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秋本番のサッカー撮影 [写真・撮影]

例年以上に長引いた残暑も、いつの間にかどこへやら。今夜のニュースでは、「木枯らし1号」が吹いたとか。すっかり秋本番になりましたね。屋外で撮影されている方々、日が少しでも傾くと、急にに寒くなりますので、体調管理に気をつけてください。

さて、私の先週末は、また愚息2号のお供で、サッカー撮影に行ってきました。秋本番は、スポーツの秋本番でもあり、各年代で各種大会が佳境に入っているところもあれば、既に新人戦に向けて新チームの強化にあたっているところもあるかと思います。愚息2号の所属チームも、まもなく公式戦が終わろうとしていますから、こうした遠征に付き合って撮りに行くのも、残り少なくなるかもしれません(その分、受験勉強を頑張ってほしいのが親心なのですが)。

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土曜日は静岡県へ。快晴でしたが、15時を過ぎると極端な斜光になりますから、撮り易いとは言えませんでした。そして17時を過ぎる頃には、光量的にかなり厳しい。照明設備が有っても、地方のローカル競技場でも厳しいのに、高校のグランドとなると、更に厳しい。プレーする分には大して問題無いのかもしれませんが、撮る方は大変。ISO 6400まで上げても、F2.8で開放にしても、シャッター速度は1/160という始末。オマケに、日が沈むと寒い。防寒対策を甘く見てました。そんな状態では、撮影結果は惨憺たるもの。まあ、いつもこのブログでは偉そうなことを書いていますが、普段はこんなもの、なんですよ。

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翌日の日曜日は愛知県へ。そして一転して雨。途中で強く降ることもあったりして、日中昼過ぎなのに暗い(もちろん寒い)。降り注ぐ雨粒が線になってしまうと、画に薄いベールが掛かったようになってしまうので、できる限りシャッター速度を上げたいところなのですが、15時前後の試合なのに、結局ISO 5000まで上げてしまいました。人工芝グランドなので、プレーする側はそれでも影響は最小限なのかもしれませんが、この日はグランドはあまり近づけない状況だったこともあって(1D4+EF300 F2.8 L IS+EF1.4x)、雨粒にAFが引っ張られるし、この日もまあ結果は惨憺たるもの。秋の雨天を甘く見てはいけませんね。
(1DXなら、もう少し歩留まりが良かったのかも、という邪念は封じております)
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二日間とも練習試合だったので、撮影結果が良くなくても、自分自身にしか影響は有りませんが、季節の移り変わりを如実に感じた先週末の撮影でした。

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海を見ていた午後 [巷の雑感・時の想い]

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海に面していない県もあるけれど、わが街は、東に行けば海に辿り着く
けれど、その海岸には砂浜などは無く、コンクリートで固められた岸壁
多くの工業製品を積み出す貿易港なのだから、仕方ないこと
そこで働く人々、行き交う大型トレーラー
でも、釣りを楽しむ人影も、有ったりする

ここは湾内だから、当然なのかもしれないけれど、秋晴れの下での静かな波間
人は海から来た、と聞いたことが有るけれど、そうかもしれないと思える穏やかな心
振り返ればきっと、けたたましく時が流れているけれど、眼の前はゆったり泰然自若
本当は、ここで海を見て過ごせる身分ではないのだけれど、今はただそうしていたい

傍らには、太いロープでつなぎ止められている船
大海原に飛び出していきたいのに、不自由な身に無念を抱かえているのだろうか
それとも、その時に向けて着々と準備して、夢を羽ばたかせているのだろうか
物言わぬ彼の胸中など、通りすがりの私などに、分かる由もない
他人が気軽に踏み込んで行ける領域ではないと、船体に無数に刻まれた傷が語る

そんな午後を佇めば、無駄な時間をすごしてしまった、と自責の念に苛まれる
無駄、無駄なのだろうか
作る、配る、話す、運ぶ、売る、治す、育てる、守る、壊す、書く、愛する
人は、そうし続けなければ、存在する価値の無いものだろうか
生きていては、いけないのだろうか

