公式戦復帰 [サッカーあれこれ]
昨年の2011年6月6日、思いもかけぬ事故のため、言いようもない状態に落とし込まれた愚息は、それから236日目、所属チームの一員として公式戦に復帰することができました。心配していただいた方々、激励の言葉をかけていただいた方々、ここにご報告させていただきます。ありがとうございました。
3年生が抜けて新チームとなり、真剣勝負の公式戦(県1部リーグ)が始まりました。背番号5の公式戦用ユニフォームを割り当てられた愚息は、後半途中出場ながら、左MFとしてピッチに入ることを許されました。プレー自体は戦力といえるようなレベルには達していないのですが、所属チームの指導者の方々やチームメイトに支えられ、ここまでこれたこと、感謝に耐えません。後は本人の努力次第でしょう。
インフルエンザで熱のある身で、こんな寒風吹く処へ出て行くなど、以ての外なのは分かっていたのですが、この一瞬だけはどうしても我が眼に焼き付けておきたかったので、コソッと陰から見ました(なので、こんな写真しか撮れませんでした)。感無量でした。チームも快勝し、もうこれ以上、綴る言葉は見つかりません。ただただ感謝、です。ありがとうございました。
3年生が抜けて新チームとなり、真剣勝負の公式戦(県1部リーグ)が始まりました。背番号5の公式戦用ユニフォームを割り当てられた愚息は、後半途中出場ながら、左MFとしてピッチに入ることを許されました。プレー自体は戦力といえるようなレベルには達していないのですが、所属チームの指導者の方々やチームメイトに支えられ、ここまでこれたこと、感謝に耐えません。後は本人の努力次第でしょう。
インフルエンザで熱のある身で、こんな寒風吹く処へ出て行くなど、以ての外なのは分かっていたのですが、この一瞬だけはどうしても我が眼に焼き付けておきたかったので、コソッと陰から見ました(なので、こんな写真しか撮れませんでした)。感無量でした。チームも快勝し、もうこれ以上、綴る言葉は見つかりません。ただただ感謝、です。ありがとうございました。
吸入器 [日々の徒然]
どうも体が重いなあ~、と思っていたら、熱がドンドン上がってきてしまいました。
いつもお世話になっている医者に行って、みてもらったところ、「インフルエンザですね、香港A型」とアッサリ言われてしまいました。インフルエンザにかかるなんて、はて?何時以来のことでしょう、ちょっと記憶にないです。でもまあ、かかってしまったものは仕方ない。しばらくおとなしく寝ていることにします。
しかし、もらってきた薬は、粉末状の薬の入ったカプセルと吸入器。これを1日2回吸引するんですと。これを使ってわざわざ口から吸い込むより、錠剤なり液体なりにして、薬をダイレクトに接種した方が、効率が良いと思うのですが、実は私の知らないところで、薬も進歩しているのでしょうね。
いつもお世話になっている医者に行って、みてもらったところ、「インフルエンザですね、香港A型」とアッサリ言われてしまいました。インフルエンザにかかるなんて、はて?何時以来のことでしょう、ちょっと記憶にないです。でもまあ、かかってしまったものは仕方ない。しばらくおとなしく寝ていることにします。
しかし、もらってきた薬は、粉末状の薬の入ったカプセルと吸入器。これを1日2回吸引するんですと。これを使ってわざわざ口から吸い込むより、錠剤なり液体なりにして、薬をダイレクトに接種した方が、効率が良いと思うのですが、実は私の知らないところで、薬も進歩しているのでしょうね。
深夜の高速道路 [巷の雑感・時の想い]
深夜の東名高速を走る。
いや、走っているのではない、車を走らせている。
この道を、これまで何度通ったことだろう。
故郷へ帰る安堵感を手土産に、都落ちの落胆をトランクに詰めて、時に一人で、時に家族で、走った。
希望に満ちてハンドルを握ったことも、消沈する重い足でアクセルを踏んだことも、あった。
気楽に鼻歌を歌いながらも、友や恋人の顔を想いながらも、行く末の不安を抱きながらも、通った道。
日中も早朝も深夜も、かの地と故郷を結ぶこの道を、百は優に越えているであろう回数、トレースしてきた。
今もまた、何回目かの線を引いている。
日が少しでもあれば、きっと綺麗なシルエットを見せてくれたはずの富士山は、闇に沈んでいる。
数十センチ先のガラスに浮かぶ赤いテールランプを見続けている。
僅かな光で照らされる白い点線の間を縫う。
ゆっくりとじわっと、右手と右足に僅かな力を持たせている、単純な時間、単純な作業。
これを、ずっと続けて、どのくらい経っただろう。
ただ椅子に座り、面白くも楽しくも美しくもない光景を見ながら、数センチ幅で手を動かす。
誰かがもし、天上から私のその姿を見れば、何と退屈なことを、と嘲り笑われるかもしれない。
ただ忍耐は必須でも、無為ではないと思うからこそ、そうしている。
目の前の大型トラックが、すーっと左に流れてゆく。
御殿場と書かれた看板を見かけた辺りから、車の帯が三本になることを許されたからだ。
この漆黒の時間、前後左右を見渡せば、こんな大型トラックがほとんど。
あの頃と同じ。
あの頃? あの頃って、何時のことだろう。
東京という名の街が、自分の住処だった頃だろうか。
自分の分身をその街に、置いてきた頃だろうか。
