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リターンライダーへの道(その2) [車・バイク]

前回書きましたような経緯で、また新型コロナウィルスの影響でサッカー撮影が長期出来なくなることもあって、大型二輪免許取得を目指すことになりました。ただ、もう公表しても良いと思いますが、私は現在60歳。そう、還暦です。そんな私が再度バイクに乗るなんて、昨年までは思ってもいませんでした。バイクに乗ったことのある方なら分かると思いますが、二輪は四輪よりもずっと体力と運動神経を要求されます。還暦の私が最上位の大型二輪免許取得を目指すのは、実は自分自身の現在地の確認と挑戦でもあったのです。
1980年代、1990年代のバイク全盛期に乗っていた方で、子育ても一段落して、懐具合にも余暇時間にも多少の余裕が生まれた方が再度バイクに乗る、そんな方々を「リターンライダー」と呼び、最近増えているそうです。確かに街行くバイクを見れば、そんな方々を見かけます。私もそのカテゴリーに入りそうですが、50歳代がメインらしいですから、私はちょっと遅咲きリターンかな。しかもその中でも極めてスポーツ色の濃い車種狙いですから、異色(無謀)なのかもしれません。
現在の二輪の免許区分は上から、「大型二輪免許」「AT限定大型二輪免許」「普通二輪免許」「AT限定普通二輪免許」「小型二輪免許」「AT限定小型二輪免許」「原付免許(原付1種)」となっていて、今回の私は最上位の大型二輪免許(MT)への挑戦となります。昔は試験場での一発試験でないと取得できませんでしたが、現在は教習所に通って取ることができます。私は普通二輪免許を既に持っていますから、学科試験無しで技能教習12時限のみ。教習所の卒業検定を合格すれば、全ての市販二輪に乗ることが可能です。幸いにも、自宅から自転車で通えるところに我が街の教習所が有るので、早速問い合わせてみたところ、3月末までは二輪教習は受け付けていない(四輪免許取得の高校生が多いから)とのことで、4月からの入校予約をしました。大型二輪に挑戦するなんて、歳を考えればこれが最後のチャンスなのかもしれない、それに30年以上を経て乗るのですから、教習所で再度キッチリ基本を教えてもらうことが必要、との考えも有ってのことです。社会人2年目で二輪免許を取った時は、さほど苦労しなかった記憶が有ったので、気軽に申し込んだのですが、これが大きな勘違い。この後、自分の加齢による衰えを痛感させられることとなります。
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入校申し込み時に簡単な適正検査の後、教習予約を入れます。普通二輪免許を持っている私は技能教習12時限、と書きましたが、第一段階5時限・第二段階7時限に分かれています。最初は第一段階の分しか予約できず、第一段階終了の印を教官から貰ったら第二段階の予約ができる、という手順です。できる限り短時間で終了したい私は、仕事の時間を調整して、まず最初の5時限の予約を入れたのが3月上旬のこと。実際の教習が始まるまで、まだ一か月近くあります。その間、ヘルメットとグローブだけは用意することにしました。教習所でも貸してもらえるのですが、新型コロナウィルスの話題が日増しに増えていることを踏まえて、自分用のものを購入することにしました(もちろん、安価なもの)。
迎えた教習1限目。受付嬢から配車手続きの説明を受けて、二輪教習専用の控室に案内されます。そこでプロテクターを付ける事を指示されたのですが、これが結構な重装備。胴体前後面・肘・膝・脛と付けると、何だか危険な乗り物に乗る雰囲気プンプンで、緊張感が上がります。その時の二輪用控室には、20歳代の普通二輪教習の男性が一人と数人の小型二輪教習の男女がいましたが、大型教習は私一人。年齢的に場違い感アリアリでしたが、そこは気にせず呼ばれるまで待機です。壁面にコース図が貼ってあり、それを見ていると年甲斐もなく更に緊張感アップです。
大型二輪の教習車はナナハンの、ホンダのNC750です。まず1時限目はエンジンをかけずに真っすぐに押す、真っすぐに後退、八の字に押して回る、倒れたバイクを引き起こす、メインスタンド掛け、です。若干ヨロヨロしましたが、特に問題なく通過。その後、乗車時の手順を教わって、エンジンをかけて外周路を走行して初回終了となりました。確かにナナハンは大きく重い(約230kg以上とか)ですが、愚息2号のCB400SBも200kg程あるんです。押せば重量差を感じますが、走りだせば大差ない、と見下して、何とかなるかな、と。
さて2時限目です。前回教わった乗車手順でエンジンをかけて、外周路を走り、今日から二輪用の課題コースに入ります。まず最初はS字、次はクランクです。どちらも一速に落として、コース両側に立てられたパイロンに触れずに通過できればOKで、通過タイムは関係なし。S字は難なくクリア。ところがクランクで大きくつまづきました。計10回近くトライしたと思うのですが、一回もクリアできず。「速度が速すぎます」との教官の声で、もっと車速を落としたら、クランク内でバイクを倒してしまう始末。バイクを倒す、なんて中型自動二輪を取った教習所では一度も無く(30年以上前ですが)、こんな教習初歩のクランク内で倒すなんて恥ずかしい。もう頭真っ白になってしまいました。その後もパイロンをなぎ倒すこと数回(その都度、教官が元に戻してくれます、スミマセン)。終了時間が来たので控室に戻ったのですが、まだ寒い日だったのに汗びっしょりの私に教官から「もう一回練習しましょう」とのお言葉が(当たり前ですね)。教習2回目にして追加補習決定です。
その後、仕事に行ったのですが、頭の中はクランクのことばかり。こんな所でつまづいてしまうなんて、60歳の私には無謀な挑戦だったのか、と後悔に似た考えも過ったりして、その日は暗い気分で帰宅しました。
ところが・・・