西の山間に沈む夕日は、きっとまた、東の海からやって来るのだろう
踵を返しながら見上げれば、半月
もし、そうなら、と想う
海へ帰るのも、良いのかもしれない

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海を見ていた午後


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サッカー撮影39(画になる子) [サッカー撮影]

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「サッカーを撮る」ということは殆どの場合、試合中の選手を撮るということと同意だ、と前回も書きました。サッカーは11人がチームを組んで行うチームスポーツです。自分のひいきのチーム、自分の子の所属しているチームを撮っている方々には、なかなか難しいことですが、出来る限り全員を、まんべんなく撮ってあげたいですね。そうして撮り続け、結果を確認する作業を繰り返していくと、「画になる子」というのが存在することに気付くことが有ります。ここでは、そんな「画になる」とはどんな選手なのか、考えてみたいと思います。

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この場合の「画になる」とは、(サッカーをあまり知らない人を含む)一般的な多くの他者が見た場合に、サッカー写真として整った姿・場面を成してくれる選手、表現してくれる選手のことだと仮定します。そして、そんな場面・表現を与えてくれるケースの多い選手が「画になる子」というわけです。まず、試合中の選手を撮るという人物撮影の面からは、やっぱり顔の表情は欠かせません。ただ、サッカー写真である事、プレイ中の選手を撮るという事、を考えるなら、試合中にボールを保持する、ボールを見つめる、ボールに向かっていく、といったシーンにおいての表情、となると思います。故に、
・ボールを保持しても、下ばかり向く選手
・プレイ中に表情が崩れる選手
・ポーカーフェイスで、どういった場面でも表情に変化が無い選手
は、なかなか画になり難いと言えます(作例を挙げたいところですが、それはご勘弁を)。
逆に、
・顔を上げてボールを保持できる時間の長い選手
・その時の闘志や必死さ、真剣さが顔の表情に表れやすい選手
・激しい動きをする選手
は、撮っても画になる場合が多い選手と言えます。
これらのことは、その選手が上手いか下手か、その試合に勝利するかどうか、は関係ありません。
私は自分の子の所属チームも撮りますが、県協会のカメラマンとして様々な試合の撮影もします。その場合、両チームの選手構成、力関係等の予備知識はゼロで撮り始めます。つまりは、どちらかのチームを撮る、どの選手を撮る、というのではなく、その試合で良いシーンを撮る、ということに、まず第一に重点を置きます。そうして10~15分も撮り始めると、特に意識せずとも自然に、枚数多く撮れてしまう選手がでてきます。それはどんな選手かというと、やっぱりボールを扱う回数・時間が多く、闘志や賢明さの表情に富み、躍動感溢れる動きをする選手、つまりはそのチームの中心選手である場合が多いです。そして、その選手が「画になる子」という訳です。

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広いグランド上で22人の選手が動き回る試合の中で、輝いては消える宝探しをしていると、どうしてもこうした「画になる選手」の画が多くなりがちです。これは、より良い写真を撮ろうとするカメラマンとしては、しかたないことかもしれません。しかし、チーム撮りをしている方や記録としてその試合を残さねばならない場合、そればかりでは困ることが有ります。そこで私は、予備知識無しで撮り始めたとしても、こうした画になる選手を見つけたら、撮るレベルを一段上げます。普通に撮っていても枚数多く撮れるのですから、よほど良いシーンでないとシャッターを切らない、という風に。その代り、その他の選手の良いシーンを撮り逃がさないように、意識して注意をそちらに向けます。そうすれば結果的に、一試合を通じて良いシーンを狙いながらも、一枚も撮っていない選手というのが無くなり、もちろん選手によって撮影枚数の差は出ますが、比較的全員の写真を撮ることができると思います。

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サッカー写真といっても実は様々で、スポーツである以上動体撮影であり、動的な躍動感を追う場合も、逆に静的な緊張感や寂寥感を表したい場合も、光・観客などの周囲の環境を利用した表現を写し撮りたい場合も、いろいろあると思います。そして、そのそれぞれで「画になる選手」というのは違ってくるかと思います。「画になる選手」のバリエーションを増やしてみることも、撮影者に求められるスキルなのかもしれません。

