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たつ(経つ) [日々の徒然]

愚息は日々回復方向に向かっているようです。一人で行くと、途中で倒れる恐れがあるので、看護士さんに車椅子で連れて行ってもらったトイレも、今では普通に自分一人で行けるところまできました。ICUと自分の病室以外は行ったことも見たことも無かったので、「部屋の外はこんな風になっていたんだ」と言っていた愚息が、ゆっくりとですが、歩いて下の売店まで行って、嬉々として買い物ができるところまできました。事故後ここまで来れたのは、主治医の先生方の適切な処置と、本人の運と、そして皆様の温かい御心のおかげだと感謝しております。
振り返って見ればこの3週間ほど、本当に早かった。事故直後は、失明と半身不随の可能性が決して低くなかった事を思い起こせば、幾つかの幸運が重なったとはいえ、今の状態は夢のようです。回復具合と見守る私たちの心は、まさしく正比例の右肩上がりでした。しかし、ここまでに比べれば、今後の回復速度が鈍化するのは必定。このままドンドン&早く、と欲が出てしまいがちですが、当初の怪我の大きさを考えれば、性急に考えるのもどうかと思います。早く良くなって欲しい、早く元に戻って欲しい、という想いは隠しようもないですが、焦って追いたてるようなことになってはいけないと思っているのです。
この事故は間違いなく、愚息にとって、私にとって、我が家にとって、とてつもなく大きな出来事だったと思います。それで失ったもの・得たもの・分かったこと、たくさん有りました。愚息も私も、未だ充分には咀嚼し消化できない状態ですが、少し時間をかけてでもじっくりと、少し見方を変えてより広く、今回のことを振り返ってみたいと思っています。長い人生、それくらいは許されると思いますから。
多くの方から、言葉に言い表せないほどの御厚情をいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。
愚息は、私たちは、きっと幸せ者なのだと思います。

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たつ(立つ) [日々の徒然]

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人類がここまで進化したのは、二足歩行ができたからだ、と聞いたことがあります。二本の足で立って移動できるということは、きっと凄いことなのでしょう。
事故後、ずっと病室のベッドで寝ていた愚息2号。起き上がりたくても主治医から、頭をベッドから上げることを強く禁じられていたからです。それがやっと、立てる処まできました。
ただ、立てただけです。2~3分も立っていると、血圧が急降下して、またベッドにへたり込んでしまいました。長い間寝かされていると、こんなものなのですね。椅子に座っているだけでも、疲れる様子。立つということが実は意外に、大変なことなんだと知りました。それでも、コードとチューブだらけで4日間もICUに寝かされていた時分を考えると、夢のようです。
人は立って歩くのが基本。スポーツは走るのが基本。そんな基本的な事が出来るように、それに向かうスタートラインに「立てた」ことを、まずは素直に喜びたいです。

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つばめ [巷の雑感・時の想い]

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病院に居る時間が長いので、手持無沙汰になることも多い。
つい、病院内を歩き廻ったりする。
するとこの時期、この病院では、燕がたくさん飛んでいることに気付く。
よく見れば、アチコチに燕の巣も見つけられる。
中庭の庇の下にも、一つの巣がある。
中には五羽にヒナ燕。
10分に1回ほどに割に、親燕がエサを届けにやってくる。
五羽にまんべんなくゆきわたる様に、エサを与えるところが、実に賢い。
それを一日中、ずっと続けている。
「ひたむき」とは、きっとこういうことを言うのだろう。
ちょっと疲れたから休もう、とか
もう今日はこれぐらいで充分だろう、とか
そんなそぶりは無い。
子を生み、育て、巣立たせる。
ひたむきに。
次の世代を育てることが、自らに課せられた唯一の使命であると、
信じているのだろう。
唯一と思ってない我々人間は、時に一番大事な使命を、軽んじることも
あるのかもしれない。
ヒナ燕はいづれ飛び立つだろう。
その時、親燕は、どんな想いを抱くのだろうか。

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事故3 [日々の徒然]