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リターンライダーへの道(その1) [車・バイク]

時計の針を三か月ほど前に戻すことをお許しください。きっかけは、以前このブログでご報告したように、愚息2号がバイクを持って帰郷したことです。そのバイク(CB400 SUPER BOLD'OR)が我が家のガレージに鎮座しているのを見続けているうちに、私の心がいつの間にか引き寄せられていき・・・

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私がまだ東京住まいだった昔、ヤマハのFZ400Rに乗って関東近辺の峠に出没していたことは、このブログでも以前書きました。もちろん現在も普通二輪免許保持者ですから、愚息2号のバイク(400cc)に乗れる資格は有るのですが、愚息が大事にしている、バイトで稼いだお金で買ったバイクですから、暫くは見ているだけにしていましたが、とうとう「ちょっと乗っていいかなあ」と言ってしまったのです。愚息は即答でOKと言ってくれたので、若干心配そうに見ている愚息の目の前で、30数年ぶりにバイクに跨ってみました。その時は僅かな距離しか走りませんでしたが、「お父さん、普通に乗れるねえ」と愚息2号に言われたように、普通に乗れました。「当たり前だろう」と言い返してみたものの、実は私の中では大きなギャップを感じてしまったのは確かなこと。CB400は教習所でも使われるくらい扱いやすいバイクなのですが、確かに現在も過不足なく乗れますし、楽しさも分かります。けれど、30数年前にFZ400Rに乗っていた感覚からは程遠い。ただ動かせているだけ、ただ乗っているだけ、です。「人馬一体」という言葉が有りますが、「人車一体」となって峠を駆け巡っていたあの頃の感覚、楽しさからは大きなギャップを感じてしまいました。あの頃のように自在に手足のように扱えるには、もっと距離を走って感覚を磨かないと、このギャップは無くならないのではないか、と感じた次第です。
地方在住者となってしまうと、車が無い生活は考えられません。結婚して子供ができてしまうと、大小2台の車が必要になり、二輪への想いは霧散したと思っていました。しかし今になって身近にバイクが有り、ちょっと乗ってみれば、その想いは消えたのではなく、押さえつけられていただけなのかも、と思うようになりました。そんなある夜の事です。私がベッドに寝ていると、耳元で聞いたことの無い男性の声でささやかれました。「子供と触れ合える時間はそんなに長くはないゾ」。ビックリして飛び起きて見ると、誰も居ない深夜4時でした。そしてその時、再びライダーになることを決心した瞬間でした(コレ、嘘のようなホントの話です)。
それから現在の二輪の状況を調べ始めました。2ストロークエンジン車は絶滅し、現在ラインナップされているのは、インジェクション仕様の4ストロークエンジン車、しかも排ガス規制の為の触媒付きです。1980年代のバイク全盛期とは大きく様変わりしていました。私の目指すところは、昔のアノ感覚を取り戻す事でしたから、ネイキッドやアメリカン、ましてやATのスクーターには興味は無く、ひたすらスポーツ系狙いです。でも数が少なくなりましたね。そこで、古くてもアノ頃のバイクで程度の良いものが残っていないかな、とネットで調べてみれば(簡単に検索できるとことが現代の良いところ)、そんな良程度のものはプレミアがついているのでしょう、新車価格よりも高いプライスタッグが付いているではありませんか。ただ、そうこうして調べて見るうちに更にバイクへの想いは増していき、中古バイクを扱っている全国チェーン店が我が街に有ることを知り、行ってみました。幸い平日の昼間だったので客は少なく、並んでいるバイク(400ccクラス)を端から端まで見て、跨ってみましたが、どれもカッコイイけど実用的というか、どうもシックリ来るものは有りませんでした。そんな私に店長が話しかけてきました。私が昔、FZ400Rで峠通いをしていたこと、古くてもいいからそんな感覚のバイクを探していることを告げると、店長は言いました。
「確かにウチは全国チェーンですから、探せば1980年代、1990年代のそんなバイクも見つけられますし、全国から取り寄せできます。でも、お勧めはしませんね。先日も若い子が来て、ホンダのVFR400Rにどうしても乗りたい、と言うので、探して納車したのですが、走行中にライトが消える、というので再点検に戻ってきました。電気関係、バッテリーからライト、配線、スイッチ類等全て点検・分解・清掃しても原因が分からず、最後には同型車をもう一台取り寄せて、電気関係全てを入れ替えて再納車しました。当然費用はこちらで負担しましたが、お客さんには一か月近く待ってもらうことになってしまいました。30年以上前のバイクって、そんな感じなんです。その割には決して安価ではない。思い入れが有る、時間が有る、手間や費用が掛かる覚悟が有る、そんな方にしか勧めないですね」
そう言われてしまうと納得です、四輪もそうですから。しかも二輪は扱う人によって、もっと程度が上下しますから尚更です。そこで私のライダーへの返り咲き気分は潰えてしまいかけた時、「試しにこのバイクに跨ってみてください」と店長が指さしたのが、ホンダのCBR600RRでした。乗った直後、「コレ、これだよ、この感じ」と思わず声が出てしまいました。「ならば、大型二輪免許を取ってください」との店長の言。
バイクに求める要素は人さまざまでしょうが、スポーツ性最重視のバイクは、そのスペックはレースに左右されます。私がFZ400Rに乗っていた頃は、4スト400・2スト250のレースが盛況で、各メーカーからそれに模したレーサーレプリカが発売されて人気を呼んでいました。現在はそういったカテゴリーのレースが無く、最高峰のMotoGPは4ストローク1000ccのバイクで戦われます。その下のクラスにMoto2が有るのですが、これは600cc。現在、スポーツ系バイクを突き詰めていけば、1000ccか600ccになります(250ccも有りますが、今回は除外)。店長が勧め、私が志向するのは、もはや中型普通自動二輪の範疇にはないのかもしれない、と思い始めました(実際はそうではなかったですが、それはいつか後述します)。そこから私の、大型二輪免許取得&リターンライダーへのチャレンジが始まったのでした。