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サッカー撮影38(撮った実感) [サッカー撮影]

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「サッカーを撮る」ということは殆どの場合、試合中の選手を撮るということと同意だ、と以前書きました。ただ単に、立っている選手、走っている選手を撮っただけではサッカー撮影とは言い難いので、基本的にボールを追い、それに絡む選手の表情や動きの躍動感を撮るということなります。広いグランド内を予測なく前後左右に動き回る選手とボールですから、それを狭い画角の望遠レンズで捉えることは簡単ではありません。ただそうして集中力を高め、狙ったシーンを狙ったタイミングでシャッターを切れた時、「撮った!」という感触を得られることが有ります。

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デジタルですから、メディアの許容範囲内で何枚でも撮れます。それに対するコストはかかりません。最近の機種は連写性能も高いですから、そんな連写を使えば望むシーンが得られる確率は高まると思います。しかし、ただダラダラと撮ったのでは、家に帰ってパソコンで成果を確認しても、さしたる結果を見つけられないことが多いです。試合中の選手と同じように、集中力を高め、選手の動きを読み、彼ら彼女らの懸命のプレー、必死の表情を追い、それをボールと選手の織り成すベストな構図でシャッターを切れた時、「撮った!」という実感が得られることがあります。または、試合前に思い描いたシーン、これまで撮りたくてもなかなかチャンスに恵まれなかったシーンをものにしたとき、「撮った!」という実感が得られることがあります。一試合を撮り終えて、この「撮ったという実感」が何度かあれば、まずまずの撮影結果が残せたはずです。逆に、この実感が得られない、この実感を経験したことが無い、といった場合は、更なる努力と集中力が必要だと言えます。
もちろん、そんな感触を得られたとて、家の帰って確認してみれば、ピントが来ていなかったり、一瞬の遅れで望んだ構図が得られていなかったり、選手の表情がイマイチだったり、といった、実感と結果がイコールならないことは、勿論有ります。それはまた反省材料として、今後の糧にすればよいのですが、ここで私が言いたいのは、ビデオカメラではありませんから、ただ連写機能に頼ってダラダラと撮っても、偶然は有っても、実感は得られない、ということです。

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また、「撮った!、けどピントが来ているだろうな?」と、その場で確認する余裕も無いのがサッカー撮影。試合中プレーは止まらず、次から次へと撮るべきシーンが出ては消えていきます。撮った実感を確認する間も無く、次の実感を求めてグランド上に散らばった宝探しを続けなければなりません。人間の頭はマルチCPUです。今このポジションで撮って正解なのか、この設定で撮って正解なのか、そんな自問自答を頭の隅で行いながら、左目でグランドを見渡し、右目でファインダーで狙いを定め、シャッターボタンに掛けた指先に集中力を高めます。その行為を続けることは、結構な体力(筋力ではありません)を必要とし、故に「スポーツ撮影はスポーツ」と言われる所以です。そうしなければ、選手が勝利と同時に得られる達成感と似た、「撮った実感」というものは得られないのです。

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反対に、「撮り逃がした!」という後悔もあります。自分が思い描いたシーンがやって来たのに、思わずファインダーから目を離して裸眼で見てしまった。撮影ポジションが中途半端だったために、貴重なシーンが選手に隠れてしまった。もう一呼吸連写開始を早くすれば撮れたかもしれない。そんなマイナスの実感を得てしまう場合もあります。それでもプレーは止まりません。その場で反省している暇はないのです。反省は家に帰ってからです。次のシーンは撮り逃がさないよう、気合を入れ直すしかないのです。それもまた、試合中の選手と同じです。

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再度言います。デジタルだからといって、ただダラダラと撮っていては、撮った実感など得られるはずはありません。実感が得られたとて、結果が必ずしも望んだとおりとは限らないのです。撮り手のその「実感レベル」も上げていかなくてはなりません。楽をして甘い果実を手に入れる方法は、やっぱり無いと思うべきです。真剣勝負の場でしのぎを削り、切磋琢磨して選手が育つように、我々撮る側もまた、真剣に挑まなければ、実感と上達は無い、ということでしょう。

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