事故当日、病院へは学校の関係者も駆けつけてくれました。校長・教頭・担任・部活動顧問の各先生方、そして当市の教育委員会の担当者。学校内で、部活動中の事故ということで、皆一様に謝罪の言葉を口にされましたが、その時私は、聞いただけで、あまりのショックで返す言葉も見つかりませんでした。
事故翌日、事故現場をこの眼で見たかったので、愚息の中学校に行ってみました。校長からどのように落ちたかの説明(あくまで推測ですが)を聞きましたが、まともに落ちても、あれほどの怪我をするような高さでもなく、決して運動能力の劣る愚息でなかっただけに、今回は本当に打ち所が悪かった、ということなんでしょう。ただ、だからこそ、誰にでも、いつでも起こりうることなんだ、と思いました。校長室でも前日同様、謝罪の言葉をいただきました。私が返した言葉はただ一つ、
「本来、上がるべきでない場所に行った息子が一番悪いと思います。ただ、それならば、それをいけないと叱って欲しかった。ここは義務教育の学校で、何が良くて、何が悪いのか、何をしなければならず、何をしてはいけないのかを教える所だと思います。悪い事をしたなら、それは間違っていると、息子に言って欲しかった」と。

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サッカーゴールの真後ろに、部室棟があります。ゴールに向かってシュートし、上に逸れれば屋根に乗ります。それを遮るネットなどはありません。そして、まるで屋根に登るためのような太い木が、裏の斜面から屋根まで、渡橋のように生えているのです。誰が考えても、あの木を伝えば、簡単に登れることは容易に想像でき、そして実際にそうしていたのです。そういった状態が、もう何年も(少なくとも愚息1号がいた7年前からは確実に)続いていたのです。隣では野球部が練習をしていました。当然、野球ボールも同じように屋根に乗ることもありました。そしてやっぱり、同じように野球部員の子が取りに行っていたのです。それが日常であり、当り前のこととして黙認されてきたのです。なぜか、といえば、それはこれまで何ら事故が起こらなかったせいでしょう。
そう考えると、今私の前で頭を下げる校長や顧問の先生に向けて、これ以上の言葉はぶつけられませんでした。だってそうでしょう、私の前に居るのは、たまたま事故当日の校長であり、今年の顧問であってしまった方々なのです。2年前の校長、4年前の顧問だって、同じように黙認してきたのです。6年前の野球部にだって、この事故が起こってもおかしくはなかったのです。たまたまその時は、何も事故が起きなかったので、何ら悪い意識も無く、不問になってしまっただけです。責任を感じます、と言う私の向かいの方々。でも私には、その責任を感じなくてはいけない、感じて欲しいのは、もう少し多くの方々ではないのか、という思いがありました。
サッカー部顧問の先生の口からは、サッカー部の自粛・辞退も考えている、との言葉も出ました。しかしそれには、私は強固に反対しました。子供たちは何も悪くない、と。汗を流し、毎日練習してきた成果を、これで無にしてはならない、と。そしてもう一つ。最初にボールを取りに行こうとして躊躇した1年生の子、愚息がボール取りを変わった1年生の子、その子はひょっとすると、罪の意識を持っているかもしれないから、もしそうなら上手くケアしてあげて欲しい、と付け加えました。キミは絶対に悪くないから、と伝えて欲しいと。
そうして2時間ばかりを学校で過ごし、そのまま病院のICUへ直行しました。気分も晴れず、気持ちの整理もできませんでしたが、あれから2週間が経った今、こうして振り返って書けるということは、少しは私自身も落ち着いたのでしょう。今回のことは、日常に当り前のように流れているものが、フッと牙をむいた瞬間の出来事だったのかもしれません。信号を守り、歩道を歩いていても、車が突っ込んできて命を落とす現在です。そういったことは、珍しくないのかもしれません。でも、珍しい事、滅多にない事であって欲しいものです。

一週間ほど帰って来ていた長女・長男が、東京へ戻って行きました。別れ際に私は、「退院して少し落ち着いたら、久しぶりに家族5人で旅行へでも行こう。近場でいいから」と言いました。今はそれを楽しみに、病院通いを続けています。

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