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ありがとうの日 2020 [巷の雑感・時の想い]

この人の世を「浮世」と言うのであれば、良いことも悪いこともあることが常なのでしょう。小さなことも大きなことも、それらに一喜一憂しながら生きていくのが普通なのでしょう。
仕事に向う自転車で通る道端で、小さいけれどしっかり意思のある黄色を見かけました。アスファルトと塀の僅かな隙間に咲く小さな花。もっと大きく、もっと鮮やかに咲く花有れど、それが全てではないと気付かされました。
あれから丸9年が経ちました。

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我が家を取り巻く環境が如何に変わろうとも、あの日の記憶が薄れることは決してありません。あの奇跡が軌跡となっても、忘れることはありません。なので、毎年この日は、手を合わせて感謝することにしています。

6月6日は誕生日でも、記念日でも、命日でもなく、「ありがとう」と思う日にしたいと思います
ありがとう
今年もこうして「ありがとう」と言えることに、ありがとう

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The piece of my life [日々の徒然]

今年は、「新型コロナウィルスに翻弄された年」として後々まで記憶されることでしょう。いや、今年はまだ半分も終わっていませんね。でも、あの東日本大震災も阪神・淡路大震災も大きな爪痕と教訓を残しつつも(全国民が、とは言えませんが)何とか乗り越えてきた日本です。きっとこれも乗り越えられると信じています。
そんな大災害や大事件に大きく人生や生活、考え方に影響を受けることも有れば、ほんの小さな出来事の積み重ねを毎日しているのも人です。全く何も起こらない、何も変わらない、と思っても、自分自身もその周りも、時に大きく、時に気付かないほど些細に、変化していきます。その変化や出来事が、嬉しかったり、楽しかった、悲しかったり、といった人としての感情を伴うこともあるでしょう。それ故に、他人から見れば見過ごしてしまうようなことで傷ついたり、多くの人が驚くようなことでも本人は平然としていられたり、様々だと思います。
このブログを始めるの当たって、私は「The piece of my life」と名付けました。「piece」は一部分、一片、断片という意味、「life」は人生、生活と言う意味で、その前に「私の」という「my」を付けました。私の人生や生活の中で起ったり、感じたり、考えたりしたこと、それが私にとって大きな出来事だったり、大きな影響を及ぼしたり、強い感情を起こしたり、いや、どうでもよいような些細なことだったり、そんなpieceが積み重なっていきます。それら大小様々、悲喜交々の事柄を残しておきたい、そしてそれをネット上に置くことで、共感できる方々と共有できたら、と思って、このブログを始めました。
サッカー撮影はこのブログの基幹です。それは私の生活の中で、サッカー撮影が大きなウェイトを占めてきたからで、別に論文を書くつもりも無く、誰かに自慢するために書いている訳でもありません。長く続けてきたので、最初の頃に書いた内容と今とでは、少し考え方が異なる部分も無くは無いです。しかし、その時はこう考えた・こう思った、ということを残すことに、(他の方ではなく)私にとって大事なことだと今は思っています。そしてこれからもサッカー撮影を続ける限り、このブログからその話題が無くなることは無いでしょう。けれど、サッカー撮影は私の生活・人生の中の一片です。全てではありません。今後も欠かすことのできない一片で有り続けるでしょうが、その他にも「piece」は有ります。サッカー撮影、サッカーに関することだけでこのブログを埋めてしまえば、このブログ名に背きます。
一か月の休養期間を設け、まもなく丸10年を迎えるこのブログを振り返り、改めて以上の事を思いました。さて、気分一新して再開します。お付き合いいただける方々、どうかよろしくお願いします。

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