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咲く [日々の徒然]

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日本人は桜の花が好きらしい。四季のあるこの地に住む者に、寒さに耐えた時期が過ぎゆくことを告げ、解放的・能動的気分へ向けさせる動意の象徴として、打って付けの存在なのだろう。淡く質素な色合いと、一週間程で散りゆく運命が、わび・さび(侘・寂)を良しとする日本的美意識に合っているためだろうか。
その桜はもう既に往ってしまったが、春を謳歌する花々はそれだけではない。私の住んでいる処は古い住宅街なのだが、その家々の庭や玄関先に植えられた草花から放たれた光彩が、行き交う人の目を引き付ける。

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花はその色彩によって、人目を惹きつける魅力がある。しかし本来、花は人間などに目を向けられるより、昆虫や鳥たちにやって来て欲しいが為に、花を咲かせる。移動することが出来ない植物は、自らの種の保存と繁殖のために花を咲かせ、受粉や花粉の移動を手助けしてくれるようアピールするために、綺麗な花を咲かせるのである。我々人間は、その意味では傍観者に過ぎない。

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それならば、昆虫や鳥たちは、この花の美しさを感じているのだろうか。それは分からない、分からないけれど、少なくとも色彩のコントラストは感じているに違いない。生物の授業を受けたことの無い昆虫や鳥は、その花がどういった名前なのか、美味いのかマズイのか、分からないだろう。分からないけれど、とりあえずやって来てはくれる。草木にとって花は、それだけで充分役に立っている。

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昨今見かける、庭先や公園の花壇で原色を輝かせる花々は、日本古来の花とは限らない。いやむしろ、外国からやって来た花、それを日本でアレンジされた花がほとんどではないだろうか。100年前にはこの地に咲いていなかった花にも、100年前と変わらない日本の昆虫や鳥がやって来てくれる。節操がない訳ではない。我々だって、和食も食べれば洋食も好きだ。美しさ、美味さ、そして昆虫や鳥たちにも、人が定めた国境など無いのであろう。

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日本人は桜が好きだ。けれど、桜だけが好きなのではない。それが証拠に現在の街を歩けば、多くのカタカナ名の花々の、艶やかな色、が目に飛び込んでくる。昆虫や鳥たちは、きっとその色彩を目指してやってくることだろうが、それを美しいとは、きっと思ってはいないだろう。美しいと感じる心、それを愛でる心は、人間のみが持つもの、かもしれない。私は、そんな心を持つ人間として生まれたことを喜び、そんな人間として死んでいきたい、と思う。

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