あの頃というタグが付けられた光景が、浮かんでは消えていく。
いかにも家族を乗せています、という風なミニバンが、出口へ続くランプウェイを降りていく。
これまでずっと、まるで僚機のように連れ立って走ってきたが、ここでサヨナラだ。
こんな時間に旅先に向かうとも思えないから、たぶん家路も最後になりつつあるのだろう。
別離を惜しむ気持ちはないが、百キロ以上を伴に走った身としては、無事の帰着を祈る気持ちぐらいはある。
通り過ぎるインターチェンジ。
何処までも、ずっと伸びているように思えるこの道も、実はいくつかの分かれ道がある。
あの車はチェンジを選び、私はそのままを選んだ。
そうして、幾つもの選択を重ねて、ここまで来た。
最短、最良、最高を望み、そうしてきたつもりが、どうだろう。
本当にそうだったのだろうか。
この闇に包まれた一本道。
実はそれから外れることが怖かっただけ、ではないだろうか。
別の道がまばゆく見え、ただそれに引かれただけ、ではなかろうか。
あの時別れた友は、確かこの辺りの街に住んでいたはずだ。
彼は今も元気にしているだろうか。
あれから随分と時が経た。
彼もまたチェンジを選び、この道に乗ったのだろうか。
別離を惜しむ気持ちはないが、無事の帰着を祈る気持ちはある。
墨のような黒の帯を踏み渡れば、そこは不夜城の玄関前。
辺りの空気が急に変わったのは、きっとそれまでとは違う、たくさんの人の気配を感じるからだろう。
傍らで寝息を立てているのは、生涯の伴侶ではなく、自分の血と意思を引き継いだ、まだ未熟な体。
その存在が、現在とあの頃との、決定的な相違であり、そして、時が流れた証拠、いや証人。
まもなく達するその場所に、今の私は、長く居続けるパスポートを持ち合わせてはいない。
数日で踵を返すことを強制されるだろう。
また、この漆黒の闇の中を貫く一本の道を走ることになるだろう。
それでも私はまだ、一人ではない。
ハリアー [車・バイク]
よくブログなどで見かける記念記事として、私も一枚。
自動車運転免許を取ってからこれまで、9台の車を乗り継いできましたが、1台の車でこの走行距離に達したのは初めてです。この「TOYOTA HARRIER 2400G 4WD」は、2005年9月に新車購入しました。76カ月でこの走行距離というわけで、まあまあの使い方(乗り方)でしょうかね。
この車を選んだ動機は単純で、知り合いの社長さんが乗っていて、カッコイイと思ったから。それまで、エンジンパワーや操縦性能を重視して車選びをしていた私ですが、使い勝手や乗り心地、スペース効率といった項目が、この頃から上位に来るようになったのは、やっぱり歳のせいでしょうね。この車を買うまでは、「自分はドアが4枚以上の車には生涯乗らないだろう」って思ってましたから。
それでも、こんなに長く乗り続けるとは思っていませんでした。経済的な理由が一番ですが、現在でも特に大きな不満は無く(各部の造りに安っぽさがないのが一番の理由かな)、当初のセカンドカーから我が家唯一の車になってしまった現在でも、オールマイティに使えることで、結局この車選びは正解だったかな、と。それにこのハリアー、2代目にモデルチェンジしたのが2003年2月。もう無くなるかも、と言われ続けて9年。細かな装備面での変更はあったとしても、今でも現行発売車種で、新車で買えます。人気が無くて、メーカーから捨て置かれた車種ではなく、ディーラーの話では、現在でもそこそこ売れているとか。これって、珍しくないですか。
さすがにこの走行距離ですから、ショックアブソーバーがちょっとヘタってきたかな、とも思いますが、もう少しコイツと付き合っていくことになりそうです。
自動車運転免許を取ってからこれまで、9台の車を乗り継いできましたが、1台の車でこの走行距離に達したのは初めてです。この「TOYOTA HARRIER 2400G 4WD」は、2005年9月に新車購入しました。76カ月でこの走行距離というわけで、まあまあの使い方(乗り方)でしょうかね。
この車を選んだ動機は単純で、知り合いの社長さんが乗っていて、カッコイイと思ったから。それまで、エンジンパワーや操縦性能を重視して車選びをしていた私ですが、使い勝手や乗り心地、スペース効率といった項目が、この頃から上位に来るようになったのは、やっぱり歳のせいでしょうね。この車を買うまでは、「自分はドアが4枚以上の車には生涯乗らないだろう」って思ってましたから。
それでも、こんなに長く乗り続けるとは思っていませんでした。経済的な理由が一番ですが、現在でも特に大きな不満は無く(各部の造りに安っぽさがないのが一番の理由かな)、当初のセカンドカーから我が家唯一の車になってしまった現在でも、オールマイティに使えることで、結局この車選びは正解だったかな、と。それにこのハリアー、2代目にモデルチェンジしたのが2003年2月。もう無くなるかも、と言われ続けて9年。細かな装備面での変更はあったとしても、今でも現行発売車種で、新車で買えます。人気が無くて、メーカーから捨て置かれた車種ではなく、ディーラーの話では、現在でもそこそこ売れているとか。これって、珍しくないですか。
さすがにこの走行距離ですから、ショックアブソーバーがちょっとヘタってきたかな、とも思いますが、もう少しコイツと付き合っていくことになりそうです。