイデアだとは思う。ただ、中高生にたまに見られる、座り込んで漫画を読んでいる姿は、外から防犯上の役目を果たしていないので、NGだろう。
逆に、最近我が街でもよく見かけるのだが、店内に椅子やソファを並べて、腰かけてゆっくりと読んで下さい、と張り紙がしてある書店が増えてきた。立ち読みではなく、座り読み・くつろぎ読みを推薦しているのだが、これも販売促進の一環なのだろうか。こうすれば売上が伸びるのだろうか(そんな書店が増えている処を見ると、そうなのだろう)。書店で堂々と、そんなくつろいで立ち読み(ではなくて、座り読み)していると、何だか飲み物が欲しくなったりする。実はそんな書店もある。我が街ではないのだが、この前寄った或るショッピングセンターの書店は喫茶店を併用している。書店で売られている本(雑誌は不可)を手に持って、併設されている喫茶店に入ることができる。飲み物や軽食を楽しみながらの立ち読み(立ってはいないが)が公認で、もちろん飲食代は払わなければならないが、その本は購入する義務はない。更には、書店にその本を返すのが面倒なら、喫茶店の本棚に戻しておけば、ウェイトレスが書店の所定場所に戻してくれるというサービス付き。う~ん、書店もここまできたか。

ツラツラと思い巡らせてみたが、「立ち読み」が褒められた行為ではないとしても、消費者側から見れば必要な行為で、それ故いくら張り紙や注意をしても無くならないとするならば、いっそそれを販売促進や防犯に利用しようとする発想の転換は、何とも逞しくも思えたりする。しかし、どの街にもある本屋さんって、なかなか難しい商売だと思ったりもする。

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目薬 [日々の徒然]

カメラマンは眼が命、って、以前のブログで書いたことがありますし、この前はメガネについても書きました。で、今回は目薬です。

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パソコンが日常生活や仕事に深く入り込んでくると、そのモニターを見ている時間は長くなりますよね。テレビのように眺めているだけならまだしも、凝視する時間が長くなると、眼が疲れるのは当然のこと。私のように、本来は近視で、それに加齢による老眼が入り込んで緩和されつつあり、でも乱視もちょっとある、何ていう面倒な眼を持っている場合、いくら遠近両用レンズを新調したとはいえ、メガネをかければオールマイティ、とはいかず、時にぼやけて見えたり、集中して見るのが辛くなったり、と眼に疲れが出ます。で、そうした場合に有効なのが、目薬。
目薬なんて、子供の頃はプールに行った後の眼病予防程度しか縁が無かったのですが、朝起きて寝ぼけ眼で新聞を読んでいると、何だかドロッとしたような見え難さを感じてから、ずーっと愛用しています。コンタクト者用や花粉症用のものもありますが、私のような同様の御仁が多いのか、薬局に行くと実に多種多様な眼薬が並んでいます。こうなると、いろいろ試したくなるのが私の性格で、あまり高価な品には手を出してませんが、ここ数年でかなりいろいろ買いました。ビタミン類の栄養素を含んだものが好みですが、低刺激のさし心地感が薄いものは、どうも気に入らず、やっぱりスキッと手応えがないと不満なのです。ずっと買い続けていると、目薬も新製品がちょくちょく出る事に気付きましたが、今はある程度決まった3~4種をローテーションのように買い廻しています。
スポーツ写真はピントが命、と思っている私は、まずメガネをきれいにクリーニングし、目薬をさして眼をリセットすることが、サッカー撮影に出かける前の儀式みたいになってます(実際のピントはカメラに頼るのにね)。視界も気分もキリッとする目薬、メガネをかけているいないに関わらず、また年代に関わらず、現代人には必需品になりつつある、のかなあ。

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タイ・カンボジア 後編 [異国・旅・旅行]

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愚息が持っていったのが、Kiss DX+SIGMA 18-50mm F2.8 HSMのみですから、画角的なバリエーションは少ないです。もう少し設定を煮詰めて撮ってくれれば、と思うような画ばかりでしたが、まあレタッチして見られるようになった写真のみ、ご紹介させていただきます。

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公共交通機関や安価な宿を利用しながら、低予算で国外旅行をする人たちを、バックパッカー(backpacker)と呼ぶそうですが、まあ今回の愚息の旅行もそんなところでしょう。
振り返れば私も、大学生の頃にはあちこち(国内ですが)彷徨っていたような記憶がありますから、大学生ならではの特権ですかね。親としては、トラブルに巻き込まれたり、体調を崩したりすることが心配だったのですが、そんなことも無く帰ってきて一安心。また行きたいと呟いていますが